第二百五十六話 「今とは、永遠の対義語ではなく、失う直前になって初めてその価値に気づく、ひどく短い季節のことである」という話
去る方も去られる方も寂しいのが「卒業」でしょうかね!
■拓海:夕暮れの校庭にて
放課後の校庭。
進路の話で賑わう教室の喧騒を背に、拓海は一人、古びたラグビーボールを足先で蹴り上げていた。
芝を踏む感触。
冷たさを帯び始めた春の風。
遠くで鳴る、寮へ戻る鐘の音。
最初は、何もかもが馴染まなかった。
言葉も、飯も、空気も、人間関係も。
やたら偉そうで、理屈ばかりこねる金髪のバカも。
それが今では、呼吸をするのと同じくらい自然な景色になっている。
「……なんだかんだ、楽しかったな」
日本へ帰るのは、自分で決めたことだ。
家のこともある。
菜摘のこともある。
自分の人生も、ちゃんと考えなきゃならない。
けれど、ここを離れたいわけじゃない。
二年もすれば戻ってくる。
だから、永遠の別れみたいな顔をしているエドワードの気持ちは、正直よく分からない。
あいつは昔から大袈裟だ。
理屈っぽくて、面倒で、俺がいないとたぶん少しダメになる。
「……ま、また来るしな」
拓海はボールを抱え直す。
少しだけ寂しそうに。
それでも迷いのない足取りで、夕闇に染まり始めた寮へ向かって歩き出した。
■エドワード:無人の図書室にて
窓から差し込む斜光が、いつもの席だけを静かに照らしていた。
エドワードは一人、開いたままの本にも目を落とさず、その向かいの空席を見つめている。
静かすぎる。
かつてはこの静寂こそが、自分の理性が最も美しく回転する条件だったはずだ。
だが今は違う。
この静けさは肺にまとわりつき、呼吸のたびに“欠落”を思い知らせてくる。
”サエキ拓海”。
私を変えた男。
私に真正面からぶつかり、私の世界の規則を書き換えていった、無礼で騒がしい野生児。
あいつがいなくなる現実を、私の理性はまだ正しく処理できていない。
あいつは笑って言うだろう。
“また戻る”と。
だが、二年後のあいつは、今この瞬間に悪態をつきながら笑っているあいつではない。
「二年後では遅いのだ、タクミ」
誰もいない図書室に、声だけが落ちる。
「……予約済みの未来など、今の私には何の救いにもならん」
欲しいのは、未来ではない。
私の隣で、理屈を台無しにして笑っている――今のお前だ。
■二人の時間:寮の廊下
「……おいエド。なんだその顔。葬式帰りか?」
寮へ戻る廊下で、拓海が呆れたようにエドワードの肩を小突いた。
「また来るって言ったろ。そんな終わったみたいな顔すんなよ、バカ」
エドワードは足を止める。
そして、逃がさぬように拓海の瞳を真っ直ぐ見つめた。
「タクミ。お前は分かっていない」
「何がだよ」
「二年後に、お前はもう二十歳になっている」
「当たり前だろ。人間なんだから歳くらい取るわ」
「違う」
その声は低く、かすかに震えていた。
「今のお前は、今しかいないのだ」
拓海は一瞬、言葉を失った。
いつものように「また明日」と言えば済むと思っていた日々が、
指の隙間から零れ始めている。
それを、初めてはっきりと知った。
「……わかってるよ、バーカ」
拓海はわざと乱暴にエドワードの頭を撫でると、そのまま前を歩き出した。
本音を一滴だけ、廊下の影に落として。
「……でも、俺は俺だよ」
振り返らずに続ける。
「予約なんかしなくても、お前の隣くらい……空けといてやるからさ」
エドワードは答えなかった。
ただ、その背中をいつまでも見ていた。
■ジョージの機密ログ(四月:夕闇の解像度)
四月。校庭と図書室。
僕はレンズ越しに、それぞれの孤独を見ているよ。
サエキ。
君の「また来る」は、ハミルトン様への優しさだ。
でも同時に、それは“今”という愛おしい時間を終わらせる、静かな宣告でもある。
ハミルトン様。
君が“今”に執着するのは、それだけ人生を彼に塗り替えられてしまった証拠なんだね。
■ジョージ幕間(観測ログ:00-BAKA・四月の残照編)
四月。談話室。
拓海(未来志向):
「また来る」を盾にして、寂しさから目を逸らしている。荷造りの進む部屋で立ち止まる回数が増えていることには、まだ気づいていない。
エドワード(今への執着):
二年間の空白を埋めるため、サエキの全言動を記録・保存しようとしている。その瞳は、永遠を望む子供のように真っ直ぐで、重たい。
ジョージ(情報分析官):
「いやー、しっとりしてるね(笑)。ハミルトン様、サエキの背中を見ながら“
あの曲線が六月には消える……”って、本気で落ち込んでたよ」
(追記)
「あーあ(笑)」
ジョージは、廊下の影で一瞬だけ互いに手を伸ばし、けれど触れずにやめた二人を見た。
そして静かにシャッターを切る。
「ハミルトン様。君がどれだけ“今”を嘆いても。彼が残していくその寂しさこそ、
君たちが確かにここで生きた証明なんだよね(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




