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第四百五十七話 「実感とは、悲しみを乗り越えた状態ではなく、失恋した大型犬が通常運転を続けることで周囲だけが地獄を見る現象のことである」という話

実感来る日がこればの話

失恋から一週間。

十二月下旬の日曜日。

学園都市別邸は今日も平和だった。


爆発もない。

陰謀もない。

テロもない。


あるとすれば。

佐伯拓海の人生から「沢田文香」という存在が消えたことくらいだった。


もっとも。

当の本人だけは、その事実の重さをまだ正しく演算できていなかったのだが。


****************


###Takumi OS 異常検出不能(二週目)


「おいエド!!」


書斎のドアが勢いよく開く。


「四年の数的処理の過去問やったんだけどよ!!」


「うん」


「意味わかんねぇ!!」


「そうか」


「ハミルトンの法でなんとかしろ!!」


「断る」


「ケチ!!」


拓海はいつものようにソファへ倒れ込んだ。


炭酸飲料を開ける。


飲む。

騒ぐ。

笑う。


失恋した男とは到底思えない。


一数日前。

カフェで人生最大級の失恋を経験した男が。


今。

全力で数的処理への悪口を叫んでいる。


****************


「腹減ったな」


「まだ昼前だ」


「関係ねぇ」


「ある」


「ねぇよ」


即答だった。


エドワードは眼鏡を押し上げる。


いつも通りだ。

本当にいつも通り。

それが逆に恐ろしい。


****************


そして。


大型犬は何の前触れもなく爆弾を投下する。


「あ、そういやさ」


エドワードのペンが止まる。


「文香のやつ」


停止。

完全停止。

ハミルトンシステム緊急停止。


「この前ゼミの課題でイギリス史難しいって泣いてたからさ」


拓海は何も気付かない。


「今度この参考書やろうぜ」


「…………」


「エド?」


「何だ」


「聞いてたか?」


「聞いていた」


「じゃあそれ貸してくれ」


「……そうだな」


エドワードは静かに本を閉じた。


どうして。

どうして君はそんなに普通なんだ。


****************


###実感が来ていないだけ


しばらくして。

エドワードは静かに言った。


「タクミ」


「あ?」


「君は先週何があったか理解しているのかね」


「何が?」


「……文香だ」


拓海は少しだけ考える。

そして。


「あー」


と言った。

それだけだった。


「あー、まぁ終わったな」


「……そうか」


「しょうがねぇだろ」


拓海は肩をすくめる。


「好きになったもんはしょうがねぇし」


「好きじゃなくなったもんもしょうがねぇ」


「俺がどうこうできる話じゃねぇよ」


そして。

数秒後。


「それより腹減った」


エドワードは静かに目を閉じた。


つい先日。

人生最大の感情イベント。


今。

朝飯の話。


温度差で人が死ぬ。


****************


だが。


エドワードは確信していた。


立ち直ったわけではない。

違う。

まだ届いていないのだ。


本当に失ったものの重さが。

まだ。

この男の心に。


****************


君はいつもそうだ。


怪我をした時も。

家族と喧嘩した時も。

人生が壊れそうな時も。


”拓海は最初に笑う”。


本当に痛くなるのは。

全部終わってからだった。


****************


###周りだけが死ぬ日曜日


「めし!!」


大型犬はキッチンへ突撃した。


その背中を見送りながら。

ジョージは緑茶を差し出す。


「強いですね」


「違う」


即答だった。


「あいつは立ち直ったわけじゃない」


「まだ気付いていないだけだ」


「なるほど」


ジョージは頷く。


「つまり今は平気だ」


「そして後から全部来る」


「そういうことですか」


「そうだ」


ジョージは少し黙った。


それから。

本日最高に余計なことを言った。


「今のところ」


「何だ」


「失恋したのはサエキではなく、ハミルトン様に見えるのですが」


沈黙。

数秒。


「殺すぞ」


「失礼しました」


全く反省していない顔だった。


****************


そこへ。


ポテトチップの大袋を両手に持って拓海が戻ってくる。


「あ?」


「何やってんだお前ら」


「朝から真顔でヒソヒソして」


何時ものようにエドワードとジョージは顔を見合わせた。

そして。

またほぼ同時に答える。


「何でもない」


「何でもありません」


「そうか!!」


納得。

大型犬の理解は相変わらず三秒だった。


****************


大事件もない。

修羅場もない。

誰も泣いていない。


ただ。


当事者だけが一番元気で。

周囲だけが静かに胃を痛めている。

そんな最高に彼ららしい日曜日だった。


****************


■ジョージの機密ログ(十二月某日・日曜日:大型犬の慣性駆動と、魔王の精神的耐久テスト編)


十二月下旬。日曜日の別邸。


僕は、サエキが「文香のやつさ」と何の悪気もなく元カノの名前を日常会話へ投入する横で、

ハミルトン様が完璧な親友のマスクを維持しながら、

本日最高の世界で一番ツヤのない顔を更新しているのを見たよ。


サエキ。


君、本当に「自分が笑っているだけで周囲を死に至らしめる猛獣」だね。


君はしょうがねぇよな、と笑うけれど。

君の中にまだ届いていない喪失の質量こそが、別邸のソファの上で、

僕たちの情緒を最も効率よく削り続けているんだよ。


立ち直ったんじゃない。

まだ気付いていないだけ。


だから今は笑える。

だから今は普通に飯を食える。


そして。

だからこそ。


実感が来た時は、きっと一番痛い。


ジョージの観測日記。


親友という名の最も重い檻と、その檻の中で元気に吠え続ける大型犬の記録を

、本日も保存しておこうと思う。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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