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現場から外す

「当面、シャワル・ミレイスを危険区域へ入れない」


会議室でその言葉を聞いた時、シャワルは特に驚かなかった。


向かいに座るグレンの方が、むしろ言いづらそうな顔をしている。


机には東区の地図と、ここ数日の調査記録が広げられていた。

古い主線よりさらに手前、供給側へ調査範囲が移ったことで、保守班はこれまでより深い区画へ入ることになる。


狭い。

逃げ道が少ない。

異常の発生場所もまだ分からない。


その状況で、七十四歳のシャワルを最初から同行させる理由はない。


保守局の責任者が続けた。


「必要がない、という意味ではありません。危険な現象が確認され、あなたの封止が必要だと現場責任者が判断した場合には要請します。それまでは地上待機をお願いします」


「分かった」


シャワルが答える。


それで話が終わりそうになった。


グレンが少しだけ目を見開く。


隣に座っていたオルドは鼻で笑った。


「何だ」


シャワルが見る。


「いや。もう少し揉めると思ってた」


「お前までそう思ってたのか」


グレンが気まずそうに視線を逸らした。


「少しは」


「俺を何だと思ってる」


「呼ぶなと言っても来る人です」


「必要なら行く」


「必要かどうかを自分で決めるでしょう」


言われて、シャワルは黙った。


否定しきれない。


オルドが横で笑う。


「ほら見ろ」


「お前は黙ってろ」


保守局の責任者も口元を少し緩めたが、すぐ仕事の顔へ戻った。


「今回ははこちらで決めます。保守班が先行。救難隊も入口側へ配置します。シャワルさんには中央詰所で待機していただきます」


「どれくらい」


「調査が終わるまでです。異常が出なければ、そのまま帰っていただきます」


「それでいい」


また即答だった。


今度はグレンも何も言わなかった。


シャワルは地図を見る。


自分が地下へ入ったところで、供給設備の内部構造が分かるわけではない。測定値を読むならテオたちの方が速い。


まだ「最後」は起きていない。


なら自分の場所ではなかった。


「一つだけ」


シャワルが言う。


責任者が顔を上げる。


「待ってる間、救難隊を借りていいか」


今度はグレンが眉を寄せた。


「何に使うんです」


「暇だからな」


「嫌な予感しかしません」


「人聞きが悪い」


シャワルは机に置かれた過去の事故記録を指した。


「地下で何か出た時、俺が来るまで持たせるんだろ」


グレンが頷く。


「そのつもりです」


「なら、壊れ方を見せろ」


「……誰に」


「お前のところの若い連中に」


グレンの表情が変わった。


昼過ぎ。


中央詰所の裏にある訓練場へ、救難隊員が六人集められた。


全員、実際の事故現場へ出ている者たちだ。


新人ではない。


ただ、シャワルほど長く「壊れる直前」を見てきた者はいない。


訓練場の中央には、古い制御盤が一つ置かれていた。


廃棄予定の設備から取り外したもので、今は小さな訓練用の魔力しか流していない。

完全に壊れても火花が少し散る程度で、人を傷つけるほどの力はない。


「これを壊すんですか?」


若い救助員が尋ねた。


二十代半ばほどの男だった。昇降台の事故にもいた顔だ。


「壊すのは俺じゃない」


シャワルが答える。


横にいたテオが操作板へ手を置く。


「自分が負荷を上げます。実際の設備みたいな強さはありませんが、崩れていく順番は似せられます」


グレンは少し離れた場所で腕を組んでいる。


「先に言っておく。これはシャワルさんの魔術を真似する訓練じゃない」


隊員たちが頷く。


「俺にもできん」


シャワルが付け足す。


一人が怪訝そうな顔をした。


「シャワルさんの魔術なのに?」


「お前らに教えるのが、だ」


「ああ」


「同じことをやらせる気はない」


シャワルは制御盤を見る。


「教えるのは、いつ直すのを諦めるかだ」


今度は全員の顔から少し笑いが消えた。


テオが負荷を上げる。


制御盤の中央にある淡い光が少し強くなる。


最初は安定していた。


やがて、端の一箇所が揺れ始める。


光が弱くなり、また戻る。


小さな音が鳴る。


「今、どうする」


シャワルが聞いた。


若い救助員が答える。


「技師を呼びます」


「もういる」


テオが手を上げる。


隊員たちから小さな笑いが起きる。


「じゃあ、周囲を空けます」


別の隊員が続ける。


「対象設備を止められるなら停止。止められないなら、技師の作業範囲を確保します」


「人が中にいたら」


「退避の準備を始めます」


シャワルは頷いた。


「まだ直すか」


「はい」


今度はグレンが答えた。


「今は戻っている。揺れても、正常な状態へ戻ろうとしている」


シャワルは少しだけ口元を上げた。


「そうだ」


テオがさらに負荷を上げる。


光の揺れが大きくなる。


一度弱くなり、戻る。


また弱くなる。


今度は戻るまで少し時間が掛かる。


