第一話 「出会いとは、「なんだお前?」から始まることもある」という話
前から出そうかなと思っていた拓海とエドワードの話です。そんなに長くはならないかと思うので、気軽に読んでいただけると嬉しいです!!
英国の名門寄宿学校『クレストフィールド学院』。
この日、佐伯拓海はまだ知らなかった。
英国で出会った一人の少年が、自分の人生をここまで掻き回し、親友となり、数十年後には家族になり、それでもなお、一番面倒くさい相手であり続けることを。
もちろん。
エドワード・ハミルトンも知らない。
日本語を教えてほしい。
その、たった一度の頼み事が、自分の人生最大の「よろしく」になることを。
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石造りの校舎を歩きながら、拓海は小さくため息をついた。
静かすぎる。
廊下には生徒がいる。
教師もいる。
それなのに騒がしくない。
誰もが背筋を伸ばし、必要以上の声を出さず、品よく歩いている。
日本の学校とはまるで違った。
というより、ここまで来ると学校というより別世界だ。
「……無理だろ、これ」
思わず呟く。
もちろん誰も返事はしない。
佐伯拓海、十六歳。
母親の一存で半ば強制的に英国へ送り込まれた留学生である。
英語はできる。
勉強も嫌いじゃない。
だが、それとこれとは話が別だった。
”場違い”。
そんな言葉が頭の中をぐるぐる回る。
ここにいる生徒たちは皆、この学校で学ぶことが当たり前のような顔をしている。
自分だけが違う。
そんな気がしてならなかった。
「とりあえず静かなとこ……」
いや、どこも静かだった。
自分で言って苦笑する。
それでも人の少ない場所を探して歩き回り、辿り着いたのは談話室だった。
暖炉。
革張りのソファ。
壁一面の本棚。
窓から差し込む柔らかな午後の日差し。
まるで映画のセットみたいな空間だった。
「……落ち着くな」
ようやく肩の力が抜ける。
何となく本棚へ目を向ける。
その時だった。
「うわ、懐かし」
思わず声が漏れた。
見覚えのある装丁。
文庫本。
しかも日本語。
英国の寄宿学校の談話室にあるはずのないものだった。
近づいて、背表紙を読む。
『枕草子』
なんでこんなところにあるんだ。
そう思った直後だった。
その本を読んでいる人物に気づく。
窓際のソファ。
金髪の少年が一人、本を開いていた。
綺麗な髪だった。
午後の日差しを受けて、白金色に見える。
顔立ちも整っている。
最初の一瞬だけ女子かと思ったくらいだ。
だが、近づくと違う。
姿勢がいい。
というより良すぎる。
本を持つ手も、座り方も、視線の動かし方も。
育ちの良さが隠しきれていない。
いかにもこちら側の人間だった。
そんな相手が。
「……はる、は……?」
困っていた。
完全に。
拓海は思わず声をかけた。
「それ、枕草子だろ?」
ぴたりと動きが止まる。
ゆっくり顔が上がった。
綺麗な翡翠の瞳。
整った顔立ち。
そして次の瞬間。
「お前、日本人だろ!」
やたら声が大きかった。
談話室の空気が一瞬で固まる。
周囲の視線がこちらへ向く。
当の本人だけが気づいていない。
「日本語……日本語を教えてくれ!」
いきなりだな。
拓海は思わず眉をひそめた。
「……なんだお前?」
すると相手の眉もぴくりと動く。
「その本が読みたい」
「だから?」
「読めない」
数秒。
沈黙。
それから。
「あはは」
思わず笑ってしまった。
「へぇ。英国紳士サマでも読めねぇもんあるんだな」
青い瞳が細くなる。
少しだけ不機嫌そうだった。
「教えるのか、教えないのか」
「偉そうだな」
「頼んでいる」
「頼み方がなってねぇ」
空気がぴりりと張る。
初対面。
なのに妙な遠慮がない。
どちらも一歩も引かない。
不思議な感覚だった。
すると少年は静かに本を閉じた。
そして真っ直ぐ拓海を見る。
「私は読めるようになる」
はっきりとした声だった。
迷いがない。
「だから、お前が必要だ」
拓海は一瞬だけ言葉に詰まった。
変なやつだ。
普通ならもっと遠回しに頼むだろう。
だが目の前の金髪は違う。
”必要だから頼む”。
ただそれだけだった。
妙に真っ直ぐで。
妙に不器用だった。
「……名前は?」
少年が少しだけ目を見開く。
それから答えた。
「エドワード・ハミルトン」
「あー、長ぇな」
「……何だと」
「エドでいいか?」
一拍。
ほんのわずかな沈黙の後。
「勝手にしろ」
どこか諦めたような返事だった。
「よし、決まり。」
拓海は勝手に隣へ腰を下ろした。
「いいか。最初に覚えるのはこれだ。」
「何だ。」
「よろしく。」
エドワードは静かに繰り返した。
「ヨロシク。」
「そう。それ、日本語で一番使う。」
「意味は?」
拓海は少し考えてから笑う。
「まぁ、一緒にやってこうぜって感じ。」
エドワードは一度だけ頷いた。
「なるほど。」
そして、もう一度。
「ヨロシク。」
今度は発音も完璧だった。
拓海は笑う。
「おう。よろしく。」
暖炉の火が、小さく弾けた。
二人は、それから毎日のように談話室で本を開くようになる。
最初は日本語。
やがて歴史。
文学。
政治。
夢。
互いの国。
話題は少しずつ増えていった。
この日。
一冊の『枕草子』から始まった時間は、
やがて二人の人生を大きく変えていく。
そのことを。
この時の二人は、まだ知らない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




