第百七十四話 「変身とは、自分を偽るための手段ではなく、対象の視界を完膚なきまでに独占するための武装である」という話
本とは劇のロミオとジュリエットでエドワードをジュリエットで出そうかなと思ったんだけど。
話にならなそうだったので仮装させてみました。
演劇祭の、翌週。
サマータームの有志イベント。
廊下には、まだあの舞台の余韻が、どこか薄く残っている。
―そのはずだった。
「……タクミ。準備は、完了した」
控室の扉が開く。
その瞬間、拓海の視界から、周囲の色が落ちた。
残ったのは、深紅。
そこに立っていたのは――
中世の意匠を完璧に再現した、深紅のドレス。
無駄のないライン。
過剰なまでに計算された装飾。
そして、それを“着こなしている”エドワード。
ただ立っているだけで、空間の意味が書き換わる。
古びた廊下が、王宮になる。
すれ違った生徒が、足を止める。
声を失う。
「…………」
拓海の口が、わずかに開く。
笑うつもりだった。
確かに、そのはずだった。
「……お前……」
一歩、引く。
それでも、目が離れない。
「……エドワード?」
名前を呼ぶ声が、少しだけ掠れる。
「……ぶっ、エ―」
吹き出しかけて、止まる。
「……なんだそれ……」
言葉を探す。
見つからない。
代わりに、出てきたのは。
「……美しすぎて、怖ぇんだよ」
エドワードは、何も答えない。
ただ、扇の奥から、静かに視線を向ける。
翡翠色の瞳。
そこに、一瞬だけ。
(……あの時の)
舞台の上で、掴まれた手の感触がよぎる。
熱。
呼吸。
距離の消失。
―違う。
思考を、切る。
「……黙れ」
低く、短く。
「お前が、昨日、言ったのだろう」
一歩、近づく。
裾が、床を滑る。
「『ハミルトンの姫姿なら、運命も書き換わりそうだな』と」
距離が縮む。
いや―
縮まっていないはずなのに。
ドレスの裾が、視界を埋める。
十メートルという概念が、意味を失う。
「……私は、それを実行しただけだ」
声は静かだが、どこか硬い。
「ハミルトンの誇りにかけて」
さらに一歩。
「お前の望む、“最高級”を」
止まる。
目の前。
「体現したまでだ」
拓海の喉が、わずかに鳴る。
後ろに下がるべきだった。
たぶん。
でも、足が動かない。
視界が、奪われている。
周囲の音が、遠い。
人の気配が、薄れる。
残るのは、目の前の色と、声と――
「……タクミ」
白い手袋の指先が、伸びる。
触れる。
軽く。
逃げる余地を残すように。
「今日一日」
そのまま、指を絡める。
「お前の網膜には」
握る。
逃がさない強さで。
「私以外の不純な存在を」
視線が、固定される。
「投影させることは、許さない」
一拍。
呼吸が、近い。
「舞台での、あの熱」
ほんのわずかに、声が低くなる。
「この美しさで」
言い切る。
「すべて、上書きしてやる」
拓海の指先が、ぴくりと動く。
振りほどくことはできる。
簡単だ。
―なのに。
「……お前……」
言葉が続かない。
ただ、見てしまう。
「……視神経、全部、買われる気分なんだけど」
エドワードの口元が、わずかに動く。
「既に、買収済みだ」
即答。
「バイアウトは完了している」
「眼精疲労で死ぬわ、……バーカ!!」
ようやく声が戻る。
だが、手は離れない。
■ジョージ幕間(学園祭・ドレスコード観測ログ:姫君の進撃編)
『サエキ事変ノート:ハミルトン姫の宣戦布告編』
「……いやぁ」
ジョージは、カメラ越しに覗きながら、小さく息を漏らす。
「これはもう、芸術だね」
シャッターを切る。
一枚。
二枚。
三枚。
深紅のドレス。
引きずられるように歩く拓海。
完全に視界を奪われている。
「美しすぎて、笑えないやつ」
肩をすくめる。
「サエキ、君の軽口さ」
モニターを見ながら、くすりと笑う。
「国家予算規模で返ってきてるよ」
さらに一枚。
拓海の横顔。
目が離せていない。
「ほら」
指で示す。
「完全に捕まってる」
一拍。
「――でもさ」
視線を上げる。
二人の背中。
「これ、“負けてる”の、どっちだろうね」
カメラを下ろす。
「エドワード様、あれ」
少しだけ楽しそうに。
「自分の方が見られてるの、気づいてないでしょ」
またシャッター音。
「サエキの視界、独占したつもりで」
笑う。
「自分が、独占されてる」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
いいねや感想など、いつも励みになっています。
この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




