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第四百六十七話 「段ボールとは、ただの荷造り用の資材ではなく、大型犬の「学園都市での生存ログ」を一つ残らず梱包し、目の前で「本物の別れ」を立体化していく、最も冷徹なオブジェクトのことである」という話

まぁまだ数か月ありますが。

三月中旬。

イギリス、学園都市の春はまだ遠い。


窓の外には薄い霧が漂い、冬の名残が街を覆っていた。

だが、別邸の中だけは少しずつ季節が変わり始めていた。


ガタタン――――!!!


「おっしゃあああああああ!!!!」


拓海の絶叫が別邸中に響き渡る。


「終わったぞ!! 終わった!!! 卒論提出した!!! これで本当に終わりだ!!!」


デスクの前で立ち上がり、両腕を突き上げる。

大学生活最後の大仕事。


卒業論文。

数か月かけて書き上げたそれを、たった今オンライン提出したところだった。


「おいエド!! 見たか!? 提出完了って出たぞ!!」


「……そうか」


「そうかじゃねぇだろ!!」


「そうか」


「もっと喜べ!!」


「君の卒論が消えたことをか?」


「バカ!!!」


拓海は笑っていた。

本当に嬉しそうだった。

肩の荷が下りたのだろう。


その顔には達成感しかない。


未来への不安も。

別れの寂しさも。


何もない。


ただ、終わったという解放感だけがあった。

エドワードは静かにそれを見ていた。


何も言わずに。

ただ静かに。


その笑顔を見ていた。


『卒業』


その言葉が、以前よりずっと現実味を持って響く。


提出した。

終わった。

卒業する。


……帰る。


その未来が、もう目の前まで来ていた。


***********


その日の午後。

拓海の部屋には段ボール箱が積み上がっていた。


大小合わせて五箱。


まだ足りないらしい。


「おいエド」


「なんだ」


「このTシャツいると思うか?」


ラグビー部の記念Tシャツ。

何年も着込んで色褪せている。


「捨てろ」


「思い出だぞ」


「ゴミだ」


「思い出だ」


拓海は迷わず段ボールへ放り込んだ。

エドワードは何も言わない。


ただガムテープを押さえる。

バリバリ、と音が鳴る。

蓋が閉じられる。


一つ。

また一つ。


段ボールが完成していく。


拓海は楽しそうだった。


「お、これ懐かしいな」


今度はマグカップだった。

大学一年の頃、学園祭で買ったものだ。


取っ手が欠けている。


「それも捨てろ」


「なんでだよ」


「割れている」


「まだ使える」


「使うな」


「使う」


結局それも段ボールへ入る。


バリバリ。

また一箱閉じられる。


静かな音だった。


それなのに。

その音だけがやけに耳に残る。


部屋を見回す。


本棚が少し空いている。

机の上も広い。

壁際の荷物も減った。


ほんの少し前まで雑然としていた部屋が、少しずつ片付いていく。


少しずつ。

本当に少しずつ。


だが確実に。

佐伯拓海という人間が、この部屋から消え始めていた。


***********



「おいエド」


「なんだ」


「これ日本送る」


「そうか」


「これも」


「そうか」


「これ警察学校で使う」


「そうか」


「これ実家」


「そうか」


日本。

警察学校。

実家。


拓海は何の気なしに言う。


悪気もない。

何も考えていない。

ただ当たり前の未来を話しているだけだ。


だが、そのたびに。

エドワードの胸の奥へ小さな針が刺さる。


『帰るのだな』


また思う。


知っていた。

最初から知っていた。

日本へ帰る男だということも。

警察官になることも。

ここを去ることも。


全部知っていた。

それなのに。


段ボールが一つ増えるたび。

本棚が空になるたび。

部屋が広く見えるたび。

その現実は容赦なく重みを増していく。


書類はまだ良かった。


進路届も。

卒業案内も。

ただの紙だった。


だが段ボールは違う。


目に見える。

触れられる。

積み上がる。


そして何より。

戻らない。


荷物は日本へ送られる。

もうこの部屋には戻らない。


その現実が、ガムテープの乾いた音と共に一つずつ封印されていく。


***********


「よし!!」


拓海が満足そうに両手を叩いた。


「三箱終わった!!」


達成感に満ちた顔。

卒論を終え。

荷造りも進み。

未来へ向かって一直線。


その横顔は眩しいほどだった。


「腹減った」


そして。


「飯だ!!」


いつも通りだった。

エドワードは小さく目を閉じる。


「君は本当にそれしかないのか」


「あるぞ!」


「そうか」


「まず飯だ!!」


「そうだな」


拓海は部屋を飛び出していく。

騒がしい足音が遠ざかる。


静寂が戻る。


エドワードは一人、部屋に残った。


視線を上げる。


以前より広くなった部屋。

以前より少なくなった荷物。

以前より高く積まれた段ボール。


何も変わっていないように見える。


だが。

もう始まっている。


卒業も。

帰国も。

別れも。

全部。


とっくに始まっていた。


暖炉の火が静かに揺れる。


春は近い。

どうしようもなく近かった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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