第十九話 「近代文学とは、人間の情緒を静かに破壊する芸術のことである」という話
何気に今までより書くのに倍の時間がかかってる気がする。
放課後。
寮の共用スペースには、暖炉の火が静かに揺れていた。
ソファに寝転がりながら、拓海は一通の手紙を読んでいる。
差出人は、日本にいる幼馴染。(→女。ここ大事。)
「……晩飯、肉じゃがか」
思わず頬が緩む。
菜摘の料理はうまい。
日本は平和だ。
「腹減ったなぁ……」
そのときだった。
ドサッ。
机が小さく揺れるほどの音。
拓海は手紙から目を離さない。
「タクミ」
「だが断る」
即答だった。
「……まだ何も言っていないぞ」
「その量の本を抱えてる時点で嫌な予感しかしねぇんだよ」
ゆっくり顔を上げる。
案の定だった。
エドワードが両腕いっぱいに日本語の本を抱えて立っている。
しかも分厚い。
「……また増えてる」
拓海は深いため息をついた。
「なんで毎回そう、闇が深い作品ばっか持ってくんの?」
机の上へ並べられる本。
夏目漱石。
森鴎外。
芥川龍之介。
太宰治。
そうそうたる顔ぶれだった。
「これ全部読んでたら俺の留学終わるぞ」
「効率の問題だ」
迷いのない返事だった。
「日本を知るには、日本人が何を書いたかを知る必要がある」
「もっと他にあるだろ。昔話とか童話とか」
「まず代表作から読むべきだ」
「その代表作が重いんだよ!」
拓海が頭を抱えている間にも、エドワードは一冊を差し出す。
『こころ』
「これは何だ」
拓海は少し考える。
「……友情と罪悪感の話」
「友情」
「親友を裏切って、一生引きずる」
エドワードの手が止まる。
「裏切るのか」
「うん」
「親友を」
「うん」
「…………」
静かにメモを書き始める。
「おい」
「なんだ」
「なんでメモる」
「重要事項だからだ」
「重要じゃねぇ」
次の一冊。
『舞姫』
「これは?」
「……恋愛」
「ほう」
「女の人を好きになる」
「うむ」
「子供ができる」
「うむ」
「出世を選んで帰国する」
沈黙。
エドワードの動きが完全に止まった。
数秒後。
静かに本を閉じる。
「…………最低だな」
「だろ?」
「最低だ」
真顔で二回言った。
「しかも文豪だから困るんだよ」
「理解できん」
エドワードは腕を組む。
「愛した相手を捨てるのか」
「そういう話だ」
「なぜ迎えに行かない」
「俺に言うな」
「船はあるだろう」
「知らん」
「迎えに行けば解決ではないのか」
「文学終わるわ」
拓海は即答した。
「文学はそんな簡単に解決しねぇんだよ」
「不便だな」
「そういうジャンルだから」
エドワードは黙って本を見つめる。
しばらく考え込み、
ぽつりと口を開いた。
「……私も」
嫌な予感しかしない。
「お前を置いて帰国すれば」
「やめろ」
「文学になるのか」
「ならねぇよ」
即答だった。
「なんでだ」
「お前、絶対途中で迎えに戻ってくるだろ」
エドワードは少し考えた。
本当に少しだけ。
「……確かに」
納得するな。
「それに、お前途中で手紙とか毎日送ってきそうだし」
「毎日ではない」
「じゃあ何日おきだよ」
「三日」
「十分重いわ」
暖炉の火が小さく爆ぜる。
静かな時間だった。
エドワードは積み上げられた本を見つめ、
最後に静かに結論を口にした。
「……なるほど」
「なんだよ」
「日本の近代文学は」
一拍。
「幸せになる方法ではなく、幸せを逃す方法を研究する学問なのだな」
「違ぇよ」
即答だった。
「そんな国だったら誰も生きてねぇ」
エドワードは首をかしげる。
まだ納得していない顔だった。
拓海は苦笑しながら、もう一度幼馴染からの手紙へ目を落とす。
『今日は肉じゃがを作ったよ』
その一文を見て、小さく笑う。
「……あー、肉じゃが食いてぇ」
日本は、やっぱり平和だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




