第二百二十五話 「新年の挨拶とは、無事を喜び合う穏やかな儀礼ではなく、保護者が先送りされた将来設計を確認するための年始業務である」という話
拓海どうする?!
クレストフィールド学院
一月一日、午後。
元旦の寮は、不思議な静けさに包まれていた。
朝の餅つき騒動で燃え尽きた居残り組の生徒たちは、それぞれの部屋で屍のように眠り、
食堂には後片付けを終えた使用人たちの足音だけが時折響く。
図書室の暖炉前では、佐伯拓海がソファに沈んでいた。
「……食った」
膝の上には空の皿。
腹の上には雑誌。
片手にはまだ食べかけの餅。
新年初日に許される堕落の見本である。
向かいでは、エドワード・ハミルトンが紅茶を飲みながら新聞を広げていた。
優雅そのものの姿勢だが、紙面を追う速度が妙に遅い。
拓海が寝落ちしないか観察しているためである。
その時、図書室の電話が鳴った。
拓海は片目だけ開けた。
「……誰だよ」
「出ろ」
「お前が出ろ」
「お前宛だ」
「なんで分かる」
「元旦に私へ電話をかける者は少ない。お前へ説教する者は多い」
「否定できねぇの腹立つな……」
拓海はのろのろと起き上がり、受話器を取った。
「……もしもし」
次の瞬間、受話器の向こうから女性の声が炸裂した。
『拓海!? あなた、新年の挨拶もしないんだから!』
「うわ、母ちゃん」
『うわ、じゃありません! あけましておめでとうくらい言えないの!?』
「あけましておめでとーございますー」
『雑!!』
拓海は受話器を少し離した。
暖炉の前で、エドワードの眉がわずかに動く。
“母ちゃん”という単語に、妙な衝撃を受けたらしい。
『ちゃんと食べてるの?』
「食ってる」
『風邪ひいてない?』
「ひいてねぇ」
『洗濯は?』
「してる」
『嘘ね』
「なんで分かるんだよ」
『母親だからです』
拓海は天井を仰いだ。
『ほら、お父さんにも代わるから』
「え、いいよ別に」
『よくありません』
受話器の向こうでごそごそと音がする。
やがて、低く落ち着いた男の声がした。
『拓海か』
「……おう、親父。あけおめ」
『ああ。元気か』
「まあな」
短い沈黙。
父・佐伯和也は、必要以上に喋らない男だった。
だが、その沈黙のあとに来る言葉は大抵重い。
『それで』
「うん?」
『進路はどうする』
拓海の顔から、元旦が消えた。
「……は?」
暖炉の火が、ぱち、と鳴る。
向かいで新聞を読むふりをしていたエドワードの手が止まる。
『六月には卒業だろう』
「今その話!?」
『今だからだ』
「元旦だぞ!?」
『区切りの日だ』
「家族ってもっとこう……餅とか雑煮とか、ねぇの!?」
『それは食った』
「くそっ……」
父の声は淡々としていた。
『日本で受けるのか』
『そのままそちら(イギリス)で進むのか』
『働くのか』
『何も決めていないのか』
最後の一言だけ、妙に鋭かった。
拓海は頭を掻く。
「……まだ、決めてねぇよ」
受話器の向こうで、父は少し黙った。
『そうか』
それだけだった。
だが責めるでもなく、呆れるでもなく、その“そうか”が妙に重かった。
『決める時期だ』
「……わかってるよ」
『ならいい』
母の声が遠くで割り込む。
『全然よくないです! 候補くらい出しなさい! あとちゃんと挨拶しなさい!』
「しただろ!」
『足りません!』
「なんだよそのノルマ制!」
通話は母の小言と共に終わった。
受話器を置き、拓海は深くため息をつく。
「……正月から疲れた」
しばし沈黙。
そして向かいから、静かな声がした。
「未定なのか」
「うるせぇ」
「進路が」
「うるせぇ」
「卒業後の人生が」
「うるせぇって言ってんだろ、バカ!」
拓海はクッションを投げた。
エドワードは片手で受け止める。
「信じ難いな」
「何がだよ」
「お前ほどの男が、自分の未来を他人任せにしていることがだ」
「してねぇよ」
「している」
「してねぇ」
「している」
「うるせぇ!」
エドワードはクッションを丁寧に膝へ置いた。
「……ならば、考えろ」
「……」
「お前がどこへ行くのか」
一瞬だけ、声が低くなる。
「私も知る必要がある」
拓海はその言葉に少しだけ眉をひそめた。
「なんでお前が」
エドワードは新聞を広げ直す。
「……予定を立てる都合だ」
「絶対嘘だろ、バカか!」
暖炉の火だけが、静かに揺れていた。
■ジョージ幕間(観測ログ:新年早々、親と進路と重い男編)
『サエキ事変ノート:雑煮の次は人生設計』
一月一日。図書室にて、現実着弾。
拓海:
餅で満腹状態から進路確認へ移行。顔が見事に死んだ。
佐伯家ご両親:
年始の挨拶に見せかけた進路面談。手際が良い。
エドワード:
“母ちゃん”で微妙に動揺。
“進路”で完全停止。
かなり分かりやすい。
ジョージ:
「いやあ、めでたいね(笑)。ハミルトン様、今たぶん
“英国国内でサエキを捕獲可能な大学一覧”を脳内で作ってるよwww」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




