第二百三十五話 「返信とは、数行で済むはずの短い作業でありながら、不器用な男にとっては人生設計より難しい難工事である」という話
菜摘ちゃん、遊んでr
一月下旬、夜。
図書室の暖炉は静かに燃えていた。
窓の外には冬の闇。
室内には、紙をめくる音と、深刻なため息だけが響いている。
佐伯拓海は、ソファの端に座り、スマホを両手で持ったまま三十分ほど固まっていた。
画面には、返信欄。
送り主――菜摘。
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たっくんが6月に帰ってくるなら、私、9月入学できる大学も考えようかな!
それなら同じ学年で通えるでしょ(*^-^*)
待ってるね!
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その下に、未送信の文字列が何度も生まれては消えていた。
『ありがと』
削除。
『そこまでしなくていい』
削除。
『バカ』
残して迷って削除。
「……なんで返信ひとつでこんな疲れんだよ……」
「お前が愚鈍だからだ」
向かいの席で本を読んでいたエドワードが、顔も上げずに言った。
「うっせーよ」
「正確には、感情と言語の接続不良だな」
「もっと嫌な言い方すんな」
拓海は再び画面を睨んだ。
「別に……嬉しくねぇわけじゃねぇんだよ」
「ほう」
「でも、俺、今日本で大学行く気ねぇし」
エドワードのページをめくる手が止まる。
「続けろ」
「待ってるとか言われても困るし、変に期待させんのも違ぇし……」
「つまり」
エドワードは本を閉じた。
「お前は、相手を拒絶したいのではなく、受け取る責任から逃げている」
「その言い方だと俺が最低みてぇだろ!」
「安心しろ。実態に近いだけだ」
「安心できる要素ゼロだわ!」
拓海はスマホをクッションへ投げ、顔を覆った。
「……だってよ。俺、どうなるか自分でもわかってねぇんだぞ」
「それはそうだな」
「なのに、向こうだけちゃんと決めてきてんの、反則だろ……」
その声は、いつもの雑な調子より少しだけ弱かった。
エドワードはしばらく黙り、それから珍しく穏やかな声で言った。
「タクミ」
「なんだよ」
「人が本気で差し出したものを、受け取るか断るか迷うのは当然だ」
「……」
「軽く扱わぬ証拠でもある」
拓海はゆっくり顔を上げた。
「……お前、たまにまともなこと言うよな」
「常に言っている」
「その直後に台無しにするだけで」
数分後。
拓海は再びスマホを持った。
「……お前なら、なんて返す」
エドワードは即答した。
「“私は英国に残る。諦めろ”」
「参考にならねぇ!」
「“なお、学費援助は可能だ”」
「余計悪化したわ!」
「“恋情は評価するが、優先順位は私が先だ”」
「人のスマホで戦争始めんな!!」
拓海は深いため息をつき、自分で打ち始めた。
『お前なぁ……』
止まる。
消す。
もう一度打つ。
『お前なぁ。
そういうの言われると困る。』
止まる。
「困る、は弱い」
「うるせぇ」
続ける。
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俺、まだ何も決めてねぇし。
お前はお前で、自分の行きたいとこ行け。
俺に合わせて決めんな、バカ。
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送信。
数秒後、拓海はソファに崩れ落ちた。
「……感じ悪くね?」
「かなり」
「おい」
「だが、誠実だ」
拓海は腕で目を隠した。
「……疲れた」
「進路面談より消耗しているな」
「当たり前だろ。先生は俺のこと好きでも嫌いでもねぇし」
エドワードの眉がぴくりと動いた。
「……私は違うと?」
「そこ拾うな」
しばらくして、着信音が鳴った。
拓海は恐る恐る画面を見る。
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たっくん、そういうとこ優しいよね(*^-^*)
大丈夫!安心して(笑)ちょっと言ってみただけだから!
たっくんもちゃんと考えて決めてね!
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拓海は天井を見上げた。
「……強ぇな、あいつ」
「敵ながら見事だ」
「だから敵にすんなって」
「では脅威だ」
「もっと悪化してんだよ」
拓海はスマホを胸に置き、しばらく黙っていた。
「……ちゃんと決めろ、か」
「その通りだ」
「うるせぇ」
「逃げるな」
「二回うるせぇ」
エドワードは立ち上がり、暖炉の前まで歩いた。
「タクミ」
「なんだよ」
「お前がどこへ行こうと、決めるまで隣でうるさく言い続けてやる」
拓海は苦い顔で笑った。
「……重てぇんだよ、バカ」
「光栄だ」
■ジョージ幕間(観測ログ:深夜・返信難民編)
『サエキ事変ノート:三行返すのに四十分』
一月下旬。図書室。
拓海:
“進路”より“返信”で消耗。感情処理能力が極端に低い。
エドワード:
横から全て口を出しつつ、最終的にはサエキ本人に打たせた。珍しく理性が仕事をした模様。
菜摘嬢:
強い。たぶん一番強い。
ジョージ:
「いやあ、見ものだったよ(笑)。ハミルトン様、“バカ”だけは残せって真顔で助言してたからね」
(追記)
「フフフwwwwwwww」
ジョージは、返信後に魂が半分抜けたサエキと、なぜか満足げなハミルトン様を激写した。
「恋文でもない、告白でもない、たった数行の返信でここまで騒げるんだから――」
「君たち、本当に青春だね。(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




