第二百三十四話 「善意とは、相手を思いやる優しさであると同時に、覚悟のない者へ静かに突き刺さる、最も鋭利な刃でもある」という話
いや菜摘ちゃんそれはダメでしょう
一月下旬、午後。
冬の陽が斜めに差し込む図書室で、佐伯拓海はソファに半分沈み込み、
参考書を顔に乗せたまま人類としての機能を停止していた。
暖炉の火は静かに燃え、向かいではエドワード・ハミルトンが新聞を広げている。
紙面を読む姿は完璧な英国紳士そのものだったが、実態は十分に面倒くさい。
その静寂を破ったのは、机の上に放り出されていたスマホの震動だった。
「……ん」
拓海は気だるげに手を伸ばし、画面を見る。
送り主――菜摘。
その瞬間だけで、嫌な予感がした。
開く。
そして数秒後。
「……( ゜Д゜ )」
スマホが手から滑り落ち、カーペットの上で情けなく跳ねた。
「タクミ」
新聞の向こうから、エドワードの声。
「文明機器を投擲するほどの内容か」
「なんでもねぇ!」
拓海は慌てて身を起こした。
「拾うな! それ触んな、バカ!!」
だが遅い。
エドワードの動きは、獲物を逃がさぬ猛禽類のそれだった。
床からスマホを拾い上げ、画面を一瞥する。
そして――図書室の室温が、目に見えて下がった。
そこに記されていたのは、あまりにも明るく、あまりにも逃げ場のない善意だった。
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たっくんが6月に帰ってくるなら、私、9月入学できる大学も考えようかな!
それなら同じ学年で通えるでしょ(*^-^*)
待ってるね!
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長い沈黙。
暖炉だけが、ぱち、と音を立てた。
エドワードはスマホを机へ置く。
その音は、小さかったのに妙に重かった。
「……なるほど」
声は低く、静かだった。
「東洋のシャーマンは、“待機”という戦術を捨てたか」
「シャーマンって言うな」
「待つのではなく、自ら進路を変更し、お前の帰国時期へ合わせてくる」
翡翠色の瞳が細まる。
「合理的だ。極めて攻撃的に」
「攻撃ってなんだよ……」
拓海は頭を抱えた。
「あいつ……大学まで変えて、俺に合わせようとしてんのかよ……」
それは冗談でも、軽口でもなかった。
菜摘は、本気で自分の未来を動かしている。
自分が「そのうちなんとかなる」と曖昧に笑っていた時間の向こうで。
「タクミ」
エドワードが言った。
その声には、珍しく怒りよりも別のものが混じっていた。
「お前は、幸せ者だな」
「……は?」
「お前が迷い、先送りし、無為に日々を浪費している間に」
一語一語、静かに置かれる。
「あの女は、自分の人生を賭けて、お前との“並走権”を取りに来た」
拓海は言葉を失った。
「いいか、タクミ」
エドワードはまっすぐ見た。
「この覚悟を、お前の口癖の“なんとかなる”で踏みにじることだけは、断じて許されん」
図書室が静まり返る。
拓海はしばらく黙り、それから机へ額を落とした。
「……わかってるよ」
小さく。
「……わかってんだよ、バカ」
エドワードという執着。
菜摘という献身。
二つの巨大な引力に挟まれて、拓海は初めて知った。
自分の人生は、もう一人分の雑な勘だけで決めていい場所には、いないのだと。
数分後。
拓海は青ざめた顔でスマホを持ち上げた。
「……なんて返せばいいんだよ」
「貸せ」
「貸すか!!」
「私が打つ」
「余計悪化するわ!!」
「安心しろ。礼節は守る」
「お前の礼節が一番怖ぇんだよ、バカ!!」
■ジョージ幕間(観測ログ:新春・最短ルートの衝撃編)
『サエキ事変ノート:シャーマン、奇襲の九月入学』
一月下旬。図書室。
菜摘嬢:
「帰りを待つ」を焼き捨て、「九月入学」でサエキと並走する道を選択。
恋心とは、時に制度設計すら利用する。
拓海:
ついに理解した模様。自分だけが“そのうち”で止まっていたことに。
エドワード:
ライバルの具体策に強い危機感を覚えている。現在、
“英国残留計画・改訂版”を国家予算規模で再構築中。
ジョージ:
「いやあ、痺れるね(笑)。ハミルトン様、さっき“私も日本へ留学すべきか……”
って本気で呟いてたよ。怖いね」
(追記)
ジョージは、返信画面を開いたまま固まり、指先だけ震えているサエキを激写した。
「ハミルトン様。君がどれだけ彼を管理しようとしても――」
「海の向こうから飛んできた、その真っ直ぐな一撃が、一番彼の胸に刺さってるんだよ(笑)」
「タクミ」
「なんだよ……」
「返信に、“私は英国に残る”と一文――」
「打てるわけねぇだろ、バカ!!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