「何が変わった」


「戻りが遅い」


先ほどの若い救助員が答えた。


「他は」


「揺れ幅が大きい」


「音も増えてます」


別の者が続く。


シャワルは一つずつ頷いた。


「これなら?」


「修理を続ける。ただし退避を先に進めます」


「そうだな」


「まだ直していいんですか?」


一人が尋ねる。


シャワルはその隊員を見る。


「直る見込みがあるならな」


「見込みって、どう判断するんです」


「俺に聞くな」


「教える訓練じゃないんですか」


「技師に聞け」


テオが笑った。


「そこは自分たちの仕事です。故障の種類によって違います」


シャワルは隊員たちを見る。


「全部を一人で判断するな。自分に分からんことは、分かる奴へ聞け」


グレンが横から言う。


「ただし、聞く時間がない場合もある」


「その時は?」


若い救助員が尋ねる。


グレンはすぐには答えず、シャワルを見る。


「今日はそこを聞くために集めた」


テオがもう一段負荷を上げた。


制御盤の光が大きく明滅する。


一度弱くなる。


少し戻る。


もう一度弱くなる。


今度は、戻らない。


光は薄くなったまま、ゆっくりさらに落ちていく。


音も変わった。


さっきまでは震えるたびに高くなったり低くなったりしていたものが、今は低い音のまま続いている。


シャワルは何も言わなかった。


隊員たちが見る。


何が変わったか。


若い救助員が最初に口を開く。


「戻らない」


「何が」


「光です。弱くなったあと、戻ってない」


別の隊員が続ける。


「音も一定になりました」


「圧は?」


テオが答える。


「上がっています。制御側だけが弱っている状態です」


シャワルは若い救助員へ尋ねる。


「直すか」


男は少し迷った。


「技師が直せると言うなら」


テオへ目を向ける。


それがまず正しい。


テオは制御盤を見た。


「この状態からなら、修理に四十秒ほど欲しいです」


「完全に壊れるまで?」


グレンが聞く。


「このままなら二十秒前後」


若い救助員の顔が変わる。


「間に合わない」


「そうだ」


シャワルが言う。


「じゃあ何をする」


「設備を捨てる」


答えはすぐだった。


「中に人がいる想定なら退避。切り離せる場所があるなら切り離す。周囲への被害を減らす」


シャワルは頷いた。


テオが負荷を止める。


制御盤の光が消えた。


訓練用なので、乾いた音が一つ鳴っただけだった。


「今のを覚えろ」


シャワルが言う。


「光が消えること?」


一人が聞く。


「違う」


シャワルは首を振る。


「本物は光らん物もある。音が出ない物もある」


「じゃあ何を」


「戻るかどうかだ」


隊員たちは黙って聞く。


「壊れかけている間は、まだ自分で元へ戻ろうとする物が多い。揺れる。弱くなる。持ち直す。そういう動きが残ってる」


シャワルは停止した制御盤を指した。


「最後に入り始めると、その戻りが消える」


「全部そうなんですか」


すぐ質問が来る。


「全部じゃない」


「え」


「だから一個の合図だけ覚えるな」


シャワルは続ける。


「表示を見る。音を聞く。技師に聞く。圧を見る。熱を見る。何をしても戻らなくなってるなら、直す時間と逃げる時間を比べろ」


若い救助員が眉を寄せる。


「でも、あと一回やれば直るかもしれない時は?」


「ある」


「じゃあ諦めたせいで設備を失うことも」


「ある」


「それでいいんですか」


シャワルは一瞬だけ黙った。


「よくはない」


隊員の顔を見る。


「でも、直そうとしたせいで人まで残るよりはましだ」


静かな声だった。


説教するような強さはない。


ただ、多くの事故現場で同じ選択を見てきた声だった。


「設備は替えられることが多い。人間はそうじゃない」


そこで一度言葉を切る。


「だから、最後まで直すのが仕事じゃない。最後になる前に、直す仕事を捨てるのも仕事だ」


誰もすぐには返事をしなかった。


グレンだけが小さく頷いた。


次は、少し条件を変えた。


訓練用の人形を制御盤の奥へ置く。


制御盤を直せば、設備全体は残る。


人形を運び出せば、その間に設備は壊れる。


両方やる時間はない。


「簡単すぎません?」


若い隊員が言う。


「なら選べ」


シャワルが返す。


「人を出します」


「即答だな」


「さっき聞きましたから」


「なら次」


今度はテオが条件を足す。


「制御盤を十秒だけ触れば、壊れるまでの時間が二十秒増える可能性があります」


「可能性?」


「成功率は七割」


若い救助員が止まる。


人形までは十五秒。


運び出すのに十五秒。


最初から三十秒必要。


今ある時間は二十五秒。


十秒使って制御盤を触れば、成功した場合は十分間に合う。


失敗すれば、残り十五秒になる。


「どうする」


グレンが尋ねる。


隊員たちが考える。


一人が言った。


「制御盤を触る」


別の一人は首を振る。


「いや、人形を出す。途中で別の隊員と交代すれば五秒縮められる」


