第6話 銅色の残骸
硝煙と機械油の臭気がカムイの地に充満していた。平和であったはずの何もない高原に、戦争の爪痕が刻まれていく。
白銀の高原に引き裂かれた銅色の鉄塊が転がっていた。
装甲を断ち割られ、関節から作動油を噴き出して沈黙した三機のカッパーアサルト。噴き出していたはずの白い冷却蒸気もすでに薄れ、鋼鉄の骸は急速に冷え切りつつあった。その周囲の雪は赤黒く染まり、引きちぎられた腕部や装甲の破片が無残に散らばっていた。それはまるで死体のようであり、機械人形で戦争をするようになったこの時代であっても、戦後の凄惨な光景は何一つ変わらない。
数日前までの猛吹雪が嘘のように晴れ渡り、高く澄んだ冬空の下で、その光景はいっそう生々しく際立っていた。
雪原を駆け回る衛生兵たちが、動かなくなった兵士たちの遺体を次々と担架に乗せ、後方へと運んでいく。
しかし、その凄惨な収容作業の傍らで、工兵たちはまったく別の作業に奔走していた。
彼らの顔は、仲間を失った悲痛さというよりも、何か恐ろしい禁忌に触れてしまったかのような蒼白さに染まっていた。
「油を止めるんだ! 一滴も川へ流すな!」
怒号が雪原に木霊していた。工兵を指揮する村上一郎曹長は、まるで今こそが戦場であるかのように指揮を執っていた。
「おい、第三機の主配管がまだ漏れているぞ! 早く吸着布を噛ませろ!」
工兵たちは雪の上に膝をつき、破損した機体の亀裂へ必死に布を押し込み、白い中和剤の粉末を狂ったように振り撒いていた。機械油が染み込んだ雪をスコップで削り取り、密閉用のドラム缶へと放り込んでいく。
仲間の亡骸を運ぶ衛生兵よりも遥かに神経質に、遥かに怯えた手つきで、彼らは泥濘んだ油の飛沫を拭い去っていた。
「大川の水源に届いたらどうなるか分かっているのか! 査問委員会どころじゃ済まんぞ、全員銃殺だ!」
村上曹長が唾を飛ばしながら叫ぶ。
人の命がいとも容易く使い捨てられる戦場において、彼らが何よりも恐怖しているのは、この大地と水を汚すことを禁じた世界協定という名の絶対の戒律に触れることそのものであった。協定に定められた汚染防止の義務に狂奔する工兵たちの姿を、嗣巳はカッパーのハッチを開け、首筋を撫でる冷気に晒されながら無言で見下ろしていた。
鉄の棺桶から降りた嗣巳は、雪を踏みしめながら仮設の救護天幕へと向かった。
天幕の奥では、右脚をもぎ取られ雪原に叩きつけられたカッパーから辛うじて救出された井野辺軍曹が、簡易担架の上に横たえられていた。
機体ごと地面に叩きつけられた衝撃は凄まじく、胸部と両脚には何重にも副木と包帯が巻かれ、荒い呼吸のたびに苦痛で顔を歪めている。全身打撲と複数の骨折、吐血を伴う重傷であった。
衛生兵が離れた隙に、嗣巳が担架の脇に立った。気配に気づいた井野辺が、血走った目をかすかに開ける。
「……九条、伍長か」
苦しげに掠れた声だった。
「はい、井野辺軍曹。お加減は」
「見ての通りの死にかけだ。だが、貴様のおかげでなんとか生きている」
血の気の引いた唇を自嘲気味に歪めながら、井野辺はその鋭い眼差しを嗣巳の能面のような顔へと向けた。
「……なぁ、伍長」
「何でしょうか」
「貴様は優に四キロはあるだろう距離を、百雷で、肘の関節だけをピンポイントで撃ち抜いた」
井野辺は痛みに耐えながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「それだけじゃねぇ。とんでもねぇスピードの黒騎士を、お前は紙一重でかわして斬り落とした。……あんな芸当、訓練校の首席どころの話じゃねぇぞ。お前、一体何者だ?」
嗣巳は形の良い眉ひとつ動かさず、静かに答えた。
「軍曹、私はただの兵士です」
「ただの、兵士……ね」
