第二百九話 「無常とは、万物が移ろうことではなく、自分だけが相手に置いて行かれると錯覚した瞬間に生まれる恐怖である」という話
順番間違えた(´;ω;`)そっと差し込もう
十二月初旬。
アドベントカレンダーの窓が、一つずつ開き始めた夜だった。
外は深い霧。
寄宿舎の窓は結露で白く曇り、暖炉の火だけが部屋に色を落としている。
エドワードは『徒然草』を開いたまま、しばらく同じ一節を見つめていた。
ページをめくるでもなく、読むでもなく、ただ文字に指を置いている。
「……タクミ」
「んー?」
拓海は窓ガラスに指で「肉」と書いていた。
「……『あだし野の露消ゆる時なく、鳥辺山の煙立ち去らでのみ住み果つる習いならば――』」
「また始まったな、ハミルトン文学講座」
「人は失われる。だから今が尊い。兼好はそう言う」
「へぇ。いいこと言うじゃん、カネヨシ」
「……だが、違う」
そこで声が止まった。
暖炉が、ぱち、と鳴る。
エドワードは本を閉じた。
その音だけが、妙に大きく響いた。
「私にとっての無常は、死ではない」
拓海は振り返らない。
窓の「肉」に、さらに二画足していた。
「お前が、どこへでも行けることだ」
静かな声だった。
「試験も、未来も、人との距離も。お前は躊躇なく越えていく。……私が何年もかけて身につけたものを、お前は無造作に飛び越える」
拓海の指が止まる。
「そのうち私など置いたまま、どこか正しい場所へ歩いていくのではないかと……私は時々、本気で思う」
エドワードは立ち上がり、拓海の背中に額を預けた。
「……ハミルトンという名の中で、私だけがここに残り、お前だけが先へ行く。……それが怖いのだ」
しばらく、何も音がしなかった。
暖炉の火が揺れる。
外の霧が窓を濡らす。
それから拓海が振り返った。
両手で、エドワードの頬を挟む。
「……冷てぇな、お前」
「タクミ……」
「バカ」
拓海は真正面から言った。
「置いてくわけねぇだろ」
「…………」
「お前、足遅ぇし」
「そういう話ではない!」
「似たようなもんだ」
そのままぐいっと顔を寄せる。
「どこ行くにしても連れてく。嫌でも引きずる。お前がハミルトンだろうが何だろうが、知るか」
エドワードの瞳が揺れる。
拓海はさらに追い打ちのように、その頭を乱暴にぐりぐり撫で回した。
「無常とか知らねぇ。お前が不安なら、俺が日常に戻す。以上。バカ」
しんみりした空気は粉砕された。
エドワードは髪を乱されたまま、しばらく何も言えなかった。
ただ耳だけが、ひどく赤かった。
暖炉の火が、静かに爆ぜた。
■ジョージ幕間(観測ログ:兼好法師、またしても泣く編)
『サエキ事変ノート:虚無より強い腕力』
十二月初旬。
ハミルトン様、ついに徒然草を使って“置いていかれる不安”を告白。
かなり重い。
かなり面倒くさい。
かなり良い。
しかも語り出しは、
私にとっての無常は、死ではない
である。
十六歳の少年が暖炉の前で語るには、あまりにも重たすぎる。
怖い(笑)
しかしサエキはもっと怖かった。
置いてくわけねぇだろ
お前、足遅ぇし
この二行で兼好法師とハミルトン様の情緒を同時に処理。
ひどい。
だが完璧だ。
現状:
エドワード
置いていかれる未来を勝手に想像して傷つく、先回り型の天才。生きづらい。
拓海
相手が未来を不安がると、現在の腕力で黙らせる男。雑に強い。
ジョージ
「いやー……傑作だね(笑)。数百年読み継がれた無常観が、最終的に“足遅ぇし”で上書きされるなんて。兼好法師も成仏し直すよ(笑)」
(追記)
その後、ハミルトン様は五分ほど無言だった。
たぶん感動していた。
たぶん怒っていた。
たぶん両方だ。
そして最終的に、サエキの隣へぴったり座り直していた。
……置いていかれる心配は、今夜に限っては無さそうだね(笑)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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