「入口にもう一人いる設定は?」


「いる」


グレンが答える。


「なら二人で運ぶ」


シャワルは黙って聞いていた。


一つの正解へ誘導しない。


テオが口を開く。


「ちなみに、この設備は壊れると隣の区画も三日止まります」


「嫌な情報増やすなあ……」


誰かが呟き、少し笑いが起きた。


グレンも笑う。


「現場はだいたいそうだ。後から条件が増える」


議論が始まった。


十秒を修理へ使うか。


最初から人を出すか。


二人で運ぶなら、もう一人の救助員をどこへ配置するか。


隣区画を止めないために、外から別の技師を動かせないか。


やがて若い救助員がシャワルを見る。


「シャワルさんならどうします?」


「状況による」


「便利ですね、それ」


「本当にそうだから仕方ない」


笑いが起きる。


シャワルも少し笑った。


「ただ」


全員がまたこちらを見る。


「自分が直したいから修理を選ぶな」


若い救助員の表情が変わる。


「設備が惜しい。自分なら直せる気がする。途中で投げたくない。そういう気持ちは判断に混じる」


シャワルは停止した制御盤を見る。


「俺も昔は混ぜた」


オルドが少し離れたところから口を挟んだ。


「止められるから、早くから何でも止めてた」


「余計なこと言うな」


「本当だろ」


「本当だ」


シャワルは否定しなかった。


「だから、今は必要なところまで待つ」


若い隊員が尋ねる。


「怖くないんですか。待ってる間に壊れたら」


「怖い」


返事は早かった。


「だから見る」


それだけだった。


訓練が終わった頃、グレンが隊員たちを集めた。


「今日の話を『シャワルさんみたいに壊れる直前を見抜け』で終わらせるな」


全員が頷く。


「できないものはできない。俺たちに同じ感覚はない」


シャワルもその通りだと思った。


「代わりに、確認する。技師へ聞く。逃げ道を作る。修理に残す時間を決める。切る判断を遅らせない」


グレンは隊員たちを見る。


「それならできる」


「はい」


返事が揃った。


シャワルは少し離れた場所から聞いていた。


自分の魔術は渡せない。


最後へ薄い風を置く感覚も、誰かへそのまま教えることはできない。


だが、別に全部を渡す必要はなかった。


自分にしかできないところは、自分がいる間にやればいい。


それ以外は、すでに他の人間がやっている。


隊員たちが解散した後、グレンが近づいてきた。


「ありがとうございました」


「暇潰しだ」


「便利な暇潰しですね」


「一つ頼む」


「何です」


「今日の訓練、俺の名前付けるなよ」


グレンが眉を上げる。


「名前?」


「『シャワル式』とか」


「付けませんよ」


「若い奴はすぐ名前を付ける」


「偏見です」


「そうか」


「というか、内容のほとんどは普通の救難判断です」


「それでいい」


シャワルは即答した。


グレンが少し笑う。


「自分にしかできないものを残したいと思わないんですか」


シャワルは考える。


「残せるなら残せばいい」


「なら」


「残せないものまで、残したことにするな」


グレンは黙った。


シャワルは訓練用の制御盤を見る。


「俺の魔術は俺のものだ。お前らにはお前らの仕事がある」


それで話を終わらせた。


夕方になっても、地下の調査班から緊急連絡は来なかった。


一度、小さな供給低下は観測されたらしい。


だが事故にはならず、記録だけが残された。


シャワルは詰所の椅子でそれを聞いた。


「今日は出番なしです」


グレンが言う。


「よかったな」


「暇でした?」


「本を持ってくればよかった」


「危険区域へ行く気満々だった人の台詞とは思えませんね」


「入るなと言われたからな」


「ちゃんと聞けるじゃないですか」


「俺を何歳だと思ってる」


「七十四」


「正解だ」


グレンが笑った。


少し前なら、必要かもしれないという理由だけで地下の入口まで行っていたかもしれない。


今日は一度も行かなかった。


それで調査は進んだ。


事故も起きなかった。


自分が何もしないまま一日が終わる。


悪くない。


「シャワルさん」


帰ろうとしたところで、グレンに呼び止められた。


「何だ」


「今後も、危険区域は要請があるまで待機でお願いします」


「分かった」


「本当に?」


「しつこいな」


「確認です」


シャワルは外套を羽織る。


「必要なら呼べ」


グレンが頷く。


「呼びます」


「ならそれでいい」


扉を開ける。


外はもう夕方だった。


今日一日、自分がいなくても現場は回った。


保守班は調べた。

救難隊は備えた。

若い隊員たちは考えた。


シャワルは何も失った気がしなかった。


必要とされない時間まで、自分の手で抱えておく理由はない。


必要な時だけ呼ばれる。


そのくらいが、今の自分にはちょうどよかった。


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