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幕間 「聖夜とは、ロマンチックなイベントではなく、幸せの絶頂にいる大型犬が無自覚に放つ重力によって、ロンドンの魔王の知性がじわじわと曇り始める現象のことである」という話

拓海・・だめじゃんw

十二月中旬。

クリスマスを目前に控えたロンドンは、一年で最も華やかな季節を迎えていた。


街路樹にはイルミネーションが灯り、ショーウィンドウには赤と金の装飾が並び、

どこへ行ってもクリスマスソングが流れている。


そんな浮かれた空気は学園都市にも容赦なく侵入し、別邸のダイニングにまで到達していた。


そして現在。

その影響を最も深刻に受けている人間が一人いた。


もちろん佐伯拓海である。


「あー、クソ。街中どこ行っても人だらけだな、バカ!」


朝食の席に着くなり、拓海は不満そうに言った。

しかしその顔はまったく不満そうではない。


むしろ妙に機嫌が良い。


「昨日もさ、文香と駅前歩いてたらクリスマスマーケットやっててよ。

ちょっと寄ったんだけど、あいつホットワイン見て『これ飲んだら絶対倒れます』とか言うんだぞ。

バカだろ」


「…………」


「しかもチーズ食っただけで感動してるし。日本のチキンが食べたいとか言うし。可愛いよな、バカ」


「…………」


「なぁエド、クリスマスに使えそうな店知らねぇか? 文香と行くんだけど」


「…………」


エドワード・ハミルトン。

本日最高の曇り空。


怒っているわけではない。

不機嫌なわけでもない。


ただ。

静かに曇っている。


拓海は気付いていない。

ジョージは気付いている。

本人だけが気付いていない。


最近の拓海は、会話の三回に一回くらいの割合で文香の名前を出す。


何かを見ても。

何かを食べても。

何かを思い出しても。


最終的に文香へ着地する。


本人はまったく無自覚だった。


「文香、本好きなんだよ」


「文香、この映画好きそうなんだよな」


「文香、甘いもん好きらしい」


「文香がさ」


「文香がな」


「文香――」


エドワードは静かに紅茶を飲んだ。


冷静に。

優雅に。

完璧な貴族らしく。


だがその内心では。


(タクミ……)


という言葉が三十回ほど繰り返されていた。


別に文香が嫌いなわけではない。

会ったことはないが、話を聞く限り良い子なのだろう。


タクミも幸せそうだ。

それは喜ばしい。

本当に喜ばしい。


だが。

なぜだろう。


タクミの口から「文香」という名前が出るたびに、胸の奥が少しだけ重たくなる。


理由は分からない。

分かりたくもない。


「なぁエド」


「何だ」


「前にもいったけどさ、お前もいい加減彼女作れよ」


ジョージが危うく紅茶を吹いた。


「顔はいいし」


「…………」


「金あるし」


「…………」


「頭もいいし」


「…………」


「全くなんで作んねぇんだ?」


拓海は本気で不思議そうだった。


本気だから困る。


「私は今の生活で不自由していない」


「いやいや、絶対いた方がいいぞ」


拓海は断言した。


「文香と付き合って分かった」


エドワードの眉がぴくりと動く。


「彼女っていいぞ」


ジョージは腹筋が限界だった。


「サエキ」


「なんだ?」


「その話題、今日だけで七回目だよ」


「マジか?」


「マジだよ」


「へー」


本人は本当に自覚がなかった。

ジョージはついに堪えきれず笑い出した。


「っぶは!! サエキ、君さぁ! 完全に付き合いたての大型犬じゃないか!」


「うるせぇ!」


「見てごらんよ、ハミルトン様を!」


「ん?」


拓海が隣を見る。


エドワードはいつも通り新聞を読んでいた。


完璧に優雅だった。

完璧に平静だった。


だがジョージには分かる。


新聞を読む速度が普段の三分の一になっている。


紅茶ももう冷えている。


つまり。

順調に曇っている。


「エド?」


「何だ」


「大丈夫か?」


「問題ない」


即答だった。


ジョージは思った。

問題しかない。

だが、それを口にすると面白すぎるのでやめておいた。


クリスマスまで、あと十日。

幸せそうな大型犬はまだ何も知らない。

ロンドンの魔王もまた、自分の曇りの正体をまだ知らない。


そしてジョージだけが、そのすべてを最高に楽しそうな顔で観測しているのだった。


■ジョージの機密ログ(十二月中旬・別邸:聖夜と曇り空編)


十二月中旬。


サエキは本日、「文香」という単語を二十七回使用した。


ハミルトン様は紅茶を三回淹れ直した。

なお、本人たちはどちらも理由を理解していない。


極めて平和なクリスマス前である。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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