第百六十話 「古典とは、古の変態たちが残した、時代を超えた執着の記録である」という話
エドワードに本を読ませちゃダメな気がしてきた
クレストフィールド学院
三月。雨の午後。
窓を叩く雨音が、規則正しく図書室に落ちていた。
湿った紙の匂いと、やる気のない生徒たちの気配が、空気を重たくしている。
その一角で。
拓海は、机に突っ伏す寸前の姿勢で、目の前の本を睨みつけていた。
「……無理」
ぼそりと呟く。
「何が無理なんだい、サエキ」
向かいの席で、ジョージが気楽にページをめくる。
「全部だよ」
指で本を叩く。
『ロミオとジュリエット』
「なんでこいつら、出会って数日で心中してんだよ」
一拍。
「予約(計画)性がなさすぎるだろ」
ジョージが吹き出す。
「サエキ、それを言ったら文学が終わるよ(笑)」
「いや終わっていいだろこれ」
ページをめくる手が雑になる。
「バルコニーの下でブツブツ独り言言ってる男とか、普通に通報案件だぞ」
「それはまあ、現代基準ならね」
「現代じゃなくてもダメだろ」
そのとき。
「……半分は正しい」
低く、滑らかな声が割り込んだ。
「だが、半分は浅薄だ、タクミ」
本棚の隙間。
十メートル先。
エドワードが、いつの間にか立っていた。
片手には、分厚い原書。
「げ……ハミルトン」
拓海が顔をしかめる。
「お前、激辛で死んでなかったのかよ」
「……胃壁の再構築(予約)は完了した」
さらりと返す。
「それより、問題はそこではない」
本を開く。
「お前は、シェイクスピアの本質を理解していない」
「いや別に理解したくもないんだけど」
「聞け」
即遮断。
「ロミオの行動は、監視ではない」
一拍。
「観測だ」
「言い換えただけだろそれ!!」
「違う」
静かに否定する。
「愛する対象を、一定距離から補完し続ける行為」
ページを指でなぞる。
「極めて理知的だ」
「理知的じゃねぇよ不法侵入だよ!!」
ジョージが横で肩を震わせる。
「さらに言えば」
エドワードは続ける。
「ジュリエットも同様だ」
原書を朗々と読み上げる。
その声だけは、やけに美しい。
「―“Why should I not chain him to my will”」
(なぜ私が、彼を私の意のままにつなぎ止めておいてはいけないの?)
「ほら見ろ」
静かに本を閉じる。
「対象を固定し、自由を剥奪したいという純粋な独占欲」
「それを詩的に表現したものだ」
「違ぇよ!! 解釈が犯罪寄りなんだよ!!」
「つまり」
一歩、わずかに体重を移す。
「私の十メートル先にお前がいるこの配置」
一拍。
「数世紀前から予約(予言)されていた」
「されてねぇよ!!」
「ジョージ」
拓海が真顔で言う。
「こいつ今すぐ文学界から出禁にしろ」
「ひゃはは! 無理だよ!」
ジョージは笑いを堪えながら肩を揺らす。
「エドワード様の手にかかれば、古典は全部“予約の記録”になるからね(笑)」
沈黙。
数分後。
拓海は、机に広げられたノートを見て固まっていた。
そこには、整った筆跡でびっしりと文章が書かれている。
タイトル。
『ロミオとジュリエット:一対一の占有に関する実証的考察』
「……おい」
声が低い。
「なんだこれ」
「お前の課題だ」
「違ぇよ!! こんなの提出したら人生終わるだろ!!」
「問題ない」
即答。
「論理は通っている」
「通ってねぇよ方向性が終わってんだよ!!」
■ジョージ幕間
「いやー……」
ジョージは腹を押さえていた。
「これはひどい」
一拍。
「文豪たち、完全に予約されちゃったね」
拓海のノートを覗き込む。
「サエキ、これ出したらさ」
にやりと笑う。
「先生に“君の精神状態を予約したい”って言われるよ(笑)」
さらに別角度から。
「……くっ」
ジョージはスマホを構える。
「バカすぎて腹痛い……」
画面の中。
エドワードが『ハムレット』を手に、静かに呟いている。
「……生きるべきか、死ぬべきか」
一拍。
「いや」
さらに一拍。
「予約すべきか……」
「やめろぉぉぉぉ!!」
拓海の絶叫が、図書室に響いた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




