第三話 「誰も逆らわない環境は便利だが、時として『それは頼む態度じゃない』と言ってくれる人間の方が有益である」という話
コメディ苦手…
クレストフィールド学院、中庭。
昼休みの中庭は、穏やかな時間が流れていた。
手入れの行き届いた芝生。
規則正しく並ぶ花壇。
談笑する生徒たちも、声を張り上げることはない。
一定の距離を保ち、必要以上に踏み込まない。
それが、この学校では当たり前だった。
だからこそ。
「なあ、それ貸してくれよ!」
一人だけ、やたらと声が大きい。
「あ、ああ……」
突然話しかけられた生徒は少し戸惑いながら本を差し出した。
「サンキュー」
屈託なく笑う。
距離が近い。
遠慮がない。
それが”佐伯拓海”だった。
日本から来た留学生。
制服はきちんと着ているようで、どこか着崩れている。
歩き方も話し方も自由だった。
この学校の空気には、まるで馴染んでいない。
いや。
馴染もうとしていないようにも見えた。
それでも不思議と嫌味がない。
気づけば誰かと話し、笑い、周囲を巻き込んでいる。
浮いている。
完全に浮いている。
なのに、どこか楽しそうだった。
その時だった。
「タクミ」
静かな声。
それだけで中庭の空気が少し変わる。
何人もの生徒が自然と道を空けた。
”エドワード・ハミルトン”。
次期伯爵。
教師でさえ一歩引いて接する相手だった。
エドワードは真っすぐ拓海の前まで歩いてくる。
「来い」
短く告げた。
命令だった。
迷いも遠慮もない。
周囲の視線が一斉に集まる。
だが。
「やだ」
拓海は即答した。
一瞬、中庭が静まり返る。
エドワードがわずかに眉を寄せる。
「……何?」
「それ、人に物頼む口調じゃないだろ」
あっさりと言う。
気負いもない。
周囲がざわついた。
(今、断った……)
(ハミルトンを……?)
誰もそんな真似はしない。
できない。
それが当たり前だった。
エドワードはしばらく黙っていた。
翡翠の瞳が拓海を見つめる。
拓海も目を逸らさない。
沈黙だけが流れる。
やがてエドワードは小さく息を吐いた。
「……頼む」
ほんの少しだけ口調を和らげる。
「教えてくれ」
その一言に、周囲はさらに驚いた。
(頼んだ……?)
(ハミルトンが?)
拓海は肩をすくめる。
「最初からそう言えよ」
それだけだった。
怒っているわけでもない。
勝った負けたでもない。
終わった話、と言わんばかりに歩き出す。
エドワードも何も言わず、その隣へ並んだ。
距離が近い。
近すぎる。
エドワードは年齢のわりに華奢だった。
白金色の髪。
整いすぎた顔立ち。
ときどき少女のようだと囁かれることもある。
本人は、その言葉を嫌っていた。
だから背筋を伸ばし、隙を見せない。
誰にも踏み込ませない。
……はずだった。
「で?」
拓海が歩きながら聞く。
「何だ」
「今日は何教えりゃいい?」
「昨日の続きだ」
「日本語?」
「そうだ」
「えらい熱心だな」
「必要だからだ」
迷いのない返事だった。
拓海は少し笑う。
「お前さ」
「何だ?」
「なんでそこまで読めるようになりたいんだよ」
少しだけ間が空く。
エドワードは前を向いたまま答えた。
「読めないからだ」
短い。
それだけだった。
理由らしい理由にもなっていない。
なのに、不思議と納得できる答えだった。
「……そっか」
拓海はそれ以上聞かなかった。
聞く必要はないと思った。
エドワードも続きを話さない。
その沈黙は、不思議と居心地が悪くなかった。
やがてエドワードが口を開く。
「タクミ」
「ん?」
「『よろしく』は正しく使えているか」
「いきなりどうした」
「確認だ」
真顔だった。
拓海は吹き出しそうになる。
「まあ、使えてるんじゃね?」
「そうか」
小さく頷く。
そして姿勢を正し、
「ヨロシク」
「今じゃねぇ」
思わず笑いながら突っ込む。
また周囲がざわつく。
(またハミルトンが日本人と話してる)
(最近ずっと一緒じゃないか)
そんな視線など気にも留めず、エドワードは少し考え込む。
「難しいな」
「だろ?」
「だが」
その時だけ。
ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「面白い」
その笑顔は
いつもの次期伯爵ではなく、ただの十四歳の少年に見えた。
拓海は思わず笑う。
「ほんと、めんどくせぇやつ」
そう言って歩き出す。
エドワードも当然のようについていく。
気づけば二人の距離は、誰よりも近くなっていた。
この学校では誰もが互いに一定の距離を保つ。
近づきすぎず、踏み込みすぎず。
それが礼儀だった。
けれど。
その輪の中心にいる二人だけは、最初からその"普通"を知らなかった。
だからこそ。
誰よりも近く、
誰よりも自然に隣を歩いていた。
―それが、この学院の日常を少しずつ変えていくことになるとは、
まだ誰も知らない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




