第四百六十四話 「眺めのいい部屋とは、自らの本心が見えない者ほど、窓の外の景色ばかりを見てしまう現象のことである」という話
文学回はひさびさ
二月下旬。
冬の終わりが近づいた学園都市。
珍しく静かな午後だった。
警察学校の事前課題と格闘していた拓海は、完全に集中力の燃費を使い切り、
暖炉の前のソファへと倒れ込んでいた。
その膝の上には、一冊の文庫本。
エドワードに半ば押し付けられた『眺めのいい部屋』。
読み終えたばかりだった。
拓海は本を閉じる。
暖炉の火を見つめる。
しばらく何も言わない。
珍しいことだった。
向かいのデスクで書類を読んでいたエドワードが、ゆっくりと顔を上げた。
「どうした」
「いや」
拓海は頭を掻いた。
「ちょっと考えてた」
「君がか?」
「その反応やめろ」
エドワードは小さく肩を竦める。
拓海は文庫本を持ち上げた。
「面白かったぞ」
「そうか」
「でもよ」
少し迷うように言葉を探す。
「俺、あの婚約者そんな嫌いじゃなかった」
「セシルか」
「ああ」
「悪人ではないな」
「だよな」
拓海は頷いた。
「むしろちゃんとしてたじゃん」
「そうだな」
「頭も良いし」
「ああ」
「金もあるし」
「ああ」
「ちゃんと将来のことも考えてるし」
「そうだな」
「なのにダメなんだな」
暖炉が小さく音を立てる。
エドワードは答えない。
拓海は続けた。
「俺さ」
「……」
「最初、なんでだよって思ったんだよ」
本を膝に置く。
少し遠くを見るような目。
「だってあいつ、別に悪いことしてねぇだろ」
「していないな」
「なのに最後は選ばれない」
「……そうだな」
拓海は黙る。
しばらく黙る。
その沈黙が少しだけ長い。
エドワードは待った。
ジョージも待った。
「でも」
やがて拓海はぽつりと言う。
「好きってそういうもんじゃねぇんだろうな」
書斎が静かになる。
暖炉の火だけが揺れている。
「正しいとか」
拓海は言う。
「間違ってるとか」
「……」
「そういう話じゃないんだろ」
エドワードの指先が僅かに止まる。
だが拓海は気付かない。
ジョージだけが見ている。
「選んだ方が正解になるんじゃねぇかな」
拓海は本を見下ろした。
「結局さ」
「……」
「ルーシーも、どっちが正しいかじゃなくて」
「……」
「どっちと生きたいかだったんだろ」
静寂。
長い静寂。
そして。
「君にしては」
エドワードが口を開いた。
「随分まともな感想だな」
「なんだよ」
「事実だ」
「バカ」
「君ほどではない」
ジョージが吹き出した。
拓海は不満そうに眉を寄せる。
だが。
その数秒後。
全部を台無しにした。
「でも俺」
「……」
「イタリア行きたい」
沈黙。
完全な沈黙。
ジョージが耐えきれずに吹き出した。
「そこですか」
「だって景色綺麗だったじゃん!」
「そうですね」
「飯もうまそうだったし!」
「そうですね」
「パスタ!」
「そうですね」
「ピザ!」
「そうですね」
「ジェラート!」
「そうですね」
エドワードは額を押さえた。
「君は本当に救いようがないな」
「なんでだよ!」
「文学作品を旅行パンフレットとして読んだ人間を初めて見た」
「面白そうだったぞ!」
「そうか」
「卒業前に行こうぜ」
「断る」
「なんでだ!」
「君が確実に迷子になるからだ」
「ならねぇ!」
「なる」
「ならねぇ!」
いつものやり取り。
いつもの騒音。
いつもの日常。
ジョージは緑茶を飲みながら窓の外を見た。
冬の空は少しだけ明るい。
本心。
選択。
正しい道。
望む道。
きっと今この部屋にいる誰もが、その本のどこかに自分自身を見つけていた。
ただ一人。
佐伯拓海を除いて。
いや。
もしかしたら。
一番見つけているのに気付いていないのは、あの大型犬なのかもしれなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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