第四百五十二話 「クリスマスとは、覚悟を決めた大和撫子の前に大型犬の実家の引力が割り込み、最後の退路が閉鎖される現象のことである」という話
嫌そこはデート優先だろうよ・・
十二月。
クリスマス前の学園都市。
街全体が煌びやかなイルミネーションと聖歌に包まれ、誰もが浮き足立つ季節だった。
だが、日向文香の脳内サーバーは、自らが積み重ねてきた小さな嘘(泥沼)の重量によって、
今にも限界を迎えようとしていた。
こんなこと、続けてちゃいけない。
クリスくんとの甘いお茶会。
重ねた省略。
重ねた嘘。
拓海さんへの罪悪感。
全部。
全部終わりにしなくちゃいけない。
このクリスマスで。
********************
学食のテラス席。
吐く息は白く、ホットチョコレートの缶だけが指先を温めていた。
「おい文香」
拓海がペットボトルを振りながら笑う。
「クリスマスどうする、バカ? まだ決めてねぇだろ?」
「うん、まだ」
「俺さ」
拓海は少しだけ照れ臭そうに頭を掻いた。
「四年だしさ」
「日本帰る前の最後のイギリスのクリスマスじゃん?」
「だから」
拓海は笑った。
何の裏もない。
何の計算もない。
いつもの顔だった。
「一緒にクリスマスマーケット見に行こうぜ」
文香の胸が締め付けられる。
泣きそうになる。
それなのに。
少しだけ救われた気もした。
「……うん」
自然と笑みがこぼれた。
「行きたい」
その返事に、拓海は満足そうに頷いた。
その瞬間。
文香は思った。
(そうだよね)
(こんなこと続けちゃいけない)
(ちゃんと終わらせよう)
(ちゃんと戻ろう)
拓海と。
もう一度。
ちゃんと。
それは”彼女なりの、更生”だった。
********************
だが。
運命というやつは、本当に性格が悪い。
約束の数日前。
スマートフォンが震えた。
【拓海:文香、マジでわりぃ!!】
嫌な予感がした。
画面を開く。
【拓海:実家から卒業後のことで超重要な話があるって言われてよ!!】
【拓海:姉貴のとこに行かなきゃいけなくなった!!】
【拓海:どうしても会わなきゃいけねぇ!!】
【拓海:クリスマスマーケットは中止で頼む!!】
【拓海:埋め合わせは必ずする!!】
【拓海:マジでごめん!!!!】
文香は画面を見つめた。
しばらく動けなかった。
怒りはなかった。
拓海が悪いわけじゃない。
家族は大切だ。
卒業後の進路だって大事だ。
そんなことは分かっている。
全部。
ちゃんと分かっている。
だから余計に苦しかった。
私は戻ろうとしていた。
ちゃんと向き合おうとしていた。
ちゃんと終わらせようとしていた。
なのに。
その最後の一歩を踏み出す前に。
手を離された。
【文香:……そうなんだ】
【文香:分かったよ】
送信。
たったそれだけ。
たったそれだけなのに。
胸の奥で何かが静かに折れる音がした。
********************
同じ頃。
大学構内。
「フミカ?」
振り返る。
クリストファーだった。
「元気ないね」
優しい声。
優しい目。
今、一番聞きたくない声だった。
「何でもないよ」
「嘘だ」
クリストファーは即答した。
「君は嘘をつく時、少しだけ笑うから」
文香の呼吸が止まる。
クリストファーは何も知らない。
クリスマスの約束も。
キャンセルも。
何も知らない。
それなのに。
「……一人で抱え込まなくていいんだよ」
その言葉だけで。
涙が出そうになった。
********************
その夜。
別邸のダイニング。
「クソ……」
拓海がスマートフォンを握り締める。
「マジで悪いことした……」
「そうか」
エドワードは紅茶を飲んだ。
「文香、楽しみにしてたと思うんだよなぁ……」
「そうか」
「埋め合わせしねぇと……」
「そうか」
新聞を閉じる。
灰色の瞳がゆっくりと拓海を見る。
本日最高の。
世界で一番冷たい諦めを宿した目だった。
「タクミ」
「あ?」
「君は本当に馬鹿だな」
「だからなんでだよ!!」
拓海は叫ぶ。
エドワードは答えない。
答えられない。
ただ。
静かに思うだけだった。
(……あぁ、タクミ)
(君は今、自分の手で最後の退路を閉じた)
(もう間に合わない)
クリスマスはまだ来ていない。
だが。
文香の心の中では。
すでに何かが終わっていたのである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




