第7話 海燕と鳴神
雪雲が低く垂れ込め、凍てついた風がカムイ要塞の重厚なコンクリート外壁を激しく叩いていた。
暫く快晴が続いていたカムイではあったが、白銀の嵐が近づいていた。
大川での帝国戦から二日。
帝国軍は渡河地点から兵を引いたまま、目立った動きを見せていなかった。だが、それが嵐の前の静けさであることは、誰もが感じていた。
補給線の寸断された敵が、この豪雪の中で徒手空拳のまま冬を越せるはずがなく、これ以上の長期戦は考えられなかった。
要塞内には常に緊張が漂い、せめて襲撃の前触れを感じ取ろうと、積極的な情報収集が行われていた。
要塞司令部執務室の奥で、真壁良成大佐は運ばれてきた湯呑の白湯を口に含み、卓上の戦闘報告書に視線を落としていた。
書類に記されているのは、壊滅した第2904小隊の唯一の無傷の生還者である九条嗣巳伍長の名と、その戦果だった。
「入れ」
司令部の扉が規定回数ノックされ、真壁が短く声をかけると、重い鉄扉が開き、吹き込んできた寒気とともに一人の兵が姿を現した。
防寒軍衣に身を包み、直立不動の敬礼を捧げる。
九条嗣巳。軍学校を首席で卒業したばかりの新兵。件の人物であった。
「九条伍長、入室いたしました」
真壁は眼鏡の奥の細い目で、目の前の若者を観察した。
背筋は乱れなく伸び、視線は揺るぎもしない。初陣で小隊が全滅し、自身も死線を潜り抜けてきたばかりの兵士特有の怯えや昂ぶりが、二日前のこととはいえ、この男のどこにも見当たらなかった。静かすぎる。その静寂は深雪を具現化したようであった。
「楽にしろ」
真壁は書類を卓に置き、指先で紙面を軽く叩いた。
「大川渡河点における戦闘記録を読んだ。井野辺軍曹の証言とも一致している。……敵機二機を相手取り、四キロの彼方から百雷で通常射撃補正のみを用い、関節部を狙撃、さらに高速で突進してきた機体の前腕部をサーベルで切断した、とある」
「はい、大佐。事実であります」
「信じがたい報告だ。天候に恵まれていたとはいえ、黒騎士を相手に旧式の第3世代機でそこまでの戦果を挙げられる道理がない」
真壁の声は平坦だった。詰問ではなく、純粋な軍事的計算の狂いを確かめるような響きがあった。
「あれは、たまたま当たったのか? 風の気まぐれか、あるいは敵の不手際によるものか」
「はい、大佐。同じ条件であれば、自分は何度でも当てられます」
軍隊特有の、上官の言葉は否定しない鉄則を守り、淡々と嗣巳は答えた。
「恐怖はなかったのか。一歩間違えれば、貴様自身が鉄屑になっていたのだぞ。それに、撤退指示が出ていたはずだ」
「恐怖はありませんでした。ただ、あの場では撤退はできませんでした。鹵獲を防ぐことが最善と判断いたしました」
真壁はわずかに眉を寄せた。
感情の起伏がない。謙遜でもなければ、誇張でもない。ただ観測した事実を機械のように吐き出している。
――こいつは、何者だ。
真壁の背筋を、奇妙な冷気が走った。
極限の戦場において、自身の命の重さすら勘定に入れず、ただ敵を破壊する効率だけを純粋に追求する異物。
撤退指示を無視したことは問題にすべきだったが、得られた功績を考えれば不問にせざるを得ない。
それに、これこそが戦場における英雄の器であるかもしれなかった。しかし、畏敬の念はいまだ真壁には湧いてこなかった。
ただの戦う機械。そう表現するほかない冷徹な凪が、この若い伍長の奥底に潜んでいた。それは恐怖の対象であった。
「……第2904小隊は事実上壊滅した。貴様の配属先を再編せねばならん。だが、貴様のような特異な人間を配属するのは――」
そこまで言いかけたとき、執務室の重い扉が乱暴に開け放たれた。
革の外套を肩に引っ掛けた大柄な男が、ずかずかと足音を響かせて踏み込んできた。
「おいおい真壁大佐殿、相変わらず陰気な顔して書類とにらめっこですかい」
真壁の表情が一変した。座っていた椅子から即座に立ち上がり、直立して敬礼する。
