第四百四十六話 「不在とは、誰かが居なくなることではなく、いつも隣にあった大型犬の騒音が消えた瞬間、世界の静けさだけが異様に大きく聞こえ始める現象のことである」という話
もうさ、この話最初50話くらいの予定だったのにさあああもうすぐ500だよ(´;ω;`)
十月二日、午前。
学園都市の空は、少し肌寒い秋の風が通り抜けるだけの、ひどく静かな青空だった。
空港までの見送りなんて大袈裟なイベントは、そこにはなかった。
ただ、いつも通りの別邸の玄関で、その「出発」はあまりにもあっけなく執行された。
「じゃ、行ってくるわ、バカ!」
大きなリュックを背負い、採用試験というよりは完全に修学旅行前夜のテンションで
パスポートを振り回している大型犬。
「うん……気を付けてね、拓海さん」
「おう!」
拓海は屈託なく笑った。
「ちゃんとラーメンの写真、ログ(LINE)で送るからな!」
「それは別にいらないです」
「なんでだよ!」
「興味ないので」
「あるだろ!」
「ありません」
「ある!」
「ありません」
「ある!」
いつもの不毛な応酬。
いつもの日常。
そして。
「じゃあな!」
バタン。
重厚な扉が閉まる。
それだけだった。
拓海にとっては、試験、実家、地元の友人、そして美味い白米。
そのすべてが「前向きな楽しみ」でしかない三週間の始まり。
けれど。
そのドアの閉まる音が、ロンドンに残された者たちの日常に、
最初の静かな空白を刻み込んだ瞬間だった。
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夜。
学園都市別邸のダイニング。
いつもなら、
「おいエド、バカ! さっきから何真顔で新聞読んでんだよ!」
という騒がしい声が響いているはずの空間は、今、暖炉の薪が爆ぜる音しか聞こえないほどの
静寂に支配されていた。
エドワード・ハミルトンは、いつものソファに座り、ハミルトン帝国の膨大な資料へ目を通していた。
だが。
灰色の瞳は、一度もページをめくらない。
ただ対面にある、誰も座っていないソファへ向けられていた。
そこはいつも。
拓海が勝手に寝転び。
勝手にポテトを食べ。
勝手に文句を言い。
勝手に笑っている場所だった。
エドワードは静かに息を吐く。
「……三週間、か」
漏れた言葉は、それだけだった。
完璧な親友。
忠実な守護者。
ハミルトン家の魔王。
その全てを演じ続けると決めた男にとって、この三週間は妙に長かった。
彼がいない未来。
それを先取りして見せられているような、不思議な静寂だった。
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同じ頃。
文香は自室のベッドの上でスマートフォンを見つめていた。
(今頃、飛行機かな……)
画面を開く。
閉じる。
また開く。
最後のメッセージは、
『ヒースロー着いた、バカ!』
という、いつも通りの雑な一文だった。
返信を書いては消す。
書いては消す。
送るほどでもない。
でも送りたい。
そんな曖昧な気持ちだけが残る。
返事を待つという行為が、こんなにも落ち着かないものだとは知らなかった。
旅行の時は違った。
手を伸ばせばそこにいた。
隣を見ればいた。
声を掛ければ返事が返ってきた。
けれど今は違う。
飛行機で半日以上。
時差もある。
地球の反対側。
「居ない」
たったそれだけの事実が、想像以上に重かった。
文香はスマートフォンを胸の上へ置き、小さく目を閉じた。
(……そろそろ、日本に着いたかな)
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翌日。
専門研究室。
静かな空気のなか、文香はノートを開いたまま、ぼんやりとページを眺めていた。
「フミカ?」
聞き慣れた声。
顔を上げる。
金髪に青い瞳の同級生ークリストファーだった。
「課題、大丈夫?」
「あ、うん」
「顔色が良くないから」
「そんなことないよ」
「そう?」
クリストファーは苦笑した。
「ああ、そうだ。彼、日本に行ったんだっけ」
「うん」
「無事着いた?」
「多分もう着いてると思う」
「そっか」
クリストファーは安心したように頷いた。
「長旅だからね」
ただ、それだけだった。
悪意もない。
距離を詰める意図もない。
ただ、親切な同級生として心配しているだけだ。
けれど。
研究室の静けさのなかでも、文香の意識は何度も日本へ飛んでいく。
今頃何をしているのだろう。
面接の準備だろうか。
実家だろうか。
それとも本当にラーメンを食べているのだろうか。
本人がそこにいないというのに。
その不在だけが、妙に大きな存在感を持っていた。
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その頃。
地球の裏側。
日本・羽田空港。
「あーーーーっっっっっ!!!!!!」
到着ゲートから大型犬が飛び出した。
「日本だ!!」
周囲の視線など気にしない。
「マジで空気が日本だろこれ!!」
テンションが高い。
異常なほど高い。
「潮の匂いっていうかよ!! 日本の匂いだろこれ!!」
長時間のフライトによる疲労など存在しなかった。
「よし!!」
拓海は拳を握る。
「まずラーメンだ!!」
優先順位第一位。
「それから実家!」
第二位。
「試験はその後!!」
第三位だった。
ロンドンの静寂も。
恋人の不安も。
魔王の沈黙も。
今のこのラーメン100%の大型犬には、”一ミリも”届いていなかった。
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■ジョージの機密ログ(十月三日・別邸リビング:魔王の時計停止と、地球の裏側の猛獣編)
十月三日。
サエキ出発の翌日。
僕は、ハミルトン様がサエキの空っぽになったソファを、
お茶が完全に冷めきるまで一時間以上も真顔で眺めているのを観測したよ。
サエキ。
君は本当に、ロンドンに居ないだけで全員の情緒を機能停止させる猛獣だね。
君はラーメンだ、と騒いでいる。
君は実家だ、と騒いでいる。
君は試験だ、と騒いでいる。
だがその間。
君の恋人は既読のつかない画面を見つめ。
君の相棒は空席になったソファを見つめている。
本人だけが楽しそうなのだから、本当に質が悪い。
ハミルトン様。
君は今、サエキの部屋の消灯ログを確認する必要がなくなって、
完全に持て余した余白と戦っているね。
今は。
本人が登場しないのに、存在感だけで全員の胃を痛くさせている
『不在』という現象を観測するとしよう。
ジョージの観測日記。
経過観察を1200%冷徹に継続させてもらうよ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




