第百六話 「現実という名の冷気は、騒がしい熱狂のあとに静かに忍び寄る」という話
エドワード(;´Д`)
狂騒のような放課後が過ぎて、寮のラウンジから人の気配が消えた深夜。
窓の外には、色の抜けたような月が浮かんでいる。
光はあるのに、どこか冷たい。
拓海は一人、窓際のソファに沈んでいた。
手の中には、くしゃくしゃになった進路希望調査票。
エドワードに破かれ、
アイアンサイドに突き返され、
何度も書き直した紙。
だが。
志望校の欄は、まだ白いままだった。
(……日本、だよな)
視線を落とす。
(……帰るって、決めてた)
ポケットから、もう一枚の紙を取り出す。
少し折れた、手紙。
『大学は一緒がいいな』
たった一行。
だが、その重さだけが、やけに現実だった。
かつては当たり前だった未来。
それが、この一年で、ゆっくりと形を変えている。
理由は、分かっていた。
「……タクミ」
背後から、声。
振り返る前に、影が隣に落ちる。
エドワードが、静かに腰を下ろしていた。
いつものような圧も、
押し込むような言葉もない。
ただ、そこにいる。
「……月が、冷たいな」
「……ああ」
短い返事。
拓海は手紙を隠さなかった。
隠す意味がないと知っているし、
今のエドワードは、それを奪おうともしない。
「……お前の、『約束』は」
ゆっくりと、言葉が落ちる。
「……私というノイズがあっても、消えないのか」
月光に照らされた横顔は、白く、静かで。
どこか、脆く見えた。
「……ノイズじゃねぇよ」
拓海は視線を落としたまま言う。
「……ただの繋がりだ」
一拍。
「……お前には、分かんねぇだろうけどな」
短い沈黙。
「……分かっている」
エドワードは、すぐに答えなかった。
少し遅れて、静かに言う。
「……理解している、つもりだ」
その“つもり”に、わずかな歪みがあった。
「……だからこそ」
続く言葉は、低い。
「……切断したいと、思っている」
拓海は、何も言わなかった。
エドワードの手が、わずかに動く。
触れるか、触れないか。
その距離で止まる。
「……タクミ」
声は、いつもより小さい。
「……お前が、ここから消えることを」
一拍。
「私の全細胞が、拒絶している」
言葉が、途切れる。
「これは、計算じゃない」
さらに一拍。
「ただの、”バグ”だ」
拓海は、わずかに目を閉じた。
笑うでも、怒るでもなく。
ただ、受け止めるように。
エドワードの視線が、机の上の紙へ落ちる。
空白。
まだ、どこにも繋がっていない未来。
「……書け」
静かに言う。
「お前の、行きたい場所を」
一拍。
「そこに、私がいる」
それは命令ではなかった。
拒絶でもない。
ただの、宣言だった。
廊下の暗がり。
ジョージが、壁にもたれて立っている。
ジョージの記録:
【サエキ事変・最終決断前夜】
ハミルトン様、方針を微修正。
強制 → 追跡
観測:
・サエキ拓海:迷い、継続
・ハミルトン:意思、固定
(追記)
笑わなくなった。
(継続)
「……タクミ」
最後に、もう一度だけ。
「どこへ行ってもいい」
一拍。
「だが」
月の光が、わずかに揺れる。
「お前の行き着く場所には、私がいる」
「……最悪だな」
拓海は、小さく笑った。
自嘲のように。
それでも。
ペンを握り直す。
秋の夜は、深く、静かに、続いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
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