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第二話 「日本語とは、覚えるほど意味が分からなくなる言語である」という話

なんか違う日本語講座?

談話室では、今日も暖炉の火が静かに揺れていた。

窓の外は薄曇り。

授業が終わった生徒たちが思い思いに本を読んだり、チェスを指したりしている。


その片隅。

窓際のソファだけは、どこか違う空気が流れていた。


「タクミ」


本を読んでいた拓海は顔を上げる。


「ん?」


向かいに座るエドワードは、今日も真剣そのものだった。


膝の上には『枕草子』。

隣にはびっしり書き込まれたノート。


「春はアケボノ、とは何だ」


「……またそこか」


思わず苦笑する。

昨日から何度目だろう。


「どこで詰まってる」


「アケボノだ」


「やけにピンポイントだな」


エドワードは小さく頷いた。


「曙、という言葉は知っている」


「へぇ」


少し感心する。


「漢字まで知ってるとか、やるじゃん」


「日本の店で見た」


「店?」


「瓶に書いてあった」


「ああ……」


なんとなく想像がつく。

日本食を扱う店なら、そういう商品くらい置いていてもおかしくない。


「それと」


エドワードは続けた。


「アケボノという力士がいるのだろう」


「おい、なんで知ってんだよ」


「調べた」


無駄に真面目だった。

エドワードは一本指を立てる。


「つまり、春はアケボノ。すなわち、春には曙が最も優れている」


「……まあ」


一瞬だけ考える。


「そんな感じ」


(全然違うけど)


「やはりそうか」


疑いもしない。

エドワードはノートを開き、さらさらと書き始めた。


春=アケボノ(日本の食文化)


「おい待て」


「季節ごとに食が異なるのは合理的だ」


「そこじゃねぇ」


「冬はどうなる」


「知らん」


「重要だろう」


真顔で言うな。

拓海は思わず額を押さえた。


「タクミ」


「なんだ」


「なぜ空を見て食欲が湧くのだ」


「……は?」


「アケボノは空の色なのだろう?」


そこでようやく気付く。


ああ。

そういう勘違いか。


「そうそう」


拓海は苦笑しながら説明する。


「夜明け前の空のこと。少しずつ明るくなってくる時間帯」


エドワードは黙って聞いていた。

そしてノートを書き直す。


春=夜明けの空


「そうだ、それ」


「だが」


顔を上げる。


「先ほどは食べ物と言ったな」


「……」


逃げられない。


「まあいい」


拓海は肩をすくめる。


「日本人は空見て腹減るんだよ」


「なるほど」


さらさらと、また書き留めている。


”日本人は空に食欲を感じる民族”


「書くな」


「違うのか」


「違う」


「……そうか」


そう言いながらも、消す気配はなかった。


(もう好きにしてくれ)


拓海はため息をつく。


「で?」


話題を変える。


「他に覚えたい言葉でもあんのか」


「ある」


即答だった。


「感情を強調する言葉だ」


「文学には必要だからな」


「その通りだ」


無駄に正論で返される。

拓海は少し考えたあと、にやりと笑った。


「じゃあまずは『マジか』」


「マジカ」


「驚いた時に使う」


「なるほど」


「あと『やばい』」


「ヤバイ」


「良い時でも悪い時でも使える。便利な言葉」


「便利だな」


「便利だ」


エドワードは頷いた。

そして、すぐに実践する。


「春はアケボノ」


一拍。


「……ヤバイな」


「やめろ」


思わず吹き出す。


「なぜだ」


「使い方が違う」


「強い感情なのだろう」


「そうだけど」


「私は今、強い興味を抱いている」


真顔だった。


「だからヤバイ」


「……まあ、間違ってはないんだけど」


惜しい。

全部惜しい。


少し考え込んだエドワードは、今度は自信ありげに口を開く。


「マジか」


「うん」


拓海は笑う。


「全部ズレてる」


しばらく沈黙が流れた。


暖炉が、ぱちりと音を立てる。


エドワードはノートを閉じ、小さく息をついた。


「日本語は難しいな」


「だろ?」


「だが」


静かな声だった。


「面白い」


その一言が妙に嬉しくて、拓海は少しだけ笑う。


「お前、そんなんじゃ将来自分の子供に変な日本語教えることになるぞ」


軽口のつもりだった。


だが。

エドワードは珍しく黙った。


視線をノートへ落としたまま、小さく呟く。


「……子供か」


少しだけ考えるような間。

そして顔を上げる。


「もし私に子が生まれたら」


さらりと言う。


「お前が名付け親になれ」


「……は?」


あまりにも唐突だった。


「日本語で、『ヤバイ』と名付けよう」


「絶対やめろ」


即答だった。


「なぜだ」


「なぜでもだ」


「強い言葉なのだろう」


「そういう問題じゃねぇ」


「では、『マジカ』はどうだ」


「もっとやめろ」


真顔で候補を増やすな。


エドワードは腕を組み、小さく唸った。


「……難しいな」


「当たり前だ」


拓海は笑いながら肩をすくめる。

するとエドワードは、ふっと表情を和らげた。


「その時は」


静かに言う。


「ちゃんとした名前を、お前に考えてもらう」


軽く言っただけのはずなのに。

その言葉だけは、不思議なくらい真っ直ぐだった。


拓海は一瞬だけ返事に詰まる。

それから照れ隠しのように視線を逸らした。


「……知らねぇよ」


そう答えると、エドワードは小さく笑った。


暖炉の火が、ぱちりと弾ける。

今日もまた、一つ間違った日本語が増えた。


そしてきっと。

本人たちも気づかないまま、二人だけの言葉が少しずつ増えていくのだった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。


この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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