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第四百七十七話 「境界とは、一つの世界の終焉に爪を立てて立ち尽くす者と、新たなる世界の開幕に胸を躍らせて扉を開ける者の間に生じる、最も美しく切ない温度差(パケット)のことである」という話

この先終盤まで拓海のターンになるのでここらでエドワードをだしおさめ。。。

六月。

卒業式前日。


学園都市別邸の空気は、いよいよ引き算の終着駅へ辿り着こうとしていた。

窓の外には浅い夏霧。

長い学生生活の終わりを告げるような静かな白。


かつては野生の大型犬の騒音ノイズで満たされていた拓海の部屋には、日本へ送る段ボールが積み上がり、警察学校の入校案内や各種手続き書類が床の上を占拠していた。


寄宿学校。

大学。


合わせて八年。


人生の三分の一近い時間が、少しずつ箱の中へ封印されている。

ガタ、とドアが開いた。


「……片付いているのかね、タクミ」


「全然だ、バカちんがあああああ!!(笑)」


床に大の字になっていた拓海が吠える。


「日本の警察学校の持参品リスト、マジで細かすぎるぞ!!」


「君のそのガバガバな生活能力を前提に設計されていないからだろう」


「うるせぇ!!(笑)」


いつも通りだった。

どこまでもいつも通り。


だが。

その部屋の光景だけが、いつも通りではなかった。


エドワードは静かに室内を見渡した。


本棚。

机。

窓際。

ソファ。

八年間の時間が詰まった部屋。


そして今、その全てが終わろうとしている。


十四歳で出会った。

最初は枕草子を持ち歩いている変な英国人だった。


気付けば寄宿学校を卒業し。

大学へ進み。

気付けば隣にいるのが当たり前になっていた。


それが終わる。

明日で終わる。

その事実だけが、胸の奥へ静かに沈んでいた。


対して。


当の本人は。


「なぁエド」


「何だ」


「警察学校って何やるんだろうな!!」


「知らん」


「一本背負いの訓練とかあるかな!!」


「君はまず生活指導教官に捕獲される方が先だろう」


「ひでぇ!!(笑)」


完全に未来を見ていた。

拓海にとって今日という日は終わりではない。

始まりだった。


英国生活の終わりではなく。

警察官としての人生の始まり。


だから寂しくない。

だから振り返らない。

だから前だけを見る。

それがサエキ拓海という男だった。


そして。

だからこそ。

エドワードは何も言わない。

言わないと決めていた。


「行くな」とも。


「残れ」とも。


「必要だ」とも。


五月のハミルトンホールで、エドワードは一度だけ想像した。


父の病状を話した場合。

継承の重圧を話した場合。

自分がどれほど限界に近いかを話した場合。


その時。

拓海がどんな顔をするかも。


おそらく。

あの男は立ち止まる。

悩む。

迷う。


そして。


その先の可能性を想像することを、エドワードはやめた。


だから言わない。

言えば変わるかもしれない未来を、自ら封印した。


自分のために残るという選択肢を与えない。


もし残るなら拓海自身が選ぶべきだ。


拓海自身の人生として。

拓海自身の夢として。

そうでなければ意味がない。


だから何も言わない。

それがエドワード・ハミルトンの最後の矜持だった。


「なぁ、エド」


「何だ」


拓海がふと顔を上げる。


そして。

何でもないような顔で笑った。


「ありがとな」


「…………」


エドワードの思考が止まった。


「お前がいなかったらさ、俺たぶん寄宿学校終わったらそのまま日本帰ってたと思うんだよ」


拓海は照れ臭そうに頭を掻く。


「大学も来なかっただろうし」


「こんな経験もしてないし」


「色んな奴とも会ってないし」


「だからまぁ」


「助かったわ、バカ(笑)」


あまりにも軽く。

あまりにも自然に。

八年分の感謝を置いていく。


エドワードの喉から出た言葉は。


「……そうか」


ただそれだけだった。


それ以上は無理だった。

その一言で精一杯だった。


「卒業したら遊びに来いよ!!」


拓海は笑う。


「日本案内してやるからさ!!」


「そうか」


「マヨネーズもあるぞ!!」


「いらん」


「ラーメンもあるぞ!!」


「それは考慮しよう」


「ガハハハ!!」


変わらない。


本当に。

何一つ変わらない。


だから。

救われる。


夜。


別邸は静かな眠りに包まれていた。

拓海は明日の卒業式など忘れたように爆睡している。


エドワードは一人、書斎の窓際に立っていた。


学園都市の夜景が遠く滲んで見える。


何度も歩いた道。

何度も見た景色。

何度も帰った別邸。


そして。


そのほとんどに拓海がいた。


笑っていた。

騒いでいた。

腹を空かせていた。

馬鹿なことを言っていた。


”当たり前のように隣にいた”。


だから。


胸の奥から零れ落ちた言葉は一つだけだった。


(……楽しかったよ、タクミ)


恋愛でもない。

友情でもない。

もっと曖昧で。

もっと大きくて。

もっと大切な何か。


八年間。


ハミルトンという巨大な檻の外で、唯一「学生」でいることを許された時間。


『その全てが、明日終わる』


(……君は何も変わらないのだな)


エドワードは小さく目を閉じる。


(だから私は、救われていたのだろう)


翌朝になれば。

またいつも通りだ。


「朝飯だ、バカ!!」


「……うるさい、タクミ」


それでいい。

それが最後まで変わらなかったことを。


エドワード・ハミルトンは少しだけ誇らしく思った。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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