第二百六十二話 「荷造りとは、残される者と先に行く者を生む儀式である」という話
さ、東京ニート編の開幕ですね
六月。
卒業式の喧騒が嘘のように、寮は静かだった。
昨日まで廊下を埋めていた笑い声も、怒鳴り声も、誰かの歌声もない。
聞こえるのは、遠くで扉が閉まる音と、段ボールを擦る乾いた気配だけだった。
【A:寮・サエキの部屋】
ガムテープを引く音が、やけに大きく響く。
拓海は足元の箱へ、無造作に荷物を放り込みながら言った。
「……おい、エド。このボロボロのラグビーソックス、捨てるぞ」
「捨てるな」
即答だった。
「それは、お前が初めてレギュラーを勝ち取った試合の泥が付着している」
「気持ち悪ぃ言い方すんな」
「聖遺物だ」
「お前が持つと呪物になるんだよ、バカ」
拓海はソックスを丸めて箱へ放り込んだ。
エドワードは本気で止めようとしていた。
【B:ロンドン・ヒースロー空港】
その頃、ジョージは新品のライカ M11を首から下げ、
チェックインカウンターに並んでいた。
スーツケース一つ。
身軽な旅支度だった。
「……お先に」
搭乗券を受け取り、行き先を見る。
TOKYO / HANEDA
ジョージは口元だけで笑った。
「僕だけ先に、次章へ行かせてもらうよ(笑)」
そのまま何事もない顔で、ゲートの向こうへ消えていく。
【A:寮・空っぽのクローゼット】
拓海は、何もなくなった棚を見つめて手を止めた。
制服も。
本も。
積み上げた雑貨も消え、そこには木目だけが残っている。
「……こんな広かったっけ、この部屋」
ぽつりと漏れた声は、自分でも意外なほど小さかった。
少しして、思い出したように振り返る。
「そういや、ジョージの奴どこ行った? 挨拶もなしに消えやがって」
「知らん」
エドワードは窓の外を見たまま答える。
「家族旅行ではないか。あいつにも私生活くらいあるだろう」
「急に人権認め始めたな」
「元からある」
「今までの扱い見てると信じられねぇよ」
エドワードは一ミリもこちらを見なかった。
【B:高度一万メートル】
シートベルト着用サインが消える。
ジョージは機内Wi-Fiを繋ぎ、スマホを開いた。
送信先――エドワード・ハミルトン。
『ミッションコード:BAKA
先行するよ、ハミルトン様(笑)』
数秒後、即返信。
『着いたら報告しろ。
一分の遅滞も許さん』
ジョージは肩を揺らして笑う。
「素直に寂しいって書けばいいのにね(笑)」
【A:寮・黄昏の部屋】
窓から差し込む夕日が、ほとんど空になった部屋を橙色に染めていた。
残っているのは、閉じられた箱と、ベッドと、二人だけ。
「……なんだよ、エド」
拓海は最後の箱に手を置いたまま言う。
「さっきからスマホばっか見て」
「データ整理だ」
「寂しいなら、そう言えよ。バカ」
「誤診だ」
即答だった。
けれどスマホを持つ指先が、わずかに震えている。
拓海はそれに気づいたが、何も言わなかった。
ただ静かに、最後の段ボールの蓋を閉じる。
部屋の中に、小さな終わりの音が響いた。
本当に面白い登場人物は、忘れた頃に玄関から現れる。
千代田区の静寂が破られるまで、あと少し。
■ジョージの機密ログ(六月:密命の翼)
六月。旅立ちの刻。
僕は、サエキが「自分だけが帰る」と思っているその横で、
ハミルトン様の執着を背負って極東へ飛んでいる。
サエキ。
君の部屋は空っぽになった。
でもハミルトン様の心は、君への未練でパンパンだよ。
ジョージという名の弾丸が、一足先に君の故郷へ着弾しようとしているんだ。
……いやー、重いね(笑)。
■ジョージ幕間(観測ログ:00-BAKA・極東先行編)
六月。機内食配布中。
エドワード(依頼主):
サエキに寂しさを悟られぬよう、完璧なすっとぼけを実行。しかし送信メールは監視官そのもの。
ジョージ(先行観測員):
「いやー、素直じゃないね(笑)。“サエキより先に日本に馴染んでおけ”って無茶振りされたよ」
拓海(無自覚な獲物):
「家族旅行か……優雅な野郎だな」と完全に騙されている。数日後、
自宅の玄関にライカを構えたジョージが立っているとも知らずに。
(追記)
ジョージは、窓の外に小さくなっていく英国の地を見下ろし、シャッターを切った。
「待ってろよ、千代田区の野生児」
そして笑う。
「ハミルトン様。君が一番見たいのは、日本で再会した時の彼の驚いたバカ面なんだろうね(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




