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百六十四話 「不在とは、自分の知らないところで相手が楽しく過ごしているという地獄のことである」という話

拓海君は素だとこんな感じ。

イースター休暇、直前。

ロンドン中心街。


学園の外に出た瞬間、世界の色が一段階明るくなる。

曇天すらどこか軽く、街の喧騒は妙に楽しげに響いていた。


―そして。


エドワードがいなくなった寮の連中は、まるで檻の鍵が壊れた動物園のように、見事なまでに野放しになっていた。


「ヒャッハー! ロンドンだ!!」


誰かが叫ぶ。


「自由だ!! フィッシュアンドチップスの油で溺れてやる!!」


「やめろ死ぬぞ!」


笑いが弾ける。


「サエキ、こっちこっち! 地下鉄頼む!」


「任せろ!」


拓海は、数人のクラスメイトに囲まれながら、街の中を軽い足取りで歩いていた。


本来の彼は、こういう男だ。


困っている奴がいれば放っておけない。

誰かがバカをやれば、全力で乗る。

そして気づけば、その中心にいる。


あの「十メートルの静寂」が消えたことで。


その本来の性質が、何の抵抗もなく表に出ていた。


「ロンドンの地下鉄は迷路だけどな!」


振り返って笑う。


「俺の直感バカなら、マップなしでもたどり着ける!!」


「信用ならねぇ!!」


「でもお前が一番頼りになるんだよな!」


笑いながら肩を叩かれる。

距離が近い。

近すぎるくらいに。


「サエキ、お前ほんといい奴だな!」


「エドワードいないとマジで別人じゃん!」


「うるせぇよ!!」


返しながら、笑う。


自然に。

何の引っかかりもなく。

それは、誰の許可もいらない“普通の時間”だった。


一方、その少し離れた位置で。


ジョージは、静かにシャッターを切っていた。


無駄のない動きで。

完璧な構図で。

一切の遠慮なく。


笑っている拓海。

肩を組まれる拓海。

誰かに引っ張られている拓海。


すべて、記録する。


「……うん」


小さく呟く。


「これは、効く」


■同時刻・ハミルトン伯爵邸


「……静かすぎる」


低く、押し殺したような声が、広すぎる室内に落ちた。


重厚な調度で整えられた私室は、音を吸い込むように静まり返っている。

暖炉の火は規則正しく揺れ、すべてが“正しく整えられている”はずの空間。


だが、その整然とした静寂が、今のエドワードには耐えがたかった。


長椅子に身を沈めたまま、彼は天井を見上げる。


父―ハミルトン伯爵からの命令は、明確だった。


「品位を保て」

「不作法な執着は許されない」

「次期当主としての振る舞いを再構築しろ」


どれも正論だ。

理解もしている。従うべきだという自覚もある。


だが。


「……タクミ」


思考は、そこにしか向かわない。


「今ごろ……」


ゆっくりと目を閉じる。


「……私のいない静寂の中で……」


一拍。


「……私の不在を……嘆き……」


わずかに、息が乱れる。


「……独りで……」


さらに一拍。


「……私の再臨を……待っているはず……」


―その瞬間だった。


スマートフォンが、唐突に震えた。


規則正しい静寂を破る、異物のような振動。


エドワードの視線が、ゆっくりと手元に落ちる。


表示された名前を確認した瞬間、わずかに眉が動いた。


ジョージ。


メッセージは、たった一行。


『今のサエキ、最高に輝いてるよ(笑)』


「……何を」


呟きながら、開く。


そして。


次の瞬間、エドワードの世界は完全に反転した。


画面いっぱいに広がる、写真と動画。


無造作に、しかし執拗な量で送りつけられた“記録”。


最初の動画を再生する。


拓海が、笑っていた。


知らない顔で。

知らない距離で。

知らない誰かの肩に腕を回しながら。


「……」


指が止まる。


次の写真。

見知らぬ女子留学生に話しかけられ、

やけに柔らかい表情で応じている拓海。


その距離が、近い。

近すぎる。


さらに次。

口の周りをソースで汚しながら、無防備に笑う拓海。


―そこに、自分はいない。


「………………は?」


声にならない音が漏れた。


理解が、追いつかない。

いや、理解したくない。


「……誰だ」


かすれるような声。


「その男は……」


指先が、震え始める。


「なぜ……」


息が詰まる。


「なぜ、お前の肩に……触れている……」


次の瞬間。


エドワードは長椅子から崩れ落ちた。

絨毯に膝をつき、そのまま体を支えきれずに倒れ込む。


「……タクミ……!!」


押し殺していた声が、歪んで溢れる。


「なぜ……!!」


呼吸が乱れる。


「なぜ私のいない世界で……そんなに“普通”に笑っている……!!」


拳が、床を叩いた。

鈍い音が響く。


「それは……不法占拠だ……!!」


言葉が荒れる。


「その笑顔の所有権は……」


息を吸う。


「私が……正面から……予約していたはずだ……!!」


視線が再びスマートフォンへ落ちる。


そこに映るのは、“自分のいない拓海”。


完全に、独立した存在として笑っている姿。


「……許さない……」


低く、震える声。


「その男たち……」


一拍。


「すべて……消去(予約キャンセル)してやる……」


その呟きは、ほとんど祈りに近かった。


扉の向こう。


静かに控えていた使用人たちは、顔を見合わせる。


「……若旦那様が、また……」


「ええ。高度な思索に入られたようです」


誰も中には入らない。


それが、この家の“正しい距離”だった。


■ジョージ幕間(文章寄り)


「……ヒ、ヒヒッ」


ロンドンの喧騒の中で、ジョージは肩を震わせていた。


スマートフォンの画面に表示された長文メッセージ。

その内容は、もはや一部検閲が必要なレベルに達している。


「来たなぁ……」


楽しそうに呟く。


一度画面を閉じ、ゆっくりと顔を上げる。


視線の先。


拓海は、まだ笑っている。


誰かに肩を叩かれ、何かを言い返し、また笑う。


「サエキ」


小さく、名前を呼ぶ。

当然、届かない。


「君、今さ」


一拍。


「人生で一番自由だよ」


さらに一拍。


「でも、それってさ」


口元が歪む。


「一番危ないタイミングなんだよね」


再びカメラを構える。


レンズの向こうで、拓海がまた笑う。


シャッターを切る。


「だってさ」


もう一枚。


「帰ってきたエドワード様が」


さらにもう一枚。


「これ見たら、どうなると思う?」


軽く笑う。


「……絶対、全部回収しに来るでしょ」

ここまで読んでいただきありがとうございます。


悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。


いいねや感想など、いつも励みになっています。

この話もゆるく続いていく予定なので、

また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。

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