第百七十三話 「運命とは、用意された結末へ向かう脚本ではなく、それを書き換えてしまう一瞬の熱量のことである」という話
拓海君、台本書き換えたらだめでしょう
五月。サマータームの演劇祭。
演目は、王道の『ロミオとジュリエット』。
舞台の中央。
エドワードはロミオとして立っていた。
一寸の狂いもない台詞。
無駄のない所作。
計算し尽くされた、絶望。
彼のロミオは、美しかった。
あまりにも整いすぎていて、観客は息を呑み、ただ見つめるしかない。
―完璧な、滅び。
毒を飲み、静かに息絶える。
そのはずだった。
その瞬間。
「……おい」
舞台の空気が、わずかに歪む。
「……勝手に、終わらせようとしてんじゃねぇよ」
低い声。
本来、そこにいるはずのない男が、立っていた。
マキューシオ。
――退場したはずの役。
(……タクミ?)
エドワードの意識が、ほんのわずかに浮く。
台本にはない。
だが、拓海は止まらない。
泥にまみれたまま、血糊を流したまま。
まっすぐに歩いてくる。
そして。
ロミオの衣装を、掴んだ。
距離が、消える。
「……運命だの、呪いだの」
一語ずつ、叩きつけるように。
「……そんなの、知るかよ」
観客席がざわめく。
だが、それは遠い。
エドワードの意識は、目の前の男に引きずり込まれていた。
「……生きて」
掴む手に、力がこもる。
「……バカやって」
息が近い。
「……全部、笑い飛ばせばいいだろ」
その掌は、熱かった。
舞台上の毒よりも、ずっと強く。
理性に触れてくる。
(……これは)
思考が、遅れる。
(……違う)
これは台本ではない。
これは計算できない。
(……なぜだ)
ロミオは、ここで死ぬ。
そうあるべきだ。
それが美しい。
それが、正しい。
―なのに。
目の前の男は、それを壊しにきている。
迷いなく。
躊躇なく。
ただ、当たり前のように。
「……タクミ」
声が、わずかに揺れる。
「……お前は」
続かない。
言葉が、出ない。
代わりに、手を見る。
掴まれている。
その指先が、ほんのわずかに動く。
離せばいい。
簡単だ。
役に戻ればいい。
完璧な死へ。
―なのに。
指が、閉じる。
ゆっくりと。
躊躇うように。
それでも確かに。
握り返す。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
世界が止まったように感じた。
(……ああ)
理由は分からない。
だが。
(……これは)
離してはいけないと、思った。
観客のざわめきが、少しずつ変わっていく。
予定された悲劇ではない。
だが、目が離せない。
誰もが、見ている。
「……タクミ」
小さく、呟く。
「……ふざけるな」
声は低い。
だが、拒絶ではない。
どこかで、崩れている。
それでも、手は離さない。
幕が降りる。
■ジョージ幕間(観測ログ:脚本破壊の現場より)
『サエキ事変ノート:シェイクスピアへの反逆編』
「いやー……」
ジョージはカメラを下ろして、息を吐いた。
「やってくれるねぇ」
モニターを確認する。
写っているのは――
手を掴まれたまま、動かないロミオ。
「台本、全部飛んだよ」
軽く笑う。
「でもさ」
一枚、拡大。
指先。
握り返している。
「今の、完全に役じゃなかったよね」
肩をすくめる。
「ハミルトン様、あれ」
一拍。
「選んだでしょ」
シャッター音。
「“死”じゃなくて、“そっち”」
遠くを見る。
舞台の中央。
まだ動かない二人。
「サエキ。君さ」
小さく笑う。
「とうとう、書き換えちゃったね」
舞台裏。
血糊のまま、拓海が笑っている。
「よっしゃ、終わった!」
その横で。
エドワードは、まだ座り込んでいる。
手を見ている。
さっきまで、そこにあった熱を。
(……なぜだ)
答えは出ない。
ただ。
もう一度、握るように、指を閉じる。
サマータームは終盤へ。
期末試験と、進路。
現実という名の“台本”が、再び二人を待っている。
「……楽しみだね」
ジョージは呟く。
「次はどこまで逸れるのか」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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