第九十四話 「衝突の熱は、将来という現実をハミルトンが札束と執念で上書きする」という話
拓海君はラグビーのクラブにいます。でかいからかな。
秋のグラウンドは、乾いていた。
芝は短く刈り込まれ、空気は冷たい。吐いた息が白くほどける。
だが、その上でぶつかり合う肉体の衝撃音だけが、場の温度を異常に押し上げていた。
「サエキ、外!!」
声が飛ぶ。
拓海は反射で顔を上げた。泥に滲む視界の端で、世界が一瞬だけ遅くなる。
相手のディフェンスライン。味方の位置。わずかな隙間。
考えるより先に、体が動く。
剣道で叩き込まれた「先」。
その感覚が、185cmの巨躯を爆発させた。
「来るぞ、止めろォ!!」
巨漢フォワードが真正面からタックルに入る。
だが、拓海は半歩だけ重心をずらし、衝撃を肩で受け流す。
そのまま、逆に相手の懐へ踏み込んだ。
ドォォン!!
鈍い音。
普通なら止まる。
だが、止まらない。
「まだ行ける……ッ!」
泥を噛むスパイクが、芝をえぐる。
一瞬の踏み込みで相手のバランスを崩し、その隙間に体を滑り込ませた。
「抜けたァァ!!」
歓声が上がる。
だが、耳には入らない。
ただ前だけを見る。
ゴールライン。
飛び込むように、ボールを叩きつけた。
一拍。
遅れて、空気が爆発する。
「ナイス、サエキ!!」
「今の判断、なんだよあれ!?」
「見えてたのか!?」
「……神じゃねぇよ」
息を整えながら、短く返す。
「……ただの、踏み込みだ」
泥と汗にまみれたその姿は、もはや“お坊ちゃん”ではなかった。
戦場を駆ける若い獣に近い。
試合は、そのまま勝利で終わった。
試合後。グラウンドの端。
汗と土の匂いが残る中、選手たちはばらばらに座り込んでいる。
騒ぎは引き、代わりに疲労がじわじわと体に広がっていた。
「お前さ」
隣に腰を下ろしたチームメイトが、ぽつりと言う。
「……普通に強いよな」
「普通って何だよ」
「いや、なんか……」
少し考えてから、
「拝みたくなるタイプ?」
「やめろ」
小さく笑いが漏れる。
「こっちの学校で続ければいいのに」
「いや、まぁ」
拓海は視線を芝に落としたまま言う。
「日本帰るしな」
さらっとした言い方だった。
だが。
ほんの少しだけ。
その横顔に、ここを離れることへの躊躇いが滲む。
「……寂しくなるな」
別の声が入る。
「でもさ」
軽く続ける。
「こっち残るのもアリじゃね?」
一拍。
「大学も、ラグビーも、普通にいけるだろ」
空気が、少しだけ変わる。
拓海は何も言わない。
(……別に)
悪くはない、と思っている自分がいる。
このまま、この国で。
その時。
「……タクミ」
空気を切る、冷たい声。
「……今の発言を訂正しろ」
「うわ出た!!」
振り向く。
そこには、防寒具すら着ずに立つエドワード。
そして腕には、分厚すぎる書類の束。
「……お前、いつからいた」
「……最初からだ」
「怖ぇよ!!」
エドは一歩踏み出す。
「……日本帰国」
「……ラグビー転向」
一拍。
「……非合理的だ」
「勝手に決めんな!!」
「……お前のプレイは」
エドの目が、異様に光る。
「……ハミルトン財閥の専用施設で、永久保存・解析されるべき資産だ」
「文化財扱いすんな!!」
「……ジョージ」
即座に指示が飛ぶ。
「……オックスフォードを確保しろ」
「やめろ」
「……“剣道・ラグビー・私”の共同研究機関を創設する」
「最後お前入れんな!!」
少し離れた場所で、ジョージが爆笑している。
「あはは! 見てよ今の顔!」
スマホを構えながら言う。
「“帰る”って言われた瞬間、タブレット握り潰してたよこの人!」
「やめろ実況すんな!!」
「ちなみに今、掲示板で“サエキ輸出阻止プロジェクト”立ち上がってる」
「最悪だなこの学校!!」
ジョージはさらっと続ける。
「目標金額“無制限”。すごいね」
「クラファンで人を拘束するな!!」
ジョージの記録:
【サエキ事変・進路(強制)固定編】
サエキ拓海、
ラグビーでの活躍と進路選択の兆しを確認。
ハミルトン様、
即座に“物理・経済・学術”の全領域から介入。
現状:
・航空路線:干渉検討中
・地理:改変案浮上
・教育機関:買収対象
(追記)
進路希望調査票の「日本」、
ハミルトン様により視認不可。
(継続)
(自由意志、消滅の危機)
「……拓海」
エドが静かに言う。
「安心しろ」
一拍。
「お前の帰国経路は、すべて私が管理する」
「それただのハイジャックだろ!!」
「捕まれよ!!」
秋の空の下。
ほんの少しだけあった“しんみり”は、
跡形もなく消え去っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
悠馬君の父、佐伯拓海と、ノアの父、エドワード・ハミルトンのお話です。
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この話もゆるく続いていく予定なので、
また気が向いたときに覗いていただけたら嬉しいです。




