第二百一話 「暖炉とは、身体を温める装置ではなく、誰の隣に座るかで戦争が始まる場所である」という話
拓海の後ろで「来たらコロス(ↀДↀ)」となっているエドワード
クレストフィールド学院
十一月中旬。
石造りの寄宿舎は、夜になると骨の芯まで冷える。
コモンルームでは暖炉の火だけが豪快に燃え、赤い光が壁やソファを揺らしていた。カードゲームの笑い声、課題に追われる溜息、紅茶の湯気。冬前の夜らしい、穏やかなざわめきが広がっている。
―本来なら。
今夜、その空間の中心だけは妙に静かだった。
暖炉正面、もっとも大きな三人掛けソファ。
そこに、プレフェクトの赤いタイをゆるめ、長い脚を投げ出して眠りこけている男がいる。
拓海だ。
ラグビー帰りらしく髪は少し乱れ、制服の襟も雑。
それでも、育ちの良さが滲む整った指先を無防備に丸め、
まるで自分の縄張りで昼寝する獣のように堂々と特等席を占拠していた。
そのすぐ隣。
一ミリの隙間もなく座り、分厚い哲学書を開いているのはエドワードだった。
「…………」
静かにページをめくる。
だが、三ページ前から一文字も進んでいない。
視線の半分以上は本ではなく、隣で眠る拓海へ向けられていた。
暖炉の火がぱちりと跳ねるたび、拓海の前髪が揺れる。
そのたびエドワードは無言で手を伸ばし、火の粉が届かぬよう髪を整える。
慈しみ―というよりは、
“この獲物に触れていいのは私だけだ”
そう主張するような、排他的な手つきだった。
部屋の隅では、新入生たちが小声で震えていた。
「……おい、あそこ誰も座ってないのに、誰も近寄れないぞ」
「佐伯さん寝てるし……」
「ハミルトン様が起きてる……」
「暖炉よりあっちの方が怖い」
「いや、でも寒い……」
暖まりたい本能と、生存本能がせめぎ合っている。
彼らの目には、あのソファは
眠れる暴君と、それを守る狂信的な番犬が支配する不可侵領域
にしか見えていなかった。
「……タクミ、暑苦しい」
エドワードが小声で呟く。
「お前の体温が、こちらへ侵略してくる」
そう言いながら、肩からずり落ちたブランケットを拾い上げ、
ハミルトン家の家紋入りの厚手のそれを、拓海へ丁寧に掛け直した。
端まできっちり整え、首元まで覆う。
「……完璧だ」
誰にも聞こえない声で満足し、再び哲学書を開く。
やはり、一文字も読んでいない。
その時だった。
暖炉の中で薪が大きく爆ぜた。
「……ふがっ!!」
拓海が勢いよく飛び起きる。
隣のエドワードの肩が、びくりと跳ねた。
「……タクミ。お前は心臓に悪い」
「悪ぃ。変な夢見た」
拓海は寝ぼけ眼のまま辺りを見回し、部屋の隅で固まる新入生たちに気づいた。
「……あれ? なんであいつらあんな端っこいんだ?」
新入生たちに緊張が走る。
「ひっ」
「見たぞ……」
「目が合った……」
「もう駄目だ……」
「寒いならこっち来りゃいいだろ」
拓海は自分の隣の空いた席を、ばしばし叩いた。
「暖炉あんのに何やってんだ。ほら、来いよ」
それは純粋な親切だった。
だがその背後で、エドワードの翡翠色の瞳がゆっくりと細まる。
空気が一段、冷えた。
「……タクミ」
「ん?」
「彼らには、彼らなりの距離感がある」
「は?」
「無理に近づけるのは、プレフェクトとして暴力だ」
「何言ってんだお前」
「自主性を尊重しろと言っている」
新入生たちは全力で頷いた。
「そ、そうです!」
「僕たちここ好きです!」
「隅、落ち着きます!」
「寒くないです!」
「鼻赤いぞお前ら」
拓海が首を傾げる。
「じゃあ、焼きマシュマロ食うか?」
袋を取り出した瞬間、新入生たちは限界を迎えた。
「逃げろ!!」
蜘蛛の子を散らすように全員が脱走した。
バン!、と、扉が勢いよく閉まる。
沈黙。
「…………」
拓海は袋を持ったまま立ち尽くした。
「なんだあいつら。マシュマロ嫌いなのか?」
「……ふ」
エドワードが小さく笑う。
「お前の無自覚な暴力に、耐えられなかっただけだ」
「意味わかんねぇ」
「わからなくていい」
エドワードは平然とマシュマロを一本取り、火で炙った。
きつね色になったそれを拓海へ差し出す。
「ほら。お前の“善政”の戦利品だ」
「なんだそりゃ」
拓海は笑いながら受け取り、半分かじる。
「うんま。お前も食う?」
「……仕方ない」
同じ串の反対側を、エドワードが噛んだ。
暖炉の前には、また二人だけが残った。
■ジョージ幕間(観測ログ:暖炉前占領戦)
『サエキ事変ノート:親切という名の恐怖政治』
十一月中旬。
サエキ拓海、善意だけで新入生を避難誘導することに成功。
現状:
拓海
「寒いなら来い」「マシュマロ食うか」という極めてまともな先輩。
だが顔と声と体格が全部怖い。
エドワード
拓海の善意が他人へ向くたび、背後から結界を張る男。最近の特技は無言の威圧。
新入生たち
暖炉より遠くても、生きていたい。
ジョージ
「いやー……傑作だね(笑)。サエキは助けようとしてるのに、
ハミルトン様が全部“来たら死ぬぞ”に翻訳してるんだから(笑)」
(追記)
その夜、校内には新しい噂が広まった。
暖炉前の席は二人に献上された
近づいた者は精神的に焼かれる
ハミルトン様が結界を張っている
マシュマロは忠誠の証である
ジョージは笑いながらメモを取った。
「ハミルトン様。君、サエキの隣にいるだけで、ただの“マシュマロ係”なんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