「はい」
感情の揺らぎが一切ない、どこまでも平坦な声であった。
井野辺は痛みを忘れたかのように呆然と嗣巳を見つめ、次いで力なく息を吐き出した。
「貴様を見てると、どっちが人形かわからんよ」
「では、軍曹。ご養生ください」
会釈をして立ち去る嗣巳の背中を、井野辺は感謝とともに、底知れぬ怖気を覚えながら見送るしかなかった。
哨戒本部に顔を出した嗣巳を待っていたのは、岡田少尉からの通達であった。
哨戒本部は井野辺の指示により直前まで撤退の準備をしていたため、慌ただしく、哨戒任務の再開に向けて動き回っていた。
「九条伍長。貴様の小隊は、重傷の井野辺軍曹を残して全滅した。現時点で貴様を配属できる機兵小隊の空きはない。よって、新たな部隊への編入が決まるまで、後方陣地にて待機を命ずる」
「了解いたしました」
「まあ案ずるな。貴様ほどの腕前だ。すぐに呼び出しがかかる。それが幸いかどうかは知らんがな」
嗣巳は、岡田が自分を見る目に、畏怖の念が込められていることを見逃さなかった。
それは岡田だけではない。いまや哨戒本部の誰もが、嗣巳を見る目に変化があった。それは決して、よい変化だけではなかったが、嗣巳にとってはそれも些細なことである。
敬礼をして、哨戒本部を後にすると、次に嗣巳は集積所へと向かった。
そこでは、回収された戦利品が運び込まれていた。
黒騎士の左前腕部と、円錐状の長大な槍が二本である。
集積所では、整備兵や技術将校たちが蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「おい、この装甲板を見ろ! 複合積層構造だが、我が国の規格とは炭素の結合密度が桁違いだぞ」
「百雷の徹甲弾を正面から受け止めながら、弾痕がわずかに凹んでいるだけだ。これほどの硬度と軽量性をどうやって両立させている?」
「腕の内部フレームもだ。油圧シリンダーの配置が人間の筋繊維を模している。奴らの技術は我々の数歩先を行っているな」
技術者たちが感嘆と戦慄の混ざった声を漏らす中、嗣巳は無造作に転がされた漆黒の装甲を指先でなぞった。
冷たい鉄の感触。それでも指先には、つい先ほどまで死力を尽くしてぶつかり合っていた敵の、確かな息遣いの余韻が残っているように思えた。
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カムイ高原の北側に張られたアリアト帝国軍第一機兵師団の大天幕では、凍りつくような冷気が満ちていた。
「貴様らの誇る技術とは、その程度のものだったのか」
天幕の中央、豪奢な毛皮を敷いた椅子に座るアレクサンドラの横に控えた、アンドレイの冷徹な声が響いた。
老いてもなお衰えぬ歴戦の眼光が、絨毯の上で頭を垂れる参謀ニコライ・アローキンを射抜いていた。
ニコライの後ろではゲルマンとミハイルも同様に頭を垂れ、その二対の瞳から放たれる刺すような視線を、なお受け止め続けていた。
「も、申し訳ございません、殿下! まさか奴らの哨戒陣地に、あれほどの腕前を持つパイロットが潜んでいようとは……!」
ニコライの弁明を耳にするたび、ミハイルの表情は屈辱と怒りで歪んでいた。
新兵ばかりのなまくら共と侮っていた相手に奇襲を仕掛けながら、己の愛機であるリツァーリの左腕を切り落とされ、撤退を余儀なくされたという事実は、誇り高き騎士の矜持を粉々に打ち砕いていた。
参謀長のアンドレイが、深く刻まれた眉間の皺を寄せて口を開いた。
「敵は中距離型四機、加えて後方からの一機。数の上では劣勢であったにせよ、練度と機体性能の差でこちらが圧倒するはずだった。それにもかかわらず、敵に装備と腕の土産をくれてやり、こちらは足一本と敗北の汚名だけか?」
