第百九十八話 「規律とは、自由を縛る鎖ではなく、逸脱という名の快楽を最大化させるための、壮大なフリである」という話
全編こういうので行きたいんですがなかなか…
クレストフィールド学院
十一月中旬。最低気温が氷点下を記録した朝。
パブリックスクールの静寂を破ったのは、監督生の赤いタイを雑に締めた拓海の、やたら晴れやかな声だった。
「……よっしゃ! 完璧に凍ってんじゃねぇか! エド、見ろよあの池!」
白い息を吐きながら拓海が指差した先には、夜の冷え込みで見事に結氷した校庭の池があった。
薄く朝日を反射するその表面は、どう見ても「近づくな危険」の類である。
だが拓海の目には違った。
そこには、最高の遊び場が広がっていた。
「……お前、まさか」
エドワードが嫌な予感に眉をひそめる。
拓海はにやりと笑い、プレフェクト用の重厚なコートを脱ぎ捨てた。
その脇には、いつの間に持ち出したのか、食堂の巨大な銀のトレイが抱えられている。
「ソリだよ。見りゃわかるだろ」
「わからない。理解したくもない」
「この厚さなら余裕だろ。おいエド、お前後ろ乗れ。二人なら重さで加速して……」
「……お前は、バカか!!」
冬の校庭に、エドワードの怒声が響いた。
一歩で距離を詰めた彼は、拓海の襟首を掴んで力任せに引き戻す。
「お前は監督生だろうが! 新入生が見ている! そこで何故、模範ではなく遭難未遂を見せようとする!」
「うるせぇな! プレフェクトが先に試した方が安全確認になるだろ!」
「ならない!」
「なる!」
「ならない!!」
朝から英国名門校の池の前で繰り広げられる、あまりにも低次元な言い争いだった。
遠巻きにしていた下級生たちはざわついていた。
「……あれが今年のプレフェクト?」
「赤いタイの人、凍った池で滑ろうとしてる……」
「止めてるハミルトンの方が上級生っぽくない?」
ジョージだけが少し離れた場所で、無言でカメラを構えていた。
「いやー……朝日が綺麗だね(笑)」
エドワードはなおも拓海を羽交い締めにしたまま、低く言い放つ。
「校則違反。備品の私的流用。氷上侵入。転倒による負傷。監督生失格。
始末書三枚。……お前一人でどれだけ問題を同時発生させるつもりだ」
「理屈が長ぇんだよ! 今しかねぇんだって! 朝イチの氷が一番速ぇの!」
「その知識を人生の別の場所で使え!」
もみ合う二人の手から、ふいに銀のトレイがするりと抜けた。
「あ」
次の瞬間。
トレイは一人で池の上へ飛び出し、信じられないほど美しい軌道で氷上を滑走した。
朝日を反射しながら一直線に進み、最深部あたりで氷を割って、
バシャァン!
盛大な水音とともに沈んだ。
しばしの沈黙。
拓海が口を開く。
「……すげぇ。思ったより伸びたな」
「感想がそこなのか、お前は」
エドワードは額を押さえ、深く息を吐いた。
「……タクミ」
「ん?」
「今すぐ私の部屋へ来い」
「怒られんの?」
「始末書を書く」
「お前が書けよ。止めたんだから共犯だろ」
「どこに共犯要素がある!」
拓海はけろりとして笑った。
「だってお前、後ろ乗る予定だったじゃん」
「乗る予定は一秒たりともなかった!!」
その声が、凍てつく朝の空気にきれいに響いた。
■ジョージ幕間(観測ログ:氷上未遂事件)
『サエキ事変ノート:プレフェクト、開始三分で権威失墜の巻』
十一月中旬。
拓海、監督生という肩書きを「一番先に危険を試してよい者」と曲解。
現状:
拓海
凍った池を見た瞬間に理性終了。肩書きより好奇心が勝つ男。
エドワード
拓海を立派な象徴に育てたいのに、毎朝素材が野生動物。最近の口癖は「お前は監督生だろうが」。
ジョージ
「いやー……最高だね(笑)。名門校の朝焼け、凍った池、沈む銀トレイ、叫ぶハミルトン様。芸術点が高すぎるよ(笑)」
(追記)
池から引き上げられた銀のトレイは見事にへこんでいた。
そのへこみを見つめるエドワードの横で、拓海は一言。
「これ、ソリ向きに曲がったんじゃね?」
ハミルトン様、無言。
拳だけが震えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




