第二百話 「規則とは、守るためではなく、抜け道を見つけた者が誇るために存在する」という話
ラーメン食べたい
十一月初旬。
寄宿舎の屋根に白い霜が降りた、凍えるような早朝だった。
まだ誰も起き出していない薄暗い校内で、プレフェクトの赤いタイを雑に首へ巻きつけた拓海は、
寮の裏手にそびえる古びた給水塔を見上げていた。
その足元には、寝袋、カセットコンロ、鍋、紙コップ。
そして、インスタントラーメン二人前。
「……完璧だな」
「何一つ完璧ではない」
背後から、氷のように冷えた声が飛んだ。
振り返ると、コートの襟元まで寸分の乱れなく整えたエドワードが立っていた。朝日に照らされてもなお機嫌が悪い。
「タクミ。説明しろ。なぜ監督生であるお前が、夜明け前に調理器具一式を抱えて給水塔の前にいる」
「簡単だろ」
拓海は得意げに人差し指を立てた。
「校則第22条。『寄宿生は許可なく校舎の屋根へ登ってはならない』」
「……それが何だ」
「給水塔は校舎じゃない。備品だ」
数秒の沈黙。
「……お前は、バカか」
「勝ったな」
「勝っていない」
拓海はまるで判決が下ったかのように頷き、給水塔の梯子へ手をかけた。
「ってことで、夜明け見ながらラーメン食うぞ」
「待て」
「なんだよ」
「“ってことで”で話を進めるな」
「細けぇなぁ」
「細かくしているのはお前だ!」
五分後。
「……梯子、凍ってんじゃねぇか」
「当然だろう」
「先に言えよ、バカ!」
「登る前に気づけ、バカ!」
下からエドワードが呆れ顔で見上げる中、拓海はずるずる滑りながらも上へ進む。途中で寝袋が引っかかり、鍋が鳴り、カップ麺が一つ落ちかけた。
「タクミ! 麺を守る前に自分を守れ!」
「麺は命だろ!」
「知らん!」
三十分後。
給水塔の頂上。
狭い鉄板の上に、湯気の立つ鍋が置かれていた。
その横で、最高級のカシミアブランケットに包まりながら、エドワードが不本意を極めた顔で座っている。
「……いいか、タクミ。これはお前の暴挙を監視するために、やむを得ず同行しただけだ」
「へー」
「信じていない顔をするな」
「いや、めっちゃ分厚いブランケット持ってきてるなって」
「防寒対策だ」
「コップ二つ持ってきてるな」
「衛生管理だ」
「箸まで二膳あるな」
「……黙れ」
拓海は笑いながら麺をよそった。
「ほら、お前の分。ナルト多めな」
「私はナルトなどという、意味不明な渦巻き練り物に価値を見出していない」
そう言いながら、真っ先にナルトを食べた。
「……悪くない」
「素直になれよ」
「黙れ」
東の空がゆっくり白み始める。
霜に覆われた校庭。
煙るような朝靄。
誰もいないグラウンド。
その向こうから、金色の光がじわじわと広がってくる。
拓海は紙コップのスープをすすりながら、満足そうに息を吐いた。
「な。来てよかったろ」
エドワードはしばらく黙って景色を見ていた。
「……景色そのものに価値があるわけではない」
「はいはい」
「この高度、この静寂、この温度、そして……」
「そして?」
「……麺の硬さが、許容範囲だっただけだ」
「めちゃくちゃ褒めてんじゃねぇか」
拓海が笑う。
エドワードは顔を背けたが、耳だけ少し赤かった。
その頃、地上では。
朝練に向かう新入生たちが、給水塔の上から立ちのぼる湯気を見上げて震えていた。
「……見ろ」
「プレフェクト佐伯とハミルトン様が……」
「塔の上で……何かの儀式を……」
「煙が出てる……」
「生贄か……?」
そこへ通りかかったジョージが双眼鏡を覗き、肩を震わせた。
「いやー……違うよ(笑)」
「え?」
「カップ麺だよ(笑)」
■ジョージ幕間(観測ログ:給水塔の夜明け編)
『サエキ事変ノート:校則の死角で朝食を』
十一月初旬。
サエキ拓海、校則の文言解釈だけで伝統校の秩序に穴を開ける。
現状:
拓海
「書いてなければセーフ」を人生哲学にしている男。給水塔を秘密基地に変えた。
エドワード
怒鳴りながら同行し、怒鳴りながら防寒具を持参し、怒鳴りながら朝焼けとラーメンを満喫した男。
新入生たち
二人が湯を沸かすだけで黒魔術だと思っている。
ジョージ
「ハミルトン様、君がどれだけ規律を語っても、サエキの『ラーメン食おうぜ』の一言で全部負けるんだよ(笑)」
(追記)
下校時刻までに、校内には新しい噂が広まっていた。
給水塔で秘密会議があった
ハミルトン様が天空で契約を結んだ
プレフェクト佐伯が朝日を呼んだ
二人は雲の上で龍を食った
ジョージは笑いすぎてしゃがみこんだ。
「……龍じゃない。醤油味だよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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