第百五十八話 「羨望とは、手に入らない輝きを愛でることではなく、その輝きを永遠に閉じ込めておきたいと願う呪いである」という話
拓海は多分ずっと変わらんと思うぞエドワード
三月。試験終わりの放課後。
夕暮れの光が、長い廊下の床を鈍く染めていた。
日中の冷えをそのまま引きずった空気の中で、生徒たちのざわめきだけが、
どこか浮いたように響いている。
その一角で。
拓海は、いつも通りの調子で笑っていた。
「だからさ、あのグラフィックでフルプライスは詐欺だって! でもあの挙動、
ちょっと気になるんだよなー」
「サエキ、君は本当にどうでもいいことに命を懸けるね(笑)」
ジョージが肩をすくめる。
そのやり取りは、軽く、無意味で、どこにでもあるものだった。
だからこそ―
十メートル先。
エドワードは、その光景から目を離さなかった。
壁に背を預け、腕を組み、ただ静かに見ている。
視線は一点。拓海の口元、声の高さ、笑い方。
それらを、逃さないように。
(……タクミ)
音としてではなく、感覚として刻む。
(……お前は、眩しいな)
自覚はない。
だが、それは確かに“羨望”だった。
記憶が、わずかに揺れる。
幼少期。
五歳で帝王学を学び、七歳で社交の構造を叩き込まれ、十歳になる頃には「子供」という役割を終えていた。
笑うタイミングも、黙るタイミングも、
すべてが“適切”に調整された時間。
そこに「無駄」はなかった。
だからこそ。
目の前の光景が、異質だった。
国家の中枢に触れる家に生まれながら、
何も知らない顔で、どうでもいい話に笑う人間。
価値を持ちながら、それを自覚していない存在。
(……なぜ、そうでいられる)
理解はしている。
だが、納得はできない。
「……お前は、守られるべきだ」
声は、ほとんど独り言だった。
「実家の正しさからも、社会の汚泥からも」
エドワードにとって「正しさ」は、祝福ではない。
それは、個を削り取るための機構だ。
自分が通ってきた道を、拓海にも歩かせることなど―
(許容できない)
もし、拓海が。
自分の家の重さに気づき、
自分と同じように“役割を演じる側”へと回ったなら。
その瞬間。
この光は、消える。
「……だから」
思考が、静かに収束する。
「保存する」
変えさせない。
理解させない。
染めさせない。
それが、最も合理的な選択だった。
「あ、エド!」
不意に、視線が合う。
「お前、まだいんのかよ」
拓海が手を振る。
いつも通りの、何も考えていない顔で。
「またなんか難しいこと考えてんだろ。ほら、ジョージが余らせたグミやるよ。
これ、すげぇ変な味するぞ!」
差し出される、毒々しい色のグミ。
一瞬だけ。
エドワードの思考が止まる。
「……タクミ」
受け取る。
「お前のその、無自覚な施し」
視線を落とす。
「……最高に、不味そうだ」
一拍。
「だが、私がすべて、予約(完食)してやる」
口に入れる。
「……いや、不味いってわかってて食うなよ! バカかよ!」
拓海が笑う。
その笑いは、何も変わらない。
何も知らないままの、音だった。
エドワードは、その音を受け止める。
それが。
自分には存在しなかったものだと、知っているから。
■ジョージ幕間(文章寄り)
「ひゃあ……」
ジョージは、少し離れた位置から二人を見ていた。
「これは、だいぶ根深いね」
グミを噛みしめた瞬間、エドワードの表情がほんのわずかに歪む。
その一瞬だけが、“子供”に見えた。
「サエキ」
軽く肩を揺らす。
「君、自覚ないだろうけどさ」
にやりと笑う。
「その“バカさ”、今や伯爵様の救いになってるよ」
一拍。
「……救いっていう名の、底なし沼だけどね(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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