第四百七十三話 「旅行とは、卒業前の大型犬が無邪気に「どっか行くか!」と笑いながら、魔王の情緒防衛網を内側から爆破する現象のことである」という話
エドワード君の努力
四月中旬。
学園都市ハミルトン別邸。
「よし!!」
拓海は炭酸飲料の缶を掲げた。
「男二人旅だな、エド!!(笑)」
満面の笑み。
1200%の解放感。
そして。
野生のパラディンの思考はここで終了した。
旅行。
楽しみ。
以上。
だが。
その対角線上に座る男の脳内では、その瞬間から極めて深刻な問題が発生していた。
旅行。
↓
二人。
↓
卒業前。
↓
最後。
「…………」
エドワード・ハミルトンは本日最高の真顔のまま沈黙した。
そしてその日の深夜。
別邸の書斎。
誰もいない部屋で、魔王は静かに戦争を開始した。
「ジョージ」
「はい」
「五月から六月にかけての予定表を出せ」
「……全部ですか?」
「全部だ」
ジョージは悟った。
(始まったな)
と。
◇
四月下旬。
「タクミ」
「ん?」
「来月の週末は空いているかね」
「授業」
「そうか」
終了。
一敗。
***************
数日後。
「タクミ」
「なんだ」
「次の土曜日は」
「ラグビー」
「そうか」
二敗。
***************
さらに数日後。
「タクミ」
「なんだよ」
「日曜日は」
「卒論」
「そうか」
三敗。
***************
ジョージは静かに紅茶を飲んだ。
主人は最近。
世界経済よりも。
佐伯拓海の空き時間を調査していた。
***************
五月上旬。
「タクミ」
「ん?」
「来週末は」
「ゼミ」
「そうか」
四敗。
***************
「タクミ」
「なんだ」
「再来週は」
「ラグビー」
「そうか」
五敗。
***************
「タクミ」
「なんだ」
「その次は」
「寝る」
「そうか」
六敗。
***************
「なぁジョージ」
「何かな、サエキ」
「エド最近暇なのか?」
「違うよ」
「最近やたら予定聞いてくるぞ」
「違うよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
違った。
***************
五月中旬。
書斎。
「ジョージ」
「はい」
「予定表を」
「またですか」
「全部だ」
ジョージは黙って差し出した。
机の上にはすでに数週間分の予定表が並んでいる。
付箋。
書き込み。
丸印。
修正跡。
まるで大規模企業買収の作戦会議だった。
違う。
旅行だった。
「……ハミルトン様」
「何だ」
「そこまでしなくても」
「何の話だ」
「いえ」
ジョージは口を閉じた。
主人は本気だった。
本気で。
ただ親友との旅行の日程を合わせようとしていた。
それだけだった。
***************
五月十七日。
リビング。
「おっ」
拓海がカレンダーを見た。
「今週末、奇跡的に空いてるぞ」
沈黙。
本当に沈黙。
エドワードは一瞬だけ動きを止めた。
ジョージも止まった。
空気まで止まった気がした。
「…………そうか」
本日最高の平静だった。
だが。
ジョージは知っている。
四月中旬。
旅行の話が出た、その日から。
主人がどれだけ執拗に予定を確認し続けていたのかを。
「来週は」
「授業」
「そうか」
「週末は」
「ラグビー」
「そうか」
「その次は」
「卒論」
「そうか」
「再来週は」
「ゼミ」
「そうか」
空振り。
空振り。
また空振り。
その度に予定表が更新され。
その度に主人の書斎へ新しい付箋が増えた。
世界経済を動かす男が。
親友との旅行の日程を合わせるためだけに。
である。
恐ろしい話だった。
「じゃあ行けるな!!」
拓海は何も知らない。
「そうだな」
「よし!!」
何も気付いていない。
「男二人旅だな!!(笑)」
「……そうだな」
ただ。
それだけで良かった。
旅行先はまだ決まっていない。
日程だけだ。
それでも。
卒業前。
帰国前。
残された時間の中に。
二人だけの数日間が確かに確保された。
その事実だけで十分だった。
ジョージは静かに記録する。
五月十七日。
成功。
【十四回目】
【初勝利】
歴史的快挙だった。
■ジョージの機密ログ
(五月十七日・歴史的快挙編)
主人は十四回目でようやく勝利した。
なおサエキは現在も、
「たまたま予定が合った」
と思っている。
主人は二ヶ月近くかけて予定を調整していた。
恐ろしい話だった。
経過観察を継続する。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




