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第四百八十話 「選択とは、未来を選ぶことではなく、生きるための最善を積み重ねた先で、気づけばその未来へ辿り着いている現象のことである」という話

最終章その1警察学校編開始、かな

三月。

松本龍平は、東京の国立名門大学を割といい成績で卒業した。

周囲の友人たちは大企業の内定先や、春から始まる新生活の話をしていた。


卒業旅行。

配属先。

引っ越し。

初任給。

そういう言葉が、当たり前のように飛び交っていた。


龍平の進路も決まっていた。


「警視庁警察学校」


警察官なら、失業の心配は少ない。

生活が安定していれば、大学四年間で膨れ上がった奨学金も毎月きちんと返していける。


派手な夢があったわけではない。

子供の頃から警察官に憧れていたわけでもない。


ただ、"食いっぱぐれがない"。


それが一番大きかった。


本来なら、大学卒業直後の四月にそのまま入校する予定だった。

だが、龍平にはその前にやるべきことが残っていた。


まず、群馬の片田舎にある祖母の家。


祖父母と暮らしていた古い家。

祖母が亡くなった後も、そこには生活の残骸がそのまま残っていた。


衣類。

食器。

古い家電。

布団。

箪笥。

祖父の作業着。

祖母が使っていた湯飲み。

仏壇。

通帳。

保険関係の書類。

役所から届いた封筒。


何から手を付ければいいのか、最初は分からなかった。

だが、分からなくてもやるしかない。


処分と言っても、家財を片付けるにも金がかかる。

空き家をどうするか考えるにも金がかかる。


専門の業者に頼めば早い。

弁護士や司法書士に任せれば、書類関係もかなり楽になる。


自分は警察学校へ行く準備だけをしていればいい。

そうできたらどれほど楽か分からない。


だが、そうするには金がかかる。

今の龍平に、その金はなかった。


大学四年間、奨学金とアルバイトで生活してきた。

祖母が遺してくれた僅かな金も、学費や生活費でほとんど消えていた。

最低限の出費で済ませるには、自分が動くしかない。


自分で調べる。

自分で電話する。

自分で役所へ行く。

自分で書類を書く。

自分で片付ける。


それだけだった。


一つの手続きが終わると、次の手続きが来る。


銀行。

保険。

年金。

役所。

税金。

家。

墓。

名義。


後回しにしていると督促が来る。

手数料も細かくかかる。

何かを捨てるにも金がかかる。

動くにも金がかかる。

生きているだけで金がかかる。


龍平は市役所の窓口にも何度も足を運んだ。

使える制度がないか相談した。


大学にも相談した。

奨学金の手続きも確認した。

必要な書類は取り寄せた。

分からないことは聞いた。

使えるものは使った。

頼れるところには頼った。


それでも、すべてが解決するわけではなかった。


相談したところで、祖母の家が勝手に片付くわけではない。

制度を使ったところで、明日から生活費の心配が消えるわけではない。

誰かが代わりに手続きを終わらせてくれるわけでもない。


最後に残ったものは、自分でやるしかなかった。


整理。

処分。

手続き。

生活費。

奨学金返済。


十月に警察学校へ入ったとしても、実際に実務へ出て最初の給料が安定するまでには時間がかかる。

その間の金も残しておかなければならない。


"四月入校は無理だ"。


龍平はそう判断した。


だから十月入校にした。

それだけだった。


特別なことではない。

大学へ進学した時もそうだった。

祖父が亡くなった時もそうだった。

祖母が亡くなった時もそうだった。

その時その時で、動ける人間が自分しかいなかった。


だから動いた。

今回も同じだった。


六月。

群馬の古い家で、龍平は埃を被った段ボールを一つずつ開けていた。

窓の外では、雑草が伸びている。


家の中は静かだった。

あまりにも静かだった。


段ボールの中から、古い写真が出てきた。


祖父。

祖母。

幼い自分。

見覚えのある茶碗。

見覚えのある座布団。

見覚えのある台所。

龍平は写真を数秒だけ見つめ、それから封筒へ戻した。


泣きはしなかった。

泣いても手続きは終わらない。

泣いても段ボールは減らない。

泣いても十月は来る。


「……十月か」


小さく呟く。


警察学校。

安定。

奨学金返済。

生活。


それだけ考えていればいい。

それで十分だった。


同じ頃、地球の裏側では、一人の日本人がイギリスの大学生活を終えようとしていた。


六月に卒業し、七月に日本へ帰国し、秋の採用に合わせて十月に警察学校へ入る。


理由はそれだけだった。


"海外の大学だったから"。

"卒業時期が日本と違ったから"。


それだけのことだった。


松本龍平は、現実を一つずつ処理した果てに十月へ辿り着く。

佐伯拓海は、イギリスの青春を終えた果てに十月へ辿り着く。


どちらも間違っていない。

どちらも悪くない。


ただ、その十月に、二人は同じ教場で顔を合わせることになる。


一人は、頼れる場所を回ったうえで、それでも残った現実を自分で処理してきた男。

一人は、自分がどれほど守られてきたのか、まだほとんど知らない男。


『その違いを、この時の二人はまだ知らない』


龍平は段ボールを閉じ、次の封筒を手に取った。


やることはまだ残っている。

なら、やるだけだ。


それだけの話だった。





ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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