第5話 凪の一刀
カムイ高原を一機のカッパーアサルトが疾走していた。
九条嗣巳は、機体をオートモードで走行させながら、冷静にこれから向かう戦場の分析をしていた。
密閉されたコクピットには、剥き出しの油圧配管から微かな熱気と機械油の匂いが立ち込めていた。厚手の冬期軍衣に身を包んだ嗣巳は、緑色の単色蛍光管が光る左側のレーダースコープへ視線を落とす。大川哨戒陣地の音響索敵装置から中継されてくる格子状のデータリンク画面には、大川の手前に展開した友軍を示す四つの青点と、対岸に佇む二つの赤点が示されていた。
嗣巳は大川の川幅と二メートル近い深雪、情報共有されている黒騎士の深雪に対する対抗手段の欠如を考えれば、戦闘は発生しないだろうと予測していた。それに、お互いに機体の秘密を知りたがっている。支援を受けられない不用意な戦闘は双方にとって好ましいものではない。井野辺もそこらへんはわきまえているはずだ。
いくら戦闘と鹵獲指示が出たところで、こちらから仕掛けることはしないだろう。
しかし、その予測は大きく崩れることになった。
渡河地点までもう少しといったところで、突如として切迫した通信が、コンピューターの駆動音をかき消さんばかりに響いた。
「通信部より九条嗣巳伍長へ!至急、撤退を!敵黒騎士二機に井野辺軍曹以外壊滅!」
――馬鹿な、井野辺から仕掛けたのか?
真っ先にその考えが浮かんだが、それはすぐに霧散した。それにしては戦闘の決着が早すぎる。こちらから仕掛けたのであればここまで早く勝負がつくことは無い。十中八九、相手から仕掛けたということだ。
その場合、帝国側は大川を飛び越え、部隊を急襲する手段を持ち合わせているということになる。
恐らくは高速移動用のブースターか。しかし、着地はどうする。いや、何か手段があるのだ。きっとなにか……。
嗣巳の頭は高速で状況を分析し、戦闘の解析を行っていた。
その時、レーダースコープから送られる情報に変化が訪れた。敵機の信号をとらえたのだ。
メインモニターでは、直線状に何かをとらえていた。コンソールを操作し、モニターをズームさせる。
――いた。
約四キロ先に三つの機体をとらえた。二機の黒騎士と一機のカッパーアサルト。おそらく井野辺の機体だ。
今にも鹵獲寸前で、雪に埋もれて動かない井野辺の機体に二機がにじり寄っていた。
(鹵獲を防ぐには狙撃するしかないか)
嗣巳の判断は早かった。即座に機体を停止させ、中腰の姿勢を取り、狙撃の準備を行った。
まずはコンソールを操作して遠距離射撃補助用の情報を表示させた。
射撃に必要な風速、相手との距離など様々な情報が現れる。
次に、百雷の設定を変更し、フルオートからセミオート射撃に切り替える。機体の膝でしっかりグリップし、百雷の反動を抑え、弾丸がなるべく直線に飛ぶよう制御した。
人間と違い、銃のスコープを直接のぞき込むことはなく、モニターの情報をもとに狙撃を行うが、それは決して射撃の腕が問われないというわけではない。いくら観測機器が発達し、機械の補助を受けたとはいえ、引き金を引き機体を操るのはパイロット自身である。
これは決して誰もマネしたがらない無謀な行為であった。
嗣巳は集中していた。
最初の狙撃の好機は、黒騎士がカッパーに手を伸ばした時であった。幸い、相手はこちらに右腕の内側を向けていて、肘関節の装甲が薄い箇所が見えている。
――ここだ。
撃ちぬく場所を決めた。後はタイミングだ。
その時、雪に埋もれていた井野辺の機体が跳ね上がり、決死の一撃を放とうとしていた。
嗣巳は素直に井野辺に賞賛を送った。皇国魂を感じさせる見事な執念である。
そして、それをいなした黒騎士にも賞賛を送った。決して最後まで油断せず、最小の動きで井野辺の攻撃をいなした技術に感嘆していた。同時に、油断のならない相手であると再認識した。
黒騎士が井野辺をたたきつけ、再度右腕を伸ばしたその瞬間であった。
――ここだ。
息を引き絞り、嗣巳は引き金を引いた。
見事に黒騎士の右腕の肘関節を打ち抜き、まるで血しぶきのように黒い機械油が飛び散った。
間髪入れず、二発目を放ったが、それは即座に反応したもう一機の黒騎士によって阻まれた。
もう一機もまた、恐ろしく腕の立つパイロットであるらしかった。
嗣巳は狙撃をあきらめ、すぐに機体を立たせ、百雷をフルオート射撃に切り替えた。
彼我の距離は四キロも離れているが、それは無意味だと悟っていた。実際に黒騎士二機はブースターを装備していたし、先の戦闘を考慮しても、この深雪も距離も嗣巳に味方しないことは明白であった。
周りに木々もろくにない中で、狙撃のチャンスは二度と訪れないだろう。それに、百雷は通用しない。
であれば、接近戦しかない。
くしくも、嗣巳の下したそれは、黒騎士と同じ考えであるようであった。
