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第四百六十五話 「接続とは、互いの端末が同じ回線で繋がっている状態のことではなく、誰よりも近くに居るにもかかわらず、本心を一ドットも伝達できない暗黒の仕様のことである」という話

拓海が匠たる所以みたいな

二月下旬。

深夜の別邸は静かだった。


暖炉の火が小さく爆ぜる音だけが、書斎にゆっくりと溶けていく。

ソファでは拓海が分厚い文庫本を閉じた。


E・M・フォースター。


『ハワーズ・エンド』。


エドワードに渡されてから数日。

警察学校の課題から現実逃避するように少しずつ読み進めていた一冊だった。


「……あー」


拓海は大きく伸びをした。


「終わったぞ、バカ」


デスクの向こうで書類を読んでいたエドワードが顔を上げる。


「そうか」


「うん」


しばらく沈黙。

拓海は本の表紙を眺めながら首を傾げた。


「正直、よく分からん」


「だろうな」


「なんで分かるんだよ」


「君だからだ」


「バカ」


拓海は文庫本を膝の上で回した。


「なんか全員めんどくさい」


「そうか」


「いや、だってそうだろ」


拓海は暖炉へ視線を向ける。


「みんな何か考えてるのは分かるんだけどさ」


「……」


「言わないじゃん」


エドワードの手が止まる。

ほんの一瞬だけ。


「言わないから拗れるんだろ」


「……」


「言いたいことあるなら言えばいいじゃん」


暖炉が小さく音を立てた。


ジョージは緑茶を口へ運ぶ。

そして静かに視線を逸らした。


面白いからではない。

いや、少しは面白い。


だがそれ以上に。

今の一言が、誰に刺さったのか分かっていたからだ。


「そう単純な話ではない」


エドワードが言う。

珍しく反論だった。


「そうか?」


「ああ」


「なんで」


「人には立場がある」


「ふーん」


「責任もある」


「ふーん」


「言葉にしない方が良いこともある」


「ふーん」


拓海は炭酸飲料を飲む。

そして本当に不思議そうな顔をした。


「でもよ」


「……」


「言わなきゃ分かんねぇだろ」


再び沈黙。

ジョージは思わず目を閉じた。


やめろ。

その話題はやめろ。


本人だけが何も気付いていない。


目の前の男が、その言葉だけでどれだけ致命傷を受けるのか。

何一つ理解していない。


「ハミルトン様」


ジョージが口を挟む。


「何だ」


「大型犬が本日も絶好調ですね」


「そうだな」


「防御力ゼロで突撃しております」


「昔からだ」


「ご愁傷様です」


「ジョージ」


「はい」


「黙れ」


「失礼しました」


ジョージは緑茶を啜る。

肩だけが少し震えていた。


拓海は首を傾げた。


「なんだよ」


「何でもない」


「変な奴らだな」


「君ほどではない」


「バカ」


いつものやり取り。

いつもの空気。

いつもの夜。


それなのに。


エドワードの胸の奥だけは静かではなかった。


八年。

八年も一緒にいる。


誰よりも近くにいる。

同じ景色を見て。

同じ食事をして。

同じ時間を過ごしてきた。


拓海はそれを疑わない。


だからこそ。

今もこうして言うのだ。


「言えばいいじゃん」


と。


あまりにも簡単に。

あまりにも当然のように。


その言葉が”どれほど残酷か”も知らずに。


「なぁ」


拓海が再び声を上げた。


「なんだ」


「エド」


「……」


拓海は少しだけ考える。

本当に少しだけ。


そして笑った。


「でも俺、お前の言いたいこと大体分かるぞ」


書斎が静かになった。

暖炉の火が揺れる。


ジョージは口元を押さえた。


耐えろ。

笑うな。

今笑ったら流石に怒られる。


だが無理だ。

これは反則だろう。


本人は百パーセント本気なのだ。


悪意もない。

皮肉でもない。

純粋な信頼。


八年間隣にいた相棒だからこその言葉。


だからこそ残酷だった。

エドワードは何も言わない。


言えない。


ただ翡翠の瞳を閉じる。


ゆっくりと。

本当にゆっくりと。


そして小さく息を吐いた。


「……そうか」


それだけだった。

拓海は満足そうに頷く。


「おう」


何も気付いていない。

本当に何も。


ジョージはついに耐え切れなくなり、顔を背けた。


「ジョージ」


「はい」


「笑うな」


「努力します」


「できていない」


「善処します」


肩が震えている。

完全に震えている。


拓海はますます意味が分からなくなったらしい。


「だから何なんだよ」


「何でもないよ、サエキ」


「絶対何かあるだろ」


「気のせいです」


「そうか!」


そうかじゃない。

ジョージは心の中で即座に否定した。


だが言わない。

言えるわけがない。


『この大型犬は、自分がどれだけ無自覚に相棒を追い詰めているのか、本当に理解していないのだから』


暖炉の火が静かに揺れる。


誰よりも近くにいる。

誰よりも信頼している。

誰よりも理解していると思っている。


それなのに。

一番伝えたいことだけは、どこにも届かない。


フォースターの小説は、人と人が繋がることの難しさを書いた物語だった。


だが。


エドワード・ハミルトンにとって、その夜の感想はたった一つだった。


—繋がっているからこそ、届かない言葉もある。


それが、この上なく厄介だった。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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