第二百五十四話 「方丈記とは、理屈屋が卒業日程を川へ流して無効化しようとする危険思想である」という話
刻一刻と迫る卒業っすね(`・ω・´)
四月、中旬。
中庭の緑は日に日に濃くなり、学園には春の匂いが満ちていた。
そんな穏やかな季節の中、図書室の一角だけは異様な緊張感に包まれている。
エドワード・ハミルトンが机に『方丈記』を見開きで固定し、逃げ場を失った拓海へ向けて指を突きつけていた。
「タクミ。これは明白だ」
「嫌な予感しかしねぇ」
「『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず』
―この“流れ”とは卒業手続きそのものを指す」
「違ぇよ!」
「そして“もとの水にあらず”とは、一度提出された書類であっても、
紛失すれば無効になるという意味だ」
「鴨長明に謝れバカ!!」
図書室に乾いたツッコミが響いた。
「どこをどう読んだら、不法残留のすすめになるんだよ!!」
「不法ではない。文学的延命措置だ」
「なお悪いわ!!」
エドワードは本気だった。
翡翠色の瞳には、六月という名の終着点へ向かう時間そのものを、
物理的にせき止めようとする危険な光が宿っている。
「流れるな、タクミ」
「無茶言うな」
「……六月へ行くな」
その声だけが、妙に静かだった。
「川の流れが物理現象なら、私は逆流を予約する」
「予約で自然法則に勝てると思うなバカ」
拓海は呆れたように笑い、窓を開けた。
春の風が吹き込み、古びた頁をぱらぱらとめくっていく。
「だいたいさ。水って、止まったら腐るだろ」
「……」
「流れるから綺麗なんだよ。泳いでいけばいいじゃん」
拓海は振り返らずに続けた。
「逆流なんてしなくても、海で繋がってんだろ」
騒ぎ疲れたあとの夕方。
寮の窓から、夕日に染まる中庭が見えた。
ラグビーの声も、下級生たちの笑い声も、少し遠い。
誰かが、小さく呟く。
「……本当に、流れていくんだな」
その声は、春の静けさに溶けて消えた。
流れに逆らって立ち尽くす男と、
その流れを楽しそうに泳いでいく男。
四月の風は、残酷なほど穏やかに、次の季節を運んでいた。
■ジョージの機密ログ(四月:鴨長明の誤算)
四月。黄昏時の図書室。
僕は見ていたよ。
ハミルトン様が、「止まった水(サエキとの今)」を両手ですくい上げようとして、
指の隙間から零れ落ちる時間に絶望しているのを。
サエキ。
君の「水は腐る」という言葉は、ハミルトン様にとって一番効く毒だったのかもしれない。
変わることを恐れず、先へ進む君の強さ。
それが今の彼には、少し眩しすぎたんだね。
ハミルトン様。
君がどれだけ古典を誤読しても、サエキ拓海という川の流れは、
もう海へ向かって勢いを増しているんだ。
■ジョージ幕間(観測ログ:00-BAKA・治水工事編)
四月。談話室。
エドワード(ダム建設者):
『方丈記』を「時間停止マニュアル」と誤認。寮の排水溝からサエキの卒業書類が流れないよう、勝手にフィルター設置計画を立て、事務局に怒られる。
拓海(水泳選手):
「止まったら腐る」と名言を放ち満足していたが、直後にエドワードから
「保存料(私への依存)を注入してやる」と言われ、全力で逃走。
ジョージ(情報分析官):
「いやー、無常だね(笑)。芭蕉の次は長明か。古典界のスターたちが、
全員ハミルトン様のストーカー理論に巻き込まれてるよ」
(追記)
ジョージは、夕闇の窓辺で、
「淀みに浮かぶうたかたは、私自身か……」
とメランコリックに呟くエドワードを激写した。
「ハミルトン様。君がどれだけ流れを止めても。君が本当に見たいのは、
新しい景色を見て笑う、彼の未来なんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




