幕間 「認識とは、霧の向こうの悪意を暴く行為ではなく、自らが最も美しい日常(檻)を観測しているその瞬間、背後から逆に観測されている事実へ気付く現象のことである」という話
とりあえず今は置くだけシリーズ
■ジョージの機密ログ(某日・学園都市)
学園都市の午後。
ジョージは大学図書館からの帰り道、ふと違和感を覚えた。
別に珍しいことではない。
彼は観察する側の人間だ。
日常の機微も、人の視線も、他人の感情の揺らぎも。
そういったものを拾うことに慣れている。
だから最初は気のせいだと思った。
だが。
まただ。
少し離れた歩道。
見覚えのある男が立っている。
仕立ての良い上質なコート。
年齢は四十代ほどだろうか。
派手さはない。
むしろ地味だ。
学園都市には似合わないほど落ち着いた雰囲気を纏っている。
だが、その静けさが妙に目を引いた。
理由は簡単だった。
隠そうとしていないのだ。
視線が合う。
それでも男は逸らさない。
ジョージも逸らさない。
数秒の静寂。
やがて男は静かに会釈した。
極めて自然で。
極めて礼儀正しく。
まるで旧知の相手に向けるような穏やかさで。
ジョージも反射的に会釈を返してしまう。
「……何なんですかね、あの人」
誰に言うでもなく呟いた。
敵意は感じない。
尾行されている訳でもない。
話しかけてくる訳でもない。
ただ、たまにいる。
そして決まって。
ハミルトン様がいる場所の近くにいる。
在学中から病床の父に代わってグループ事業を引き継ぎ、
若き後継者として注目を集めるエドワード・ハミルトン。
その動向へ興味を持つ者がいても不思議ではない。
だから最初はそう思っていた。
ただの観察者。
ただの興味。
それだけだと。
だが。
数日後。
その仮説は少しだけ揺らぐことになる。
大学の学食。
昼休み。
窓際の席で男は一人コーヒーを飲んでいた。
新聞も読まない。
本も開かない。
ただ静かに窓の外を眺めている。
ジョージは何となく、その視線の先を追った。
そして足を止める。
「……あれ?」
中庭。
ラグビー部の連中に囲まれながら、佐伯拓海が大騒ぎしていた。
「だから母さんの米はマジで美味いんだって言ってんだろ、バカ!」
周囲の学生が笑う。
本人はいつも通りだ。
うるさくて。
騒がしくて。
妙に目立つ。
だがジョージが引っ掛かったのはそこではなかった。
男が見ていた。
拓海を。
いや、違う。
その隣にいるエドワードも見ていた。
どちらか一方ではない。
”二人を見ている”。
正確には。
二人の間にある何かを見ているように見えた。
エドワードが何かを言う。
拓海が笑う。
そのやり取りを男は静かに眺めている。
まるで。
何かを確かめるように。
「……なるほど」
ジョージは小さく呟いた。
何がなるほどなのか、自分でも分からない。
ただ。
最初に抱いた仮説とも少し違う気がした。
もし本当にハミルトン様だけが目的なら。
わざわざ佐伯拓海まで見る必要はない。
だが男は見ている。
しかも一度や二度ではない。
だから余計に分からない。
ハミルトン様を見ているのか。
サエキを見ているのか。
それとも。
こうして観察している僕まで含めて見ているのか。
正直よく分からなかった。
ただ一つだけ確かなことがある。
落ち着いていて。
知的で。
驚くほど礼儀正しい。
変な人だ。
それは間違いない。
けれど。
どうしても危険な人物には見えなかった。
だからジョージは肩をすくめる。
「……まあ、いいか」
今は卒業論文の方が大事だ。
サエキの引っ越し準備もある。
ハミルトン様の情緒崩壊も進行中だ。
世界にはもっと優先順位の高い問題が山ほどある。
ジョージはその違和感をファイルの奥へ放り込み、そのまま別邸へ帰ることにした。
そして。
ガラス窓の向こう。
男は静かにコーヒーカップを置いた。
芝生の上で笑う大型犬。
その隣で呆れた顔をしている若き後継者。
そして少し離れた場所から二人を見ていた観察者。
男はしばらくその光景を眺めていた。
やがて小さく息を吐く。
「……面白いな」
誰のことだったのか。
何を見てそう思ったのか。
それを知る者は誰もいなかった。
学園都市の春の霧だけが、その言葉を静かに飲み込んでいった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




