第百三十六話 「旅とは、本来どこかへ辿り着くためのものだが、終点が存在しない場合、それはただの永続的な拘束装置に成り果てる」という話
エドワード「どこまでも どこまでも 一緒に 行こう…地獄の果てまで!」
新学期。放課後。図書室。
昼間の喧騒が引いたあとの空間は、やけに広く感じられた。
高い天井。整然と並ぶ書架。
窓の外では、冬の夕暮れがゆっくりと濃い紺へと沈み、世界の輪郭を曖昧にしていく。
室内の灯りが、ひとつ、またひとつと点き始める。
本来ならば現実を取り戻すはずの光が、かえって静けさを際立たせていた。
拓海は、開いたままの参考書に視線を落としていた。
文字は、追っているはずなのに、意味を結ばない。
(……静かすぎる)
指先でページの端をなぞる。
(……落ち着かねぇ)
あの男は、来ない。
「十メートルの境界線」を守る―
そう宣言してから、背後に気配なく現れることも、声を落として囁くことも、ぴたりと止んだ。
だが。
(……いる)
それは、感覚ではなく、確信だった。
(……絶対に、そこにいる)
ゆっくりと視線を上げる。
図書室の奥。窓際。
光と影の境界に、エドワードが座っている。
距離、正確に十メートル。
近づかない。
何もしない。
ただ、“そこに在る”。
それだけで、空間の重さがわずかに変わっている気がした。
「……なぁ、ジョージ」
声を落とす。
「……あいつ、さっきから一ミリも動いてねぇよな」
「うん」
隣でノートを広げたまま、ジョージが軽く頷く。
「正確には、0.05ミリの微動も観測されていないね」
さらりと言う。
「現在、銀河鉄道の夜を読了。余韻を解析中」
「……最悪だな」
間を置かずに返す。
「……よりによって、賢治かよ」
「いい話だよ?」
ジョージは、少し楽しそうに言う。
「孤独と、別れと、――それでも一緒に行こうっていう話」
「その“意味”を、あいつがどう読むか考えろ」
一拍。
「あ」
ジョージがノートに、短く一文字書く。
―詰んだ
「……終わったね」
小さく笑う。
「発車したよ、もう」
その時。
ページを閉じる音が、静かに響いた。
エドワードが、ゆっくりと立ち上がる。
だが。
やはり、近づいては来ない。
「タクミ」
静かな声。
距離を越えて、まっすぐ届く。
「……そこから動くなよ」
「動かない」
短い応答。
「お前の定義した境界は、遵守している」
一拍。
「……この距離は、私にとっては銀河を隔てたようなものだがな」
「……例えが重ぇんだよ」
呟くように返す。
嫌な予感は、もう消えない。
エドワードは、本を手にしたまま、窓の外へ視線を向けた。
夜は、ほとんど完成している。
「……理解した」
低く、静かに。
「この物語が示すものを」
「やめろ」
反射的に出る。
「それ以上、解釈するな」
「タクミ」
一拍。
「……どこまでも、一緒に行こう、サウザンクロス(十字架)の、その先まで」
空気が、わずかに歪む。
「……その言い方、やめろ」
「本来は、救済の言葉だ」
エドワードは続ける。
「だが同時に」
「不可逆でもある」
視線が、拓海を捉えたまま動かない。
「一度乗れば、降りるという選択肢は消える」
「違ぇよ」
即座に返す。
「ただの列車だろうが」
「否定する」
わずかに、間を置く。
「終点という概念は、乗客の側の希望的観測に過ぎない」
「線路が続く限りそして私が、石炭(愛)をくべ続ける限り」
「この移動は、永遠に終わらない」
「……怖ぇよ」
小さく、漏れる。
「安心しろお前を一人にはしない。」
その声は、静かだった。
「サソリの火のように赤く、お前を照らし続けてやる」
一拍。
「……どこまでも一緒だ」
沈黙。
(……やばい)
拓海は、理解する。
(これ、優しさの形してるやつだ)
(だから、一番逃げ場がねぇ)
「……降りるって選択肢は?」
「ほら、カムパネルラみたいに……」
試しに、問う。
「存在しない」
即答。
迷いがない。
「お前が、カムパネルラ(不在)になることは私が、……許さない。」
さらに一拍。
「天の川の水でさえも、私の許可なく、流れることはできないのだから」
「だよな!! 知ってたわ!!」
小さく吐き出す。
「お前それ、『一緒に行こう』じゃねえよ!」
顔を上げる。
「『一生監禁する』だろ!!」
「誤差だ」
静かな声。
「お前が私の、隣(座席)にいるという、結果に変わりはない」
周囲の空気が、わずかに揺れる。
小声。視線。抑えきれない興味。
「また始まったよ……」「今度は銀河規模か」「行き先どこだよあれ」
「行き先なんて関係ないよ」
ジョージが、淡く言う。
「行き先じゃなくて」
一拍。
「絶対に降りられないことが本質だからね」
拓海は何も返さない。
エドワードの声が、最後に落ちる。
「タクミ」
「お前がどの方向を選んでも」
「その先は、私に収束する」
「それが、宇宙の最短距離だ」
夜が、完全に落ちる。
拓海は視線を逸らした。
だが。
(……逃げてる感じがしねぇ)
距離はある。
干渉もない。
それでも。
(……もう、乗ってる)
そんな感覚だけが、残る。
「……最悪だな」
小さく呟く。
その声は、静かに空気へ溶けていった。
ジョージの記録(閉館間際の図書室にて)
【サエキ事変・銀河鉄道(不可逆拘束)編】
エドワード・ハミルトン、銀河鉄道の夜を独自解釈。
結論:
逃げられる。
だが、離脱できない。
(追記)
「……サエキ」
ジョージが、静かに言う。
「君、もう特等席に座らされてるよ。」
一拍。
「切符(心)を失くしたところで、車掌が君の所有者だから、意味ないけどね(笑)」
「……やめろ」
その一言だけが、妙に重く残った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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