「西守様――」
「よせって言ったはずだぜ、真壁大佐」
西守と呼ばれた男は、短く刈り込んだ頭を掻きながら、豪快に笑った。頬には古傷があり、歴戦の凄みと無頼な空気を全身から放っている。
「階級はあんたの方が上なんだ。ここは軍ですぜ。様付けなんざ虫酸が走る」
西守英親。面識こそないが、嗣巳もよく知る名前であった。
英親は五大名家の一つ、西守家の血を引く男だった。本来であれば中央の将官の座にあってもおかしくない身の上だが、五年前の内戦以降、中央の政治闘争から弾き出されてこの北領の僻地へと追いやられていた。
しかし、軍学校の教科書に載るほどの(西守の威信を示す意味合いもあるだろうが)偉大なパイロットであった。
「……西守少佐。ノックくらいしていただきたい。現在は人事の検討中だ」
「その人事の話を聞きつけてきたんですよ。大川で黒騎士の腕をもぎ取った新兵がいるってね」
英親の鋭い眼光が、部屋の隅に立つ嗣巳へと向けられた。
猛獣が獲物を品定めするような、射すような視線。
「お前が九条か」
「はい、西守少佐。九条嗣巳伍長であります」
英親は嗣巳の前に歩み寄り、至近距離からその顔をまじまじと見下ろした。
嗣巳は視線を逸らさず、ただ静かに英親の瞳を見つめ返した。
英親は素直に感嘆した。自分の顔がそれなりに売れていることも知っている。どんな新兵でも、軍という箱の中では上官を前にして緊張をするものだが、全くと言っていいほどそれが無かった。ただ、凪のような静寂だけがそこにあった。
素直に面白いと、英親はそう評価した。
「なるほどな。……いい面構えだ。死に怯えてもいなけりゃ、手柄に酔ってもいねえ」
英親は真壁へと振り返り、親指で嗣巳を指した。
「大佐、こいつをうちの海燕隊にもらいますぜ」
「海燕隊に?」
真壁が眉をひそめた。
「貴隊は山賊討伐から編制された遊撃特務隊だ。人員の空きはないはずだが」
「狙撃手が足りないんですよ。それも乱戦でも味方を誤射しない腕利きがね。……北原の親父の子守なんざ御免で、わざわざこのクソ寒い最前線まで戻ってきたんだ。戦果を挙げるための駒は、一つでも多い方がいいんでね」
英親は再び嗣巳に向き直り、ニヤリと歯を見せた。
「ついて来い、九条。お前の腕、うちの連中に見せてやれ」
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案内されたのは、要塞の最も外れに位置する半地下式の耐雪格納庫だった。
精製の甘い代替燃料と鉄錆、そして凍結防止剤のツンとした匂いが充満している。そこには、四機のカッパーが並んでいた。
装甲の軽量化と関節駆動を強化された白兵専用機、カッパーソード。
それぞれにカスタマイズが施されたカッパーアサルトが二機。一つは頭部に大型センサーを増設した索敵と通信機能を強化したものと、もう一つは装備を軽量化し、斥候や遊撃の役割を持たせた軽機動型のもの。
そして、無骨な大口径キャノン砲を追加装甲で覆った、拠点攻撃や制圧攻撃を目的とした重装型カッパーキャノン。
いずれも、前線工廠で現地改修を施された最新の第4世代機だった。その四機とも、肩に共通のツバメをあしらったエンブレムが描かれていた。
その四機の中でさらにカッパーソードは異様だった。被弾痕の赤錆を隠すこともなく、装甲全体が血を思わせる禍々しい赤色に染め抜かれている。戦場において目立つような赤色で塗装することはあり得なかった。また、皇国の機体観から見ても考えられず、どちらかといえば機体に装飾を施す帝国に近いと感じられた。
「すげえだろ、九条」
英親は自慢げに胸を張っていた。
「はい、西守少佐。ここまで独自にカスタマイズされているのは珍しいですね」
嗣巳の返事に、むっと顔をしかめて英親は手を振りながら答えた。
「軍隊式の堅苦しい返事はやめろ。うちは無礼講なんだ。命を預ける仲間に、そんな硬いのはいらねぇ。気楽にやんな。それと、俺のことは隊長と呼べ」
