第百四十九話 「距離は、強制的に切断されうる」という話
ってかさーー毎回話書いてて思うのは
登場人物が誰一人僕の思うように動いてくれず勝手に走り回る状況
になるんですが。みんなこんなもん?
外交官レジデンス、リビング。
重厚な扉が静かに閉まり、外の世界と―あの翡翠色の執着が、ひとまず物理的に断ち切られる。
室内には、暖炉の火の音だけが残った。
「……はぁ……、……何なんだよ、一体……」
拓海はソファに崩れ落ち、乱れた呼吸を整えようとする。
視界は、さっきよりもはるかに安定していた。
十メートル先に、あの男はいない。気配もない。
―それでも。
(……消えねぇ)
胸の奥に、違和感だけが残っている。
(……いねぇのに、……なんで“そこにいる”気がするんだよ……)
視線が、何もない空間に引っ張られる。
指先が、無意識にわずかに動く。
まるで、そこに“何か”があることを、前提にするみたいに。
「……やっぱりね」
少し離れた場所から、詩織の声が落ちた。
「何がだよ。……もういないだろ。……切ったんだろ、お姉様が」
詩織は、すぐには答えなかった。
ただ一歩、ゆっくりと距離を詰める。
「いい? 拓海」
その声には、逃げ場がない。
「今のあなた、正常じゃないわ」
「……は?」
「“いない人間”に、思考を引っ張られてる」
一拍。
「距離は切った。接触もない。視界にもいない」
事実を、一つずつ積み上げる。
「それでも残っている」
詩織の視線が、まっすぐに拓海を捉えた。
「―それ、“内側に回路ができている”状態よ」
沈黙が落ちる。
理解は、追いつかない。
だが、否定する言葉も出てこない。
「……方針を決めるわ」
詩織の声が、わずかに低くなる。
「改善しないなら、強制帰国」
空気が、はっきりと変わった。
「は!? ……ちょっと待てよ!」
「待たない」
迷いのない声。
「学園も、イギリス滞在も、ここで終わりよ」
「意味わかんねぇって……!」
「わかっていないのが問題なの」
静かに、しかし容赦なく言い切る。
「あなた、自分が壊れかけている自覚がない」
その言葉が、少し遅れて胸に落ちる。
(……壊れてる?)
実感はない。
けれど――
(……でも、……残ってる)
消えない。
それだけが、確かだった。
詩織は、その反応を見逃さない。
「……第三者の診断が必要ね」
そう言って、端末を手に取る。
「拓人に繋ぐわ」
「はあ!? なんであの死にかけの研修医に……」
「“医者”だからよ、一応ね」
短く、言い切る。
数秒後。
画面に映ったのは、明らかに限界の顔だった。
寝癖のついた髪。
半分閉じたまぶた。
どこか現実に戻りきっていない視線。
『……で?』
間の抜けた声。
『何……急患?』
「ある意味そうね」
『じゃあ寝かせろよ……』
「無理」
即答。
兄は顔を擦りながら、ようやく視線を上げた。
『……で、何』
詩織が、状況を簡潔に説明する。
距離。非接触。思考の残留。
沈黙。
兄の目が、ほんの少しだけはっきりと開いた。
『……あー』
短く、息を吐く。
『それ、外からじゃない』
拓海の呼吸が、わずかに止まる。
『内側で回路できてる』
言葉が、静かに刺さる。
『だから、物理で切っても残る』
一拍。
『今、“いないのにいる”だろ』
「……っ」
図星。
兄は、小さくため息をついた。
『原因、わかってるだろ』
「ええ」
詩織が答える。
「イギリス人」
『あー……去年の夏のやつか』
少しだけ、思い出すように間を置いて。
『あいつ、お前に執着してたやつだろ』
「いや、別に――」
『否定早い時点でクロ』
即座に遮られる。
『見られてる側は、気づかねぇんだよ』
沈黙。
『で、それが残ってるってことな』
詩織が頷く。
「完全に切断したわ」
『無理』
あっさりと返される。
『もう入ってる』
一拍。
『消すのは無理。……上書きしかない』
空気が、わずかに変わる。
「……どうするの?」
『もっと強い“正常”入れる』
短く、明確に。
『できるやつ、いるだろ』
沈黙。
その名前は、言葉にしなくても浮かんでいた。
(……菜摘)
『……じゃ、寝る』
「待ちなさい」
『無理。……寝る』
通話が切れる。
静寂。
暖炉の火が、小さく弾けた。
「……雑すぎるだろ、あの人」
拓海がぼそりと呟く。
詩織は、ゆっくりと息を吐いた。
「でも、正確よ」
一拍。
「そうね、方針は決まった」
その視線が、まっすぐ拓海を捉える。
「“削除”じゃない」
「……は?」
「“上書き”する」
詩織の視線が、拓海のポケットへと落ちる。
「……菜摘ちゃんでね」
■ジョージ幕間
『サエキ事変ノート:距離侵食編・第15節(増強版)』
佐伯家の兄姉による、合同デバッグ(強制リハビリ)が開始。
現状:
お兄様(研修医): 拓海の脳内に「ハミルトン専用ライン」が開通していることを看破。
消去不能と判断。
お姉様(外交官夫人): 物理的な遮断に加え、菜摘(日本)という「強力な正常」
によるデータの強制上書きを計画。
サエキ: エドワードにハックされ、家族に解体され、もはや「自分」の場所がどこにもない絶望。
(追記)
「……うわぁ」
ジョージは、学園の寮で一人、エドワードの静かな怒りを感じながら呟く。
「……最強のデバッガー(お姉ちゃん)と、最恐のウイルス(エドワード)。
サエキの脳、そのうち焼き切れるんじゃないかな(笑)」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




