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第百八十四話 「再会とは、止まっていた時間を動かすことではなく、互いの変質を沈黙の中で承認する儀式である」という話

パブリックスクール最後の1年の始まりー

クレストフィールド学院

九月。英国、パブリックスクールの寮。


長い休暇を終えたばかりの校舎は、どこか空気が締まっていた。

夏の間に抜けていた音や気配が戻りきらず、廊下には乾いた静けさが残っている。


拓海はトランクを足元に置き、自室の前に立っていた。


日本の湿った空気。

煩わしい現実。

選ばなければならなかった、いくつものこと。


それらをすべて抱えたまま、それでもここに戻ってきたという実感が、

遅れて胸の奥に落ちてくる。


(……戻ってきたな)


小さく息を吐く。


鍵を差し込み、回す。

カチリ、と乾いた音。

扉を押し開ける。


変わらない部屋。

整いすぎた静寂。


そして、その奥。


「……遅い、タクミ」


窓際に立つ影が、ゆっくりとこちらを振り返る。


逆光の中に浮かぶその輪郭を見た瞬間、拓海はわずかに目を細めた。


(……あれ)


違和感は、ほんの僅かだった。


だが、確実にある。


記憶よりも高い位置にある視線。

わずかに変わった肩のライン。

立ち方そのものに、以前にはなかった安定がある。


「……エド」


自然と口に出る。


「お前、背、伸びたか?」


エドワードは答えない。


ただ、一歩だけこちらに近づく。


靴音が、静かな部屋に小さく響く。


「……お前がいない間に」


ようやく、短く返す。


「必要な分だけ」


それ以上は言わない。

距離が、ゆっくりと縮まる。


かつては一方的に詰められていたはずの距離が、

今はただ自然に埋まっていく。


目線が合う。


以前は見下ろされていたその視線が、今はほとんど同じ高さにある。

ほんのわずかな差だけが残っていて、それが妙に現実的だった。


「タクミ」


呼ばれる。


エドワードの手が、拓海の肩に触れそうな位置で止まる。


触れない。

だが、迷いもない。


そのまま、ほんの僅かに指先が揺れる。


距離を測るように。

確かめるように。


「……遅い」


もう一度、同じ言葉。


責める響きはない。

ただ、待っていた時間の分だけ、その言葉が重くなっていた。


拓海は、少しだけ息を吐く。


(……ああ)


そこで、理解する。


こいつは、もう前みたいに“捕まえよう”としてない。

囲い込んで、逃げ場を塞いで、自分の中に閉じ込める気配がない。

代わりに。


(……選ばせる気か)


自分が戻ってくるかどうか。

ここに立つかどうか。


それを、こちらに委ねている。


だが同時に。


(……その代わり、逃がす気もねぇな)


そうも感じる。


エドワードは静かに口を開く。


「タクミ」


声は低く、落ち着いていた。


「お前がどこへ行こうと、何を選ぼうと……それはお前の自由だ」


そこで一度、言葉が切れる。


だが、その先は、以前よりもはっきりしていた。


「……そのうえで」


視線が、わずかに強くなる。


「お前が戻る場所として、私を選ばせる」


言い切る。

命令ではない。

だが、引き下がる余地もない。


「お前にとって、私が必要だと……そう思わせるためのことなら、私はすべてやる」


静かな声。


だがその中にあるものは、以前の支配よりもよほど重かった。


囲わない。


縛らない。


それでも、逃がさない。


ただ、“選ばせる”。


拓海は、少しだけ目を細める。


(……やり方、変えてきやがったな)


口元がわずかに歪む。


「……へぇ」


小さく笑う。


「言うようになったじゃねぇか」


一歩、距離を詰める。

今度は、自分から。


「じゃあ試してみろよ」


視線を外さない。


「俺が、お前選ぶだけの価値あるかどうか」


空気が、わずかに張り詰める。


だがそれは、以前のような一方的な圧ではなかった。


互いに踏み込める距離。

互いに引かない距離。


その中でだけ成立する、静かな緊張。


二人は、何も言わずにその場に立っていた。


距離は変わらない。


だが、その意味だけが、完全に書き換わっていた。


■ジョージ幕間(観測ログ:再会・再定義編)


『サエキ事変ノート:選択される重力編』


「……やっとか」


ジョージは小さく笑う。


スマホの画面には、向かい合う二人の影。


「捕まえるのやめて、“選ばれる側”に来たか」


肩をすくめる。


「一番めんどくさいやつだよ、それ」


くすりと笑う。


「でもまぁ」


少しだけ声が柔らぐ。


「その方が、長く続くよね」


カメラを構える。


「サエキも逃げないし」


シャッター音。


「……これ、完全に対等だ」


小さく息を吐く。


「さて」


口元が歪む。


「どっちが先に折れるかな」

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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