どうやら自由な気風を愛するようだった。
「ええ、わかりました、隊長」
満足いく返事ではなかったのか、ため息を吐いて英親は背を向けた。
「まあいいや。ゆっくり慣れろや。こっちへ来い、ほかのメンツを紹介する」
機体の足元で暖を取っていた三人の男たちが、英親の足音に顔を上げた。
「隊長、連れてきたんですか」
最初に声をかけてきたのは、細身の体躯に油染みた軍衣を着崩した若い男だった。
「佐伯潤伍長だ。斥候と遊撃担当、そして乱戦時の援護射撃は俺がやっている」
おそらくは嗣巳が狙撃の腕を買われたことを知っているのだろう。その眼には敵対心が浮かんでいた。
「我妻鉄男軍曹だ、主に砲撃担当。お前も運が無いなぁ!こんな部隊に配属されてよぉ!」
我妻鉄男軍曹は髭面の、まさしく熊のような男であった。また、その図体に比例してかなり声のでかい男であった。しかし、気持ちのいい性格をしていることだけは伝わってきた。
「日高達郎曹長だ。一応副隊長と管制役をやっている。ま、気楽にね」
煙草を燻らせながら、落ち着いた細い声で言った。いかにも冷静な性格をしていそうで、おそらくはこの隊のブレーキ役を担っているのだろう。
英親が嗣巳の背中を軽く叩いた。
「こいつが新入りの九条嗣巳伍長だ。今日からうちの専属援護に入ってもらう。こいつの噂は聞いてるだろ」
「ああ、大川でのまぐれ当たりね」
佐伯が嗣巳の前に立ち、じろじろと不躾に全身を舐め回すように見た。
「軍学校を出たばっかりの坊ちゃんが、大川でまぐれ当たりを一発決めたからって、いきなり俺たちの背中を預かるっていうのは、どうにも納得がいかない」
佐伯の声には、明らかな挑発の色が混じっていた。
「悪いけどな、九条。俺たち海燕隊は、北領の山奥で山賊どもと命の削り合いをしてきたんだ。学校の模擬戦で満点取った優等生に過度な期待はしちゃいない」
嗣巳は表情を動かさず、静かに佐伯を見返した。
ほかの隊員たちは、始まったという顔で、面白そうににやついていた。日高だけは仕方ないというようにため息をついていた。
「腕前を疑っておられるのであれば、試してください」
「ふぅん?」
佐伯の目が細められた。
「威勢だけはいいな。いいぜ、テストしてやる。待っていろ」
冷笑を浮かべながら、佐伯は格納庫の外へ出ていった。
十分後。
半地下格納庫のスロープを登り、吹き晒しの雪原に据えられた自身の乗る第3世代カッパーアサルトのコクピットに、嗣巳は収まっていた。
周囲に並ぶ第4世代機と比べれば、装甲は厚ぼったく、関節の可動域も狭い。だが、嗣巳にとっては世代など、どちらでも構わなかった。どちらにせよ、自身の手足の延長になることは変わらないからだ。
『九条、聞こえるか』
外部無線から佐伯の声が入る。
『千二百メートル先の雪堤の上に、空のドラム缶を五つ並べた。……標準の百雷ライフルで、十秒以内に三つ撃ち抜いてみせろ。一発でも外したら、お前は後方で雪かき係だ』
ドラム缶。全高四メートルの機体から見れば、豆粒以下の大きさだ。視界を遮るもののない直線距離とはいえ、決して簡単な難易度ではなかった。
大川での激戦の影響か、カッパーの荒いメインモニターには走査線が乱れ飛んでいた。旧式の機体はまだ整備も万全な状態ではなかった。
コクピットの中で、嗣巳は深く息を吐いた。
思考が沈んでいく。
心の水面のさざ波がゆっくりと消えていく。鼻に残る機内の鉄錆や油の匂いも、今は気にならなくなっていた。
モニターを操り、狙撃用の補助情報を表示させる。画面をズームにして、ドラム缶を確認する。標的は五つ、風向、突風の周期、空気抵抗による弾道の落ち込み。それらの膨大な数値の情報を処理していく。頭の中に組み立てる。
機体を操作して射撃体勢を取り、百雷をセミオート射撃に切り替える。
動かない相手の狙撃など、なんてことはない。ただ、五回引き金を引くだけだ。
ドォン!
