第二話 「アケボノって食い物か?」といわれた話
なんか違う日本語講座?
談話室。
暖炉の火が、静かに揺れている。
「タクミ」
「ん?」
「春はアケボノ、とは何だ」
またそこか。
拓海は本から顔を上げる。
エドワードは真剣だった。
「どこで詰まってる」
「アケボノだ」
「やけにピンポイントだな」
エドは頷く。
「曙、という言葉は知っている」
「へぇ…漢字知っとるとかやるじゃん」
「日本の店で見た。瓶に書いてあった」
「あー……」
ありそうだな。
「それと」
続ける。
「アケボノという力士がいるのだろう」
「おいなんで知ってんだよ」
「調べた」
無駄に真面目だ。
エドは指を立てる。
「つまり、春はアケボノ。すなわち、春には曙が最も優れている」
「……まあ」
一瞬だけ間を置く。
「そんな感じ(間違っとるがな)」
言った。
「やはりそうか」
完全に信じた。
ノートを開く。
「春=アケボノ(日本の食文化)」
「おい待て」
「季節ごとに食が異なるのは合理的だ」
「そこはいい(よくない)」
「冬はどうなる」
「知らん」
「重要だろう」
真顔で言うな。
「タクミ」
「なんだ」
「なぜ空を見て食欲が湧くのだ」
「は?空?」
「アケボノは空の色なのだろう?」
止まる。
拓海は顔をしかめた。
「……そうだよ(なぜこれで修正できる)」
「そうなのか」
「夜明けの空の色。ちょっと明るくなりかけの時間帯」
沈黙。
エドはゆっくり頷く。
ノートを書き直す。
「春=夜明けの空」
「そうだな」
「だが、」
顔を上げる。
「先ほどは食べ物と言ったな」
「……」
逃げ場がない。
「まあいい」
肩をすくめる。
「日本人は空見て腹減るんだよ」
「なるほど」
真顔で書くな。
「日本人は空に食欲を感じる民族……興味深い」
(もうだめだこれ)
「で?」
話を変える。
「他に覚えたいのあんのか」
「ある」
即答。
「感情を強調する言葉だ」
「出たな」
「文学には必要だ」
無駄に正論。
「いいぞ」
拓海は少しだけ考えて、
にやりと笑った。
「“マジか”」
「マジカ」
「驚いた時」
「なるほど」
「あと“やばい”」
「ヤバイ」
「良い時も悪い時も、強い時全部に使える」
「便利だな」
「便利だ」
エドは頷く。
そして、すぐに使う。
「春はアケボノ」
一拍。
「……ヤバイな」
「やめろ」
即ツッコミ。
「なぜだ」
「使い方が違う」
「強い感情だろう」
「そうだけど」
「私は今、強い興味を抱いている」
真顔。
「だからヤバイ」
「間違ってはねぇけど」
エドは少し考えて、
「マジか」
「うん。全部ズレてる」
しばし沈黙。
エドはゆっくりと頷いた。
「日本語は難しいな」
「だろ?」
「だが」
顔を上げる。
「面白い」
その言葉に、拓海は少しだけ笑う。
「お前、そんなんじゃ将来自分の子供に、変な日本語教えることになるぞ」
軽口のつもりだった。
だが。
エドは少しだけ視線を落とす。
「……子供か」
珍しく、考えるような間。
そして、ゆっくり顔を上げる。
「もし私に子が産まれたら」
さらっと言った。
「お前が名付け親になれ」
「は?」
「日本語で、“ヤバイ”と名付けよう」
「絶対やめろ」
即答だった。
エドはわずかに眉をひそめる。
「なぜだ」
「なぜでもだ」
「強い言葉だろう」
「そういう問題じゃねぇ」
「では“マジカ”はどうだ」
「もっとやめろ」
真顔で候補出すな。
エドは少しだけ考えて、
「……難しいな」
「当たり前だ」
ため息。
でも。
「その時は」
エドは静かに言う。
「ちゃんとした名前を、お前に考えてもらう」
軽い口調なのに、妙にまっすぐだった。
拓海は一瞬だけ言葉に詰まって、
それから視線を逸らす。
「……知らねぇよ」
そう言いながら、
少しだけ笑った。
暖炉が、ぱちりと音を立てる。
今日も、間違った日本語が増えていく。
そして、どうでもいいはずの会話が、
なぜか少しだけ残っていく。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




