第三十一話 「深夜の厨房は、ダンジョンだ」という話
生ハムに醤油は合わない気もするが。塩分を求めていたということで?
風呂上がり。
拓海は、エドワードに半ば強制的に渡された「無駄に強度の高いシルクのパジャマ」
を身に纏い、ベッドの上で仰向けになっていた。
やけに光沢がある。
そして、落ち着かない。
「……なんだこれ、……戦闘服か?」
呟いてみても、答える相手はいない。
静かだ。
広い客室。
重厚な天井。
分厚いカーテン。
完璧すぎて、逆に落ち着かない。
……そして。
「……腹減ったな」
原因は明白だった。
あの夕食。
豪華だったのは間違いない。だが、緊張でほとんど味が分からなかった。
結果、今になって反動が来ている。
拓海はゆっくりと起き上がった。
「……行くか」
目指すは厨房。
昼間に一度通った記憶がある。
たぶん、あっちだ。
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夜のハミルトン邸は、昼間とは別の建物のようだった。
灯りは最小限。
月明かりだけが廊下を照らしている。
「……なんだよこれ」
思わず小声になる。
「RPGのダンジョンかよ……」
壁際に並ぶ甲冑が、やけに存在感を放っている。
今にも動き出しそうだ。
拓海は、足音を殺して進む。
ややあって。
「……止まれ」
背後から声。
低く、抑えた声だった。
「侵入者か」
(終わった)
一瞬で理解した。
不審者扱いだ。撃たれる。
ゆっくり振り返る。
「……タクミか」
そこにいたのは。
同じくシルクのパジャマを着た、エドワードだった。
手には、なぜか銀のトレイ。
目は、妙に鋭い。
「……エド。……お前、何してんだよ」
「隠密行動だ」
即答だった。
「深夜の栄養摂取は、騎士における重要な生存戦略だからな」
「ただの夜食だろ」
「否定はしない」
間。
「……お前も腹減ったのか」
「ハミルトンの夜は長い」
答えになっていないが、肯定と受け取ることにした。
拓海は小さく息を吐く。
「……じゃあ、行くか」
「合理的だ」
二人は、無言で頷いた。
共犯者として。
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厨房へ向かう廊下。
二人は揃って、抜き足差し足で進む。
「……タクミ、左だ」
「ん?」
「そこは『ケルベロス』の縄張りだ」
「誰だよ」
「老執事だ」
「執事を番犬扱いすんな!」
思わず声が大きくなる。
二人同時に、ぴたりと止まる。
静寂。
何も起きない。
「……行け」
「お前が言うな」
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やがて辿り着いた厨房は、昼間とは別物だった。
広くて、静か。
そして、どこか物々しい。
「……戦場だな」
エドが呟く。
「ただのキッチンだよ」
だがその規模は、確かに“戦場”に近かった。
巨大な冷蔵庫。
吊るされた銅鍋。
整然と並ぶ道具。
エドワードは迷いなく奥へ進み、扉を開ける。
「……あった」
引きずり出されたのは。
巨大な生ハムと、強烈な香りを放つチーズ。
「……タクミ」
振り返る。
「これが、今日の戦利品だ」
「戦利品言うな」
「だが」
一拍。
「何かが足りない」
拓海は無言で、パジャマのポケットに手を入れた。
ニヤリと笑みを浮かべて取り出す、
小さな袋。
「……これだろ」
醤油。
最後の一つ。
エドワードの目が、明らかに変わる。
「……救世主だな」
「ただの調味料だ」
だが、その一滴の価値は高い。
拓海が生ハムを薄く切る。
エドワードは無駄に正確なナイフさばきで補助する。
その上に、醤油を落とす。
ぽたり。
「……食え」
エドワードは、静かにそれを口に運んだ。
沈黙。
そして。
「……これは」
目が見開かれる。
「塩分の暴力だ……!」
「言い方」
「脳が、更新される……」
本気だった。
拓海は肩をすくめる。
「だから言っただろ。醤油は裏切らねぇ」
それからは、無言だった。
生ハム。
チーズ。
醤油。
ただそれだけ。
だが、妙に満たされる。
「……タクミ」
「ん?」
「このショウユの強度は、軍事機密レベルだ」
「ただの調味料だって言ってんだろ」
「……チーズにも適用する」
「やめろ」
止める間もなく、実行される。
「……発酵と発酵の、融合だ」
「宣戦布告の間違いだろそれ」
だが、否定しきれない味だった。
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気がつけば、時間は過ぎていた。
東の空が、わずかに明るい。
「……帰るか」
「合理的だ」
撤退。
静かに。
来たときと同じように。
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客室に戻り、ベッドに倒れ込む。
満腹。
そして、妙な疲労。
「……やばいな」
腹を押さえる。
「別の意味で」
そのとき。
隣の部屋から、声。
「……タクミ」
「なんだよ」
「明日も遠征(夜食)に行くぞ」
「寝かせろ」
即答だった。
「……あー、もう」
天井を見上げる。
「落ち着かねぇ……」
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翌朝。
厨房のゴミ箱を覗き込んだ老執事が、ひとつの小袋を手に取る。
「……ショウユ……?」
わずかに首を傾げた。
「……東洋の、刺客?」
と首を傾げたのは、また別の話である。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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