一筋の閃光が大気を裂いた。薬きょうが飛び出し、雪面に着地するそれより早く照準を変えて二発、三発と立て続けに射撃をする。
通信機の向こうが、完全に静まり返った。
十秒後、呆然とした我妻のダミ声がスピーカーから漏れ聞こえてきた。
『……おい、嘘だろ。三つどころか……五つ全部、真ん中をぶち抜かれてやがるぞ』
『は……?』
佐伯の掠れた声が響いた。
『千二百メートルですよ!? 通常補正だけで百雷で五発全弾命中……!?』
格納庫の前で双眼鏡を下ろした日高曹長が、煙草を灰皿に押し付けながら、低く息を吐き出した。
「……化け物だな。風の息を完全に読んでいる。それに、何とも冷静な男だ」
胸部ハッチが開き、嗣巳は昇降用ロープを繰り出して雪面へとスルスルと降り立った。その顔には汗一つ浮いておらず、息の乱れすらない。
雪を蹴って駆け寄ってきた佐伯は、降り立った嗣巳の顔を凝視したあと、頭を激しく掻きむしった。
「参ったよ、完敗だ。九条、悪かった。偉そうな口を叩いて」
佐伯は自嘲気味に笑いながら、嗣巳の肩を叩いた。
「お前は本物だ。俺の背中、喜んで預ける」
その様子を腕組みして見ていた英親が、満足そうに頷きながら歩み寄ってきた。
「いい腕だ、九条。だがな、お前の機体は第3世代のままだ。あいにく前線にも第4世代の余剰機はねえ。その代わり、足回りの揚力パルス調定だけはうちのエンジニアに完璧に仕上げさせる」
それはありがたいことだった。機動力に劣る第3世代では、狙撃に専念する分には問題はないが、近接戦闘や中距離戦闘の機動力はあるに越したことはない。
「九条、中へ入れ。見せてえもんがある」
嗣巳は足元の深雪を踏みしめながら、英親の後に続いて格納庫へと戻った。
連れられた格納庫の奥では、細長い四メートルほどの何かが油布に包まれて、ハンガーに立てかけられていた。
英親の合図で、整備兵たちが四人がかりで油布を剥ぎ取ると、そこから現れたのは、息を呑むほどに長大な銃身を持つ無骨な鉄塊だった。銃口には、多孔式のマズルブレーキが仰々しく突き出ている。
カッパーの全高に匹敵する、巨大な砲身。
「こいつは試作長距離滑腔狙撃砲【鳴神】だ」
英親が言った。
「大口径の単発砲だ。貫通力は黒騎士の重装甲を正面から叩き割るが、反動がデカすぎて誰も照準を合わせられず、本島の連中が『欠陥品』としてここに放り投げていきやがった。……だが、お前なら撃てるだろ?」
嗣巳の視線が、鈍い光を放つ【鳴神】の砲身へと吸い寄せられた。
研ぎ澄まされた鉄の質量。破壊のためだけに極限まで削ぎ落とされた無骨な機能美。
コクピットの闇と同じ、静謐な冷たさがそこにあった。
「撃てます」
嗣巳の唇の端が、誰にも気づかれぬほどわずかに持ち上がった。
「私に、扱わせてください」