「面目次第もございません……!」
ミハイルが悔しさに歯を食いしばり、床を見つめる。
その重苦しい空気を破ったのは、天幕の幕を跳ね上げて飛び込んできた整備技術班の主任であった。
「殿下! 至急ご報告がございます!」
アンドレイが咎めるように目を細めた。
「不敬であるぞ。軍議の最中だ」
「は、承知しております! しかし、ゲルマン卿がもぎ取って持ち帰られたトゥポーイの右脚部の解析が完了いたしました!」
アレクサンドラがわずかに眉を動かした。
「ほう。なにがわかったのか」
部下の叱責はアンドレイに任せ、自身は見守るだけであったアレクサンドラが、興味に堪えかねて口を開いた。
技術将校は興奮を隠せない様子で羊皮紙の図面を広げた。
「殿下、奴らの機体が雪の上で活動できる理由がわかりました」
「その理由は?」
「はっ。足裏のソールユニットを解体したところ、未知の鉱石が組み込まれているのを確認いたしました。この鉱石に通電することで、接地面に向かって局所的な反発力場、つまり極めて微弱な斥力パルスが形成されるのです」
将校は身振りを交えて熱弁を振るった。
「奴らの機体もまた数トンの鉄塊です。完全に宙に浮かび上がるほどの出力はありません。しかし、この斥力パルスが接地圧を相殺し、自重によって深雪の底までめり込むのを防いでいたのです。いわば、目に見えない雪板を足裏に履いている状態を作り出し、雪面との摩擦抵抗をほぼゼロにしておりました!」
天幕の中の空気が一変した。
アレクサンドラは椅子の肘掛けから身を起こし、その美しい双眸を細めた。
「……自重による沈み込みを防ぎ、摩擦を殺す」
「左様にございます! 奴らには深雪をかき分けて進む必要が無かったのです」
アレクサンドラの唇が、弧を描いた。
「アンドレイ」
「はっ」
「占領した村々から徴収させたソリの改修、どこまで進んでいる?」
「整備班が補強を行っており運搬は可能ですが、実戦で戦えるほどの速度は出せないとの報告です」
アレクサンドラは、次に技術主任へと問いかけた。
「リツァーリへの組み込みは可能か?」
「いえ、現時点では不可能です。石が足りませんし、ソリとはどうやら組み込まれている仕組みが異なるようでして。しかし、ソリの速度を引き上げるヒントは得られそうです」
「そう。ならばいいわ。ニコライ、今回の不手際は不問にする。手痛い敗北ではあったが、収穫はあった。ゲルマンよ、よくやった」
ニコライたちは平伏したまま安堵の息を漏らした。
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天幕の外、冷え切った陣地の整備ドックで、ゲルマンとミハイルは並んで愛機を見上げていた。
ドックの奥には、左前腕部を失い、切断面から千切れた油圧配管と電気ケーブルを痛々しく垂らしたミハイルのリツァーリが、無言で佇んでいた。その隣では、右肘の装甲を撃ち抜かれ、黒い油が固まったゲルマン機の修復作業が進められている。
「ゲルマン卿、やつはまた現れるでしょうか」
ミハイルが両の拳を固く握りしめ、吐き捨てるように呟いた。白い息が夜の闇に溶けていく。
「必ず現れるだろう。奴は死神だ」
ゲルマンは己の機体の損傷部を見上げながら、静かに語った。
「奴はなまくらなどではない。戦場そのものに溶け込んだ死神だ」
ミハイルは悔しげに唇を噛んだ。
「では、あれに勝てぬと?」
「まさか」
「死神など、何度も追い返してきた。我らの死期はまだ遠い」
「ええ、ゲルマン卿」
ミハイルは片腕を失った愛機を仰ぎ見ながら、遠く東の空を睨みつけた。
「次は必ず、奴の首を姫の御前に捧げてみせましょう」
二人の騎士の瞳の奥で、復讐の炎が静かに、だが熾烈に燃え上がっていた。