二撃目を防いだ一機の黒騎士が、白い飛沫を跳ね上げながら、シールドをスキーのようにして雪の上を滑走し始めたのである。
当然、初めての光景ではあるが、嗣巳はそれでも取り乱すことなく冷静であった。むしろ、己の知らない操作技術に触れていることに、興奮すら覚えているようであった。
「いいぞ、黒騎士め。このまま一騎打ちといこうではないか」
嗣巳は覚悟を決めて、その場から動かないことを決意した。百雷をしまい、サーベルを抜く。
呼吸を一つ。
嗣巳の心はこの銀世界の中で、凛として凪の中にあった。
モニターを通してみている景色が、まるで自分の肉眼で見ているかのように映った。
空気の冷たさ、風の流れる音、遠くのせせらぎ、踏みしめている雪の感触、揚力石のパルスの感覚。自分は鉄の棺桶でもがいているはずなのに、それらすべてを素肌で感じていた。
まさしく天才の境地であった。いま、彼はカッパーアサルトそのものなのだ。
黒騎士はすでにそこまで肉薄していた。右手でシールドを支えながら跨り、左手には円錐の槍をこちらに向けて構えている。
刹那、黒騎士の突撃をかわし、サーベルを振り払う。
嗣巳の一振りは見事に黒騎士の左腕の肘から下を切り落とした。
動力部や胴体は狙わなかった。
嗣巳はこの戦況でなお、最大限の功績を上げるために黒騎士の鹵獲を考えていたのだった。
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ミハイルは驚愕と屈辱に顔を歪ませていた。
満身創痍のトゥポーイの無駄な抵抗が、ゲルマンの手により防がれ、あとはただ目の前の機体を持ち帰るだけであった。
そして、勝利の美酒を姫に届けて賞賛を得る、そのはずだったのだ。
それを、たった一機のトゥポーイの、一発の狙撃で阻止されてしまった。
ゲルマンの機体の右腕は損傷し、これでは雪上戦法を取ることができない。機体を持ち帰ることも難しいだろう。
二度もトゥポーイに度肝を抜かされているということが、何より気に食わなかった。
一度目は目の前のボロ屑でしかないトゥポーイに、決死の抵抗をゲルマンが受けたこと。
ゲルマン自身はそれを意にも介していないようだが、ミハイル自身はあの時、完全に油断していた。もし、手を伸ばしたのがゲルマンでなくミハイルであれば、あのトゥポーイの一撃をいなせなかったかもしれない。
そして二度目は、今目の前の狙撃。レーダーの索敵範囲ギリギリからの神業。長距離射程用ではなくあくまで標準装備の銃で。このリツァーリの装甲を貫くことのできないなまくらの銃で。
それがミハイルの心を屈辱でいっぱいにした。
来る二発目に反応してゲルマンの間に割って入れたのは、その屈辱に対する反逆心が身を動かしたに過ぎない。
怒りで震えるまま、ミハイルはブースターを起動させた。
「まて、ミハイル!やつはまずい!」
ゲルマンの制止も聞かずに、ミハイルは雪上戦法を実行した。
モニターが現在の速度と相手との距離を計算する。フルカラーの曲面マルチモニターに映し出されたトゥポーイが徐々に大きくなる。
驚くことに、相手のトゥポーイはその場から動かずサーベルを抜いた。
三度目の激情がミハイルを襲った。これ以上の屈辱など考えられなかった。
「なまくら風情が!騎士を愚弄するか!」
まるで一騎打ちを望むその姿勢に、ミハイルの最後の自尊心が激情の炎で焼き切れた。
「貴様など……!」
あっというまに肉薄し、その槍で貫かんと左腕を振りぬいた刹那、補助コンピューターから警告音が鳴り響く。
メインモニターが赤く点滅し、無慈悲にも機体状態を監視するサブモニターが左腕を失ったことを告げていた。
四度目は激情ではなかった。ただただ、冷や水を浴びせられたように冷静になった。
それはバリバーでゲルマンに敗北を重ねた時と似ているかもしれない。命を失う可能性を告げる本能からの警告に、この状況を打開するために冷静になれと己の理性に働きかけた。
だからこそ、左腕を失ってなお、姿勢を失わず機体の制御を維持することができた。
距離を離し、大きく旋回して再度トゥポーイと対峙する。
「ミハイル!ここは退くぞ!」
ゲルマンの叫び声がコクピットに響く。すでにブースターを溜め、離脱の準備を整えていた。槍を手放し、残された左腕には目の前のトゥポーイからもぎ取ったらしき足を持っていた。
それだけでも持ち帰ろうというのだ。
こちらの腕と武装を失うが致し方ない。
「今回は預けるぞ!なまくらめ!」
ミハイルは悔しさに打ちひしがれながらも、目の前のトゥポーイから大きく距離を取りながら、ゲルマンの後を追った。
トゥポーイは何もしなかった。追撃も何も。
相手も状況を理解している。優位な状況ではあるが、戦況を長引かせる利点はない。
だからこそ、見逃されたのだという考えを捨てることができなかった。
ミハイルは必ずや、この雪辱を果たすことを己の紋章と姫に誓うのだった。




