第二百八話 「準備とは、成功を確実にするための手順ではなく、失敗を恐れる臆病者が”まだ始めていない”という言い訳を抱え込むための、壮大な空転である」という話
拓海の考え方は割と好きだけど自分がやると大体えらい目にあいます(=ↀωↀ=)
クレストフィールド学院
十二月中旬。
試験は終わっていた。
図書室には、張りつめていた数日間の名残だけが薄く残っている。
積み上がった参考書。置き去りのメモ。空になったインク瓶。
皆がようやく肩の力を抜き始めた空間で、ただ一人、エドワードだけが次の学期へ進んでいた。
机の上には新しい計画表。
来学期の科目別配分。予習範囲。読書一覧。週間目標。
細かな文字が、余白を許さず整然と並んでいる。
試験が終わったのに、彼だけは終われない。
その向かいで、拓海は図書室の隅から引っ張り出してきた一冊をぱらぱらとめくっていた。
『徒然草』英訳対照本。
「……おい、エド」
「話しかけるな。今、第三週の再構成中だ」
「この“カネヨシ”って、けっこういいこと言うな」
「兼好法師だ」
「へぇ」
拓海は椅子にだらしなく座ったまま、またページをめくる。
エドワードはため息をついた。
集中を乱された苛立ちと、それでも無視しきれない習慣が同居している。
「……第百五十段だ」
「ん?」
「芸を身につけようとする者ほど、下手なうちは人に見せまいと隠れ、完璧になってから披露しようとする。だが、そういう者は一生上達しない……と、兼好は言っている」
拓海は本から顔を上げた。
「へぇ。耳痛ぇな、お前」
「……笑い事ではない」
エドワードはペンを置いた。
暖炉の火が、小さく鳴る。
「私は、準備されてから舞台に立とうとしてきた。常に。
……ハミルトンとして、失敗の余地なく、瑕疵なく、完成された状態で」
声は低い。
いつもの皮肉や芝居がかった調子はなかった。
「だが、お前は違う」
拓海を見たまま言う。
「泥だらけのまま来る。未完成のまま飛び込む。理解していなくても踏み込む。……そして、気づけば中心にいる」
拓海はしばらく黙っていた。
それから本を閉じた。
「……お前さ」
「なんだ」
「難しくしすぎなんだよ、バーカ」
「……何?」
「カネヨシさんが言いたいの、要するに“グダグダ言ってねぇで外出ろ”ってことだろ」
「違う」
「似たようなもんだ」
「似ていない」
拓海は立ち上がると、机の上の計画表をひょいと持ち上げた。
「うわ、字ちっさ」
「返せ」
「びっしりだな。息苦しくねぇの?」
「返せ」
「お前、未来のこと考えすぎなんだよ」
拓海は紙を見ながら言った。
「来月どうするとか、次に何するとか、失敗しねぇようにとか。
……そんなの、やりながら考えりゃいいだろ」
「それで済むのは、お前だけだ」
「そうか?」
「そうだ」
拓海は少し考え、それからページの端を指で叩いた。
「……“明日ありと思う心の仇桜”ってやつ、あったぞ」
エドワードの目が動く。
「明日には散るかもしれねぇんだろ」
「…………」
「だったら、明日ちゃんとやるより、今日ちょっとバカやった方が得じゃねぇ?」
理屈としては滅茶苦茶だった。
だが、拓海が言うと、不思議と間違っていない気がした。
「……お前は」
「ん?」
「なぜそう、雑なのに刺さる」
「知らねぇよ」
拓海は笑った。
そして計画表を机に戻す代わりに、エドワードの手首を掴んだ。
「ほら、行くぞ」
「どこへ」
「グラウンド」
「霜が降りている」
「だから面白ぇんだろ」
「私は面白さを基準に生きていない」
「今日からそうしとけ、バーカ」
強引に引かれて立ち上がる。
椅子が床を擦る音が図書室に響いた。
机の上では、完璧だったはずの計画表が、開いた窓から入った風に煽られて揺れている。
エドワードはそれを見た。
見て、追いかけなかった。
代わりに、前を行く拓海の手の熱だけを確かめる。
外はきっと寒い。
だが、この男の隣は、いつも少し騒がしくて、妙に温かかった。
「……タクミ」
「んー?」
「兼好法師は、たぶんお前のような男を想定していない」
「だろうな」
「迷惑だ」
「うん、知ってる」
拓海は振り返らず笑った。
その背中を見て、エドワードも小さく息を吐いた。
■ジョージ幕間(観測ログ:兼好法師、現代英国で泣く編)
『サエキ事変ノート:計画表より筋肉』
十二月中旬。
試験終了。普通の生徒は休む。
ハミルトン様は来学期の準備を始めた。
さすがである。怖い。
そこへサエキ登場。
徒然草を読みながら、
「今やれってことだろ」
「外出ろってことだろ」
「明日散るなら今日遊べ」
などと、兼好法師を雑にラグビー部へ入部させ始めた。
結果。
ハミルトン様、計画表を残して連行。
ひどい。
現状:
エドワード
準備しないと不安。準備しても不安。たぶん生涯そういうタイプ。
拓海
不安でも腹が減るし、寒くても走る。強い。
ジョージ
「いやー……最高だね(笑)。何百年も読み継がれた随筆が、最終的に“グラウンド行こうぜ”へ着地するなんて、兼好法師も予想してなかっただろうね(笑)」
(追記)
その夜、ハミルトン様は落ちていた計画表を拾いに戻った。
サエキの泥だらけの足跡が、きれいについていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




