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第百七十八話 「現実とは、湿った空気のように逃げ場なくまとわりつき、やがて自分の輪郭をはっきりさせるものである」という話

日本での夏休みが開始。菜摘ちゃん!

六月の終わり。成田空港。


自動ドアが開いた瞬間、空気が変わった。


重い。

湿っている。

肺にまとわりつくような、逃げ場のない熱気。


「……うわ」


拓海は思わず顔をしかめる。


「……なんだこれ。……息苦しいな」


「日本の夏をなめないことね」


隣で詩織が淡々と言う。


「ほら、行くわよ。お父さんたちが待ってる」


車に乗り込む。


窓の外は、灰色だった。


低い空。

濡れた道路。

どこまでも続く、彩度の低い街。


英国の空気とは、まるで違う。


あの場所にあった――


翡翠色の視線も。

十メートルという距離も。

すべてが、遠い。


まるで夢みたいに。


「……静かだな」


ぽつりと漏れる。


詩織がちらりと見る。


「当たり前でしょ」


「ハミルトンも、あのカメラ小僧もいないんだから」


「……あんた、恋しいの?」


「……まさか」


即答する。


だが、少しだけ間があった。


「せいせいしてるよ」


窓の外を見る。


「空気も……まぁ湿ってるけど」


小さく笑う。


「軽い気がするしな」


実家の食卓。

湯気の立つ料理。

見慣れた配置。


逃げ場のない、”日常”。


「おかえり、拓海」


父の声。


落ち着いていて、真っ直ぐだ。


「向こうでの生活はどうだ」


一拍。


「……それより、大学はどうする」


すぐに、核心に入る。

逃げ道はない。


「英国の学校はあと一年ある」


「だが、日本で受けるなら準備が必要だ」


箸を置く。


「明日から塾に行け」


「夏の間だけでもいい」


「今の自分の立ち位置を確認しておけ」


「……塾かよ」


小さく呟く。


「せっかくの休みなのに……」


文句は弱い。


本気ではない。

頭の中に浮かぶ。

あの場所。


走って、笑って、ぶつかって。

意味もなく騒いでいた日々。


それに比べて。


ここにあるのは――


偏差値。

進路。

現実。


「……いいじゃない」


詩織が口を挟む。


「行ってきなさいよ」


茶をすすりながら。


「今のあんたが、どれだけ“あっち”に寄ってるか」


少しだけ視線を上げる。


「ちゃんと見てきなさい」


拓海は黙る。


反論しない。


できない。


(……楽だったんだよな)


あそこは。

考えなくてよかった。


あいつとバカやってれば、それでよかった。

全部、埋まってた。


でも。


(……それだけじゃダメだ)


たぶん。


「……わかってるよ」


小さく息を吐く。


「行くよ。行けばいいんだろ」


その夜。


部屋で、スマホを手に取る。


通知は、ない。


一通も。


エドワードからも、ジョージからも。


何も来ていない。


「……は」


小さく笑う。


「あいつらしいな」


それは、放置じゃない。


わかっている。


あれは。


「……日本でやれ」


っていう。


あいつなりの。

最悪に重たい、エールだ。


スマホを握る。


画面を開く。

閉じる。


(……まぁ、いいか)


ベッドに倒れ込む。


天井を見る。


静かだ。

本当に。


その静けさの中で。


ふと、思う。


(……十メートルって)


あんなに邪魔だったのに。


今は。

妙に。

遠い。


■ジョージ幕間(英国・残留観測ログ)


『サエキ事変ノート:重力の逆転編』


「いやー」


ジョージは笑う。


「静かだねぇ」


カメラを弄びながら。


「被写体がいないと、こんなに暇なんだ」


軽く肩をすくめる。


窓の外。


乾いた空気。


変わらない景色。


「サエキは今、日本か」


ぽつりと。


「湿気で死んでそうだね」


くすりと笑う。


「でもさ」


少しだけ真顔になる。


「今回のあいつ」


椅子に深く座る。


「ちゃんと帰った」


一拍。


「逃げないやつ」


スマホを回す。


「ハミルトン様も」


視線を横に流す。


そこにいる。


エドワード。


動かない。

何もしていない。

ただ、座っている。


「……何もしてないのが一番やばいよね」


小さく笑う。


「干渉しないっていう干渉」


カメラを構える。


シャッターを切る。


「信じてるんだ」


ぽつりと。


「戻ってくるって」


もう一枚。


「だから何もしない」


肩をすくめる。


「いやー」


笑う。


「重い重い」


カメラを下ろす。


「サエキ」


小さく呟く。


「ちゃんと戻ってこいよ」


一拍。


「じゃないとさ」


にやりと笑う。


「今度は“世界ごと固定”されるからね」

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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