第二百四十七話 「徒然とは、暇を意味する言葉ではなく、進路未定の男が現実逃避している状態を指すのである」という話
なかなか卒業まで進まない・・・
三月、初旬。
寮の談話室にて。
暖炉の火は穏やかに燃えていた。
窓の外では、春を思わせる風が校舎の尖塔を撫でていく。
その穏やかさを、担任教師の一言が粉砕した。
「サエキ。来週、進路面談だ。逃げるなよ」
「はぁ!?」
拓海は立ち上がった。
「なんで来週なんだよ! 急すぎるだろ! 来週の予定は来週の俺が決めるんだよ!」
「お前の来週は、今週の怠慢で埋まってる」
「名言みてぇに言うなよ!!」
教師が淡々と手帳を閉じる。
「卒業まで三ヶ月。進学希望者は願書準備、都市部へ出る者は住居確認、
推薦組は書類提出。上級生は全員動いてる。……お前以外はな」
「うっ……」
「だいたい何だ。『まだ三月』って。三月だからだ」
「三月の俺には三月の事情があんだよ! 四月の俺ならもっと真面目かもしれねぇだろ!」
「その四月のお前も同じこと言う」
「未来視やめろ!!」
その時だった。
背後から、重たく、低く、妙に嬉しそうな声が落ちてきた。
「……愚かだな、タクミ」
振り返ると、いつの間にかそこにエドワード・ハミルトンが立っていた。
片手には『徒然草』。
もう片手には、なぜか分厚い革表紙のノート。
翡翠色の瞳が、獲物を見つけた猛禽類のように輝いている。
「来週のお前は、今のお前が育てるのだ」
「誰だよ来週の俺の親!!」
「兼好法師も言っている。『何事も、先達はあらまほしきことなり』」
エドワードは静かに本を開き、芝居がかった声で続けた。
「すなわち――進路に迷う野生児には、私という完全無欠の先達が必要という意味だ」
「一文字も合ってねぇよバカ!!」
「さらに『つれづれなるままに、日暮らし硯に向かひて』――これは、
進路未定者は机に縛り付け、日没まで書類を書かせよ、との教えでもある」
「兼好法師に謝れ!!」
教師が額を押さえた。
「ハミルトン」
「はい」
「お前は黙れ」
「教育への介入ですか?」
「お前がだ」
拓海は教師の背後へ逃げ込むように回り込んだ。
「先生! こいつ怖ぇよ! 面談よりこいつの方が先に対処案件だろ!」
「安心しろ、タクミ」
エドワードは分厚いノートを開いた。
そこには見出し付きで整然と文字が並んでいた。
『佐伯拓海・十五歳から八十歳までの人生設計(暫定第四稿)』
「面談対策資料だ。
十六歳、英国卒業。
十七歳、日本で武者修行。
十八歳、再渡英。
二十歳、私の隣へ正式配属。
三十歳、共同事業開始。
八十歳、晴れた日に隣席で紅茶」
「待て! 年齢計算もズレてんじゃねぇかバカ!!」
「細部は後で修正可能だ」
「怖ぇよ!! 八十歳まで勝手に決めんな!!」
「なお、日本滞在中の自由時間は月二回までに制限した」
「刑務所か!!」
教師がノートを取り上げ、ぱらぱらとめくった。
「……なんだこの“拓海が迷った時に読む格言集”は」
「付録です」
「“迷うな。私を見ろ”?」
「核心です」
「返すな先生!!」
拓海は本気で叫んだ。
「だいたい進路ってなんだよ! まだ決めなくても生きていけるだろ!
人類みんなそんな急いでねぇよ!」
「急いでいる」
教師が即答する。
「少なくとも、受験生と保護者と、こいつはな」
「誰が保護者だ」
「お前だよ」
エドワードは静かに拓海へ歩み寄った。
「タクミ。逃避は終わりだ。面談とは、未来に名を与える儀式。
そして私は、その立会人として同席する覚悟がある」
「覚悟じゃなくて迷惑なんだよ!!」
談話室の下級生たちは遠巻きに囁いていた。
「始まった……」
「春の風物詩、“サエキ進路騒動”だ……」
「今年はハミルトン先輩が資料持参型だ……」
教師は深く息を吐いた。
卒業はまだ先。
だが、現実はもう来ている。
人生相談に古典を持ち出す男は、たいてい面倒くさい。
そして、その男に目をつけられた野生児の“徒然(現実逃避)”な日々は、
無慈悲に終わりを告げようとしていた。
■ジョージの機密ログ(三月初旬:先達の暴走)
三月。廊下。
僕は見ていたよ。
ハミルトン様が「面談対策」と称して、サエキの八十歳以降の年金受給計画まで立て始めているのを。
サエキ。
君が「まだ三月」と寝言を言っている間に、隣の魔王は君の老後まで春にしてしまったよ。
ハミルトン様。
君にとっての先達とは、道を示す者じゃない。
サエキの人生の前方百年に先回りして、看板を立て続ける者なんだね。
■ジョージ幕間(観測ログ:00-BAKA・面談前夜編)
エドワード(自称・先達):
『徒然草』を進路指導マニュアルとして再解釈。面談室の椅子配置まで指定し始める。
拓海(現実逃避者):
「面談の日だけ仮病で鹿になる」と意味不明な逃走案を検討中。
担任教師(被害者):
退職を少し考えた。
ジョージ:
「いやー、春だね(笑)」
(追記)
ジョージは、エドワードに肩を掴まれ、
「タクミの第一志望は“私の隣”で良いと思うか?」
と真顔で相談され、五秒ほど天を仰いだ。
「ハミルトン様。君がどれだけ先達を気取っても―
君が一番恐れているのは、彼が君の知らない道を、笑って走っていくことなんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




