第二百二十八話 「便りとは、遠方の無事を知らせる温かな風習ではなく、決断を先送りにした男の胸へ、現実を笑顔で撃ち込む長距離弾である」という話
まぁうん。そうだよね、としか。
一月二日、午後。
年始の浮かれた空気も少しずつ薄れ、寮には再び「休暇後半のだるさ」という名の霧が漂っていた。
図書室の暖炉前では、佐伯拓海が机に突っ伏している。
目の前には、昨日エドワードに積み上げられた大学案内の山。
英国各地の名門校、学部一覧、入学条件、寮設備、交通網、
果ては「ハミルトン邸からの所要時間比較表」まで揃っている。
「……怖ぇよ」
「合理的と言え」
向かいで紅茶を飲むエドワードは、微塵も悪びれなかった。
「進路とは人生の設計図だ。感覚で選ぶものではない」
「お前の設計図、最後ぜんぶ“俺が隣にいる前提”だろ」
「当然だ」
「当然じゃねぇんだよ、バカ」
その時だった。
図書室の扉がノックされ、小柄な下級生が顔を出した。
「サ、サエキ先輩。日本からお手紙です」
「手紙?」
拓海は顔を上げる。
差し出された封筒には、見慣れた丸い字。
佐伯拓海様
英国でだらけてるたっくんへ
「……菜摘だ」
その名が出た瞬間、エドワードのティーカップが、かすかに止まった。
拓海は封を切る。
便箋には、明るく雑な文字が並んでいた。
******************
あけましておめでとー。
こっちは受験で大変だよ。毎日眠い。
私は〇〇大と✕✕大受ける予定。あと滑り止めで△△。
お母さんに“たっくんは進路決めたの?”って聞かれたけど、どうせ決めてないでしょ。
そっちは寒い? ちゃんと食べてる?
たっくんはどうするの?
菜摘
******************
読み終えた拓海は、しばらく黙った。
暖炉が、ぱち、と鳴る。
「……なんか、親父より効くな」
「当然だな」
エドワードが低く言った。
「同世代の前進は、怠惰な者に最も鋭く刺さる」
「なんでお前が俺よりダメージ分析してんだよ」
拓海は便箋を見下ろいたまま、ぽつりと呟く。
「菜摘、もう決めてんのか……」
「普通はそうだ」
「うるせぇ」
「現実だ」
「うるせぇ」
エドワードは静かに立ち上がり、拓海の背後へ回った。
「貸せ」
「なにを」
「その手紙だ」
「やだ」
「確認するだけだ」
「絶対違うだろ」
だが一瞬の隙を突かれ、便箋は奪われた。
エドワードは紙面を睨みつける。
「……字が丸い」
「そこ?」
「第一志望が気に入らん」
「なんでだよ」
「“たっくん”とは何だ」
「そこだろうと思ったよ!!」
拓海は立ち上がった。
エドワードは紙を高く掲げ、届かない位置へ逃がす。
「幼少期の呼称を、今なお継続している点が極めて不愉快だ」
「お前に関係ねぇだろ!」
「ある」
「ねぇよ!」
「ある」
「うるせぇ!!」
二人が便箋一枚を巡って揉み合う中、拓海の視線がふと止まる。
机の上の大学案内。
菜摘の受験予定。
父の言葉。
姉の説教。
全部が一本の線で、自分の前に伸びている気がした。
「……なぁ、エド」
「なんだ」
「俺、どうすりゃいいんだろうな…」
珍しく真面目な声だった。
エドワードは少しだけ目を細める。
そして即答した。
「私の隣へ来い」
「やっぱ聞く相手間違えたわ、バカ!!」
図書室に、拓海の怒声が響いた。
■ジョージ幕間(観測ログ:新年・幼なじみ爆撃編)
『サエキ事変ノート:三行で沈む男』
一月二日。図書室。
菜摘嬢:
受験報告と近況を装い、サエキの胸へ“現実”を精密投下。恐るべき命中率。
拓海:
親の説教では動じなかったが、「私は決めたよ。たっくんは?」で数秒停止。かなり効いている。
エドワード:
表情は平静。しかし“たっくん”の箇所だけ紙がしわになるほど握っていた。分かりやすい。
ジョージ:
「いやあ、傑作だね(笑)。進路相談で勝てなかったハミルトン様が、
幼なじみの愛称一つで敗北してるよ」
■ジョージ幕間(補足ログ:嫉妬の計量分析編)
『サエキ事変ノート:愛称ひとつで崩れる合理的設計図』
一月二日。図書室。
エドワード:
菜摘嬢の第一志望より、その筆跡に滲む親密さを警戒。
学歴では勝負できる。だが、積み重ねた幼少期の時間だけは買えないと理解している模様。現在、サエキの日本時代の記憶をすべて“ハミルトン仕様”へ上書きする計画を静かに立案中。
拓海:
菜摘の決断に焦りを覚えつつも、エドワードの“たっくん”への過剰反応に少し救われている。進路という現実から逃げたい男にとって、目の前のもっと面倒な男は、都合の良い避難先でもある。無自覚な相互依存、順調に育成中。
ジョージ:
「いやあ、見苦しいね(笑)。ハミルトン様、さっきから“……タクミを、……たっくん、と呼ぶ権利は……私にも……”って本気で悩んでたよ。そこ競う場所じゃないんだよ」
(追記)
ジョージは、先ほど自分でしわくちゃにした便箋を、サエキに気づかれぬよう
暖炉脇で丁寧に伸ばしているハミルトン様を激写した。
「ハミルトン様。君がどれだけその手紙を憎んでもね―」
「その手紙だけが、彼を未来へ向かせる鍵だったんだよ(笑)」
「タクミ。……その名で呼ばれて、嬉しそうにするな」
「うっせーー!してねぇよ!!」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




