幕間 「写真とは、姿を映すものではなく、離れてしまった距離まで見せてしまう残酷な鏡である」という話
菜摘ちゃんの気持ち回
■菜摘視点
三月。東京。深夜。
静まり返った自室で、菜摘は参考書を閉じ、机の端へそっと寄せた。
英単語帳の上に置かれたスマホが短くて軽いメロディを鳴らした。
英国から届いたメール。
差出人の名前なんて、見なくてもわかっていた。
「……やっと送ってきた」
少しだけ口を尖らせてから、そっと見る。
短い内容に添付されていたのは、一枚の写真だった。
歴史ある石造りの校舎。
冬の名残を残した空。
その前に並ぶ、正装姿の少年たち。
そして中央近くに、拓海がいた。
黒のタキシードを着て、背筋を伸ばし、いつもの雑さなんて欠片もなく、驚くほど様になっている。
「……かっこいいじゃん、たっくん」
思わず漏れた声は、どこか他人を褒めるような響きだった。
写真の中の彼は、泥だらけで走り回っていた頃の面影を残しながらも、確かに変わっていた。
綺麗で、遠くて、知らない空気を纏っている。
その隣には、彫刻みたいな横顔の金髪の少年――エドワード・ハミルトン。
当然のように拓海の肩へ手を置き、まるでそこが彼の定位置だと言わんばかりに立っている。
菜摘の指先が、ぴたりと止まった。
「……誰、これ」
冗談のつもりだった。
けれど次の瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
私の知ってるたっくんは、もっと近かった。
うるさくて。
馬鹿で。
調子に乗って。
怒られて。
笑う時は顔全部で笑って。
駅前のコンビニも、学校帰りの道も、神社の石段も。
同じ景色の中に、当たり前みたいにいた。
なのに今、写真の中で彼は、自分の知らない場所で、自分の知らない顔をしている。
ちゃんと拓海なのに、少しだけ、知らない人みたいだった。
「……そっか」
小さく呟く。
私が知らない時間が、こんなに積み重なってたんだ。
英国で過ごした日々。
出会った人たち。
学んだこと。
笑ったこと。
悩んだこと。
その全部を、自分は何一つ知らない。
九月入学まで待って、彼のいる場所へ行けばいいと思っていた。
追いかければ、また昔みたいに隣へ戻れる気がしていた。
でも違う。
追いかけるだけじゃ、もう届かない。
彼が変わったなら、私も変わらなきゃいけない。
彼の後ろを走るんじゃなくて、私も私の道を進んで、
ちゃんと自分の足で立って、もう一度向き合わなきゃいけない。
「……私も、春から大学生か」
少しだけ寂しくて。
少しだけ悔しくて。
でも、不思議と泣きたくはなかった。
泣くくらいなら、前に進んだ方がいい。
菜摘はスマホで軽く返信をしてじっと写真を見つめた。
そして、スマホを置くと改めて
便箋ではなくバレンタインカードを引き寄せた。
重たいことなんて書きたくない。
寂しかったなんて、もっと嫌だ。
いつも通りの顔で書く。
『たっくん、この前ありがと!
今年はちょっと忙しいから、バレンタインはカードだけでごめんね(´・ω・`)』
少し考えて、くすっと笑う。
『写真ほんとかっこよかったよ。モデルみたい!』
そこでペン先が止まる。
本当に言いたいことは、それじゃない。
綺麗になったとか、格好よくなったとか、そんなことじゃない。
私は―
菜摘は頬をふくらませて、小さく文句を言った。
「……でも、そういうのじゃないんだよ。ばか」
カードの端へ、書き足すように小さく追伸を書く。
それは遠くへ行ってしまった彼を、少しだけ昔へ引き戻すための、精一杯のわがままだった。
『ま、私は、昔から知ってるたっくんの方が好きだけどね!』
書き終えて、菜摘は満足そうに頷いた。
「……これでよし」
もし彼が赤くなったら、ちょっと面白い。
もし困った顔をしたら、もっと面白い。
そして、少しだけ――ちゃんと伝わればいいと思った。
■ジョージの機密ログ(三月:二つの孤独)
三月。海の向こうの東京。
僕は想像してみる。
サエキが知らない、菜摘ちゃんの夜を。
サエキ。君は「待っていてくれる場所」が変わってしまうことを恐れていた。
でも彼女は、君が先に変わってしまったように見えて、寂しかったんだよ。
あの写真は、君の成長の証であると同時に、
彼女から君を少し奪ってしまった残酷な証拠品でもあった。
ハミルトン様。君は「サエキを離したくない」と腕を伸ばしている。
けれど海の向こうの少女は、「もう離れてしまったのかもしれない」と震えながら、
それでも前へ進むことを選んだ。
同じ一人のバカを見て、
一人は捕まえようとし、
一人は追いかけるのをやめて、自分で走り始めた。
……青春って、ややこしいね。
■ジョージ幕間(観測ログ:00-BAKA・極東の決意編)
菜摘(進学決定者):
写真一枚で失恋しかけ、五分後に復活。春から大学生になることで戦線再編を決定。
エドワード(捕獲成功者):
同じ写真を見て「額装場所は本邸東棟が妥当」と満足中。何もわかっていない。
拓海(原因物質):
遠くで何も知らずにニヤけている可能性大。
ジョージ:
「いやー、罪深いね(笑)」
(追記)
ジョージは、日本から届いたカードを読んで耳まで赤くなっている拓海を激写した。
「ハミルトン様。君がどれだけ彼を綺麗に飾っても――」
「彼が一番“生きた顔”をするのは、彼女の一行に撃ち抜かれた時なんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




