第百九十九話 「神話とは、当事者の怠惰な日常を、観測者が勝手に”天変地異の前触れ”と誤読することで成立する虚構である」という話
仲良しだねぇ
十一月下旬。夕食後のコモンルーム。
暖炉の火が赤く揺れ、談話室にはカードゲームの笑い声や本のページをめくる音が漂っていた。
その一角だけ、妙に空気が張り詰めている。
新入生のシェルたちは、ソファの陰に集まり、息を潜めていた。
視線の先には、最上級生用の席に当然のように陣取る二人の姿がある。
「……見ろよ。プレフェクト佐伯だ」
「さっきラグビー部の下級生、片手で持ち上げてたぞ……」
「その隣……ハミルトン様だ」
「うわ、目が合ったら終わるやつだ……」
そこにいたのは、彼らにとって校内でもっとも近寄ってはいけない二人だった。
佐伯拓海。
図体が大きく、笑っていても何となく怖い。怒れば壁ごと壊しそうな日本人。
エドワード・ハミルトン。
姿勢一つ崩さず座り、翡翠色の瞳で周囲を静かに切り裂く、冷たい貴公子。
二人が並んで座っているだけで、場の重力が変わる。
「……あれ、何話してるんだ?」
「わからない……でも絶対よくない相談だ……」
新入生たちは固唾を呑んだ。
実際の会話はこうだった。
「……なぁ、エド」
「何だ」
「さっきのプロテイン、やっぱチョコ味の方がよくなかったか?」
「黙れ。私はお前が選んだバナナ味を責任を持って飲まされたのだ。今さら後悔を口にするな」
「固ぇなぁ。……あ、前髪にチョコついてるぞ」
「……は?」
拓海が無造作に手を伸ばす。
その瞬間、新入生たちの間に緊張が走った。
「……動いた!」
「佐伯がハミルトン様の顔に手を――!」
「止めろ、見ちゃいけないやつだ!」
彼らには、巨大な猛獣が王の喉元へ手をかけたように見えていた。
だが現実には、プロテインの粉らしきものが前髪についていただけである。
「じっとしてろって」
「触るな、タクミ。衆人環視の中で私の尊厳を損なうな」
「チョコついたままの方が損なってんだよ、バカ」
拓海は遠慮なく前髪を払い、そのまま頭をぐりぐりと撫で回した。
「やめろ……っ」
「動くなって」
「……っ、タクミ!」
エドワードの耳まで赤く染まる。
新入生たちは青ざめた。
「終わった……」
「ハミルトン様が屈服させられた……」
「いや違う、あれは血の盟約だ」
「今ここで見たこと、墓まで持っていこう」
列の後ろで一人、去年からいる下級生がぼそりと呟いた。
「……違うぞ。あの二人は昔から意味不明なんだ」
誰も聞いていなかった。
拓海は何事もなかったようにシェイカーを振った。
シャカシャカシャカ。
その音に、新入生たちはさらに震える。
「……何か混ぜてる」
「毒だ……」
「いや、戦闘前の儀式かもしれない……」
「いや、ただの追加プロテインだろうが!」
去年からいる下級生が思わず突っ込んだが、やはり誰も聞いていなかった。
拓海はエドワードに差し出す。
「ほら、飲め」
「いらん」
「成長期だろ」
「お前もだ」
「俺はでかいからいい」
「その理屈は初めて聞いた」
結局、エドワードは受け取って飲んだ。
新入生たちはざわめいた。
「従わせた……」
「やはり主従関係……」
「いや、対等な契約者同士か……」
「だから違うって!」
去年からいる下級生だけが疲れていた。
■ジョージ幕間(観測ログ:神話の自然発生編)
『サエキ事変ノート:怪物たちの日常、少年たちの悪夢』
十一月下旬。
本人たちはプロテインの味で揉めているだけなのに、周囲の恐怖指数だけが順調に成長中。
現状:
拓海
笑いながら飲み物を振っているだけで「敵国への威嚇」と解釈される男。
エドワード
赤面しているだけなのに「怒りで血の気が引いた」と噂される男。
新入生たち
情報源が想像力しかない。
ジョージ
「いやー……最高だね(笑)。本人たちは『チョコついてる』『触るな』ってやってるだけなのに、新入生には王朝交代劇に見えてるんだから(笑)」
(追記)
翌朝、校内には新たな噂が流れていた。
佐伯がハミルトン様を制圧した
ハミルトン様が佐伯に忠誠を誓った
二人で秘密兵器を調合していた
暖炉の前で不可侵条約が結ばれた
ジョージは腹を抱えて笑った。
「ハミルトン様。君がどれだけ高潔に座っていても、サエキの隣にいる限り、ただの“怖すぎるバカ”なんだよ(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




