第3話 漆黒のスキー
純白の高原を、漆黒の鉄人が飛ぶように滑っていた。
騎士の鎧をそのまま巨大化させたような、誇り高き帝国に相応しきリツァーリは、カムイに敷いた天幕より更に帝国領側の高原で、巨大なシールドに器用に膝立ちの姿勢で乗り、まるで波に乗るかのように滑走していた。シールドの縁が雪面を切り裂くたび、白い飛沫が両脇へ跳ね上がる。傾斜のない箇所では背中のブースターを噴かし、推進力を補っていた。四十八トン超の鋼鉄の塊が、重さを感じさせぬ軽やかさで雪原を奔る――その矛盾こそが、見る者すべての目を釘付けにしていた。
騎士を体現した我らがリツァーリの、そのあまりに滑稽な姿に、動きを見ていた何名かの兵士は顔を覆っていた。日頃、槍と盾を掲げ雪原を踏み固めて進む重装騎兵の誇りを叩き込まれてきた者たちにとって、板切れに乗って戯れるような真似は、沽券に関わる見世物でしかなかった。
しかし、アレクサンドラは素直に感嘆した。確かに、この滑走術は生半可な技術では難しいと思った。膝の角度、体重の掛け方、ブースターの噴射一つで容易く体勢を崩し、四十八トンの鉄塊もろとも雪原に叩きつけられるだろう。それを器用に乗りこなす、あの小憎たらしいニコライが連れてきた、自分と同じくらいの年齢のパイロットに敬意すら覚えた。
この技術があれば、せめて中隊ほどの規模で奇襲がかけられたら、こんな膠着した戦況を一気に変えられるのに。
しかし、その技術を仕込むだけの時間はなかった。いくら長方形のシールドとはいえ、ただの板というわけではない。ましてや人間ではなく機械で乗りこなすなど……。板、そう板……。
その時、アレクサンドラの頭に電撃が走った。まるで子供じみた閃きではあったが、この戦況を覆すにはこれしかないと思えた。
また、この時ばかりは、この技術を早々に共有しなかったニコライに感謝すら覚えた。
もっとも、共有が遅かったところで、自分が遅かれ早かれ同じ結論に至ったはずだと、すぐに思い直したが。
「アンドレイ!」
まるで、とっておきの秘密を打ち明ける少女のような声だった。実際、そんなことがあったかもしれないと、アンドレイは目を細めながら答えた。
「なんでしょう?」
プルシアンブルーの気高き瞳を輝かせながら、姫は答えた。
「ソリよ!占領している村からソリを集めるの!」
なるほど。面白い発想だと、アンドレイは感嘆した。
「確かに、奴らとてウォードールや物資の運搬に、あんな便利なものを使わんわけはないですな」
「そうよ。整備班に渡して、リツァーリが乗れるようにするの」
「しかし、姫。よく思いついたものですな」
「昔から思ってたの。リツァーリには足りないものがあると」
アンドレイは眉を顰めた。
「足りないもの、ですかな?」
アレクサンドラは振り向きながら答えた。
悪戯な少女のような顔をして。
「騎士には馬が必要だわ」
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ゲルマン・コルニコフは帝国でも寒さの厳しいホヤンスク出身で、巨大な体躯と帝国では比較的珍しい浅黒い肌を持った、岩塊のような男だった。
彼にとって、リツァーリは命を食い繋ぐために必要な相棒であり、文字通りのライフラインであった。
ホヤンスクでは古くから、狩り場の割り振りを巡って七つの集落が争い続けてきた。それを鎮めるために皇帝より下賜されたのが、七体のリツァーリによる雪上で行う模擬戦、バリバーであった。
ゲルマンが暮らす集落は、常にその最下位を争っていた。
十五で集落の代表となった彼は、七人の弟妹を養うため、己の全てを操縦技術を磨くことに費やした。リツァーリのシールドをソリ代わりに使う雪上戦法も、深雪に自重を取られる重量級の機体を、少しでも軽やかに走らせるため彼自身が編み出した苦肉の技法である。
その噂を聞きつけたニコライが、彼を騎士として召し上げるまでの五年間、彼はバリバーで負けなしの王者であり続けていた。
帝国の軍階級は特殊で、基本的には貴族階級がそのまま反映される。そこから各貴族が己で召し上げた騎士を部下としていた。つまり帝国軍隊とは、従卒と、貴族とその配下の騎士たちの集まりなのであった。
騎士にも一等から三等までの序列と、筆頭騎士と呼ばれるその貴族に仕える騎士たちのまとめ役が存在した。
ゲルマンは二十の時、ニコライに仕える三等騎士として拝命され、以来五年の時を掛けて一等騎士まで登り詰めた。
彼が騎士として得る給料の一部はそのまま集落へと送られ、ゲルマン後任の代表は決して王者ではないが、それでも中堅の順位に位置し、なんとか食い繋いでいた。
当座のゲルマンの目標は、筆頭騎士となり、軍で武功を挙げいずれ貴族となり、集落のみんなを自分の領地へと招くことであった。そうすれば、あのような争いに塗れた貧困の日々は終わる。
そのためには、与えられたこの斥候任務をなんとしても果たさねばならない。
アレクサンドラ総司令へのデモンストレーションが終わった後、出立の準備に入っていたゲルマンは、同行する二等騎士であるミハイル・カレフスキーとともに、リツァーリの最終点検を行っていた。整備班が機体背部のアンビリカル・ケーブルを外し、駐機中を覆っていた防雪シートを剥ぎ取っていく。
ミハイルは、ゲルマンと同郷の士で集落は違うが、彼もまたその操縦技術を買われて騎士へと拝命された生え抜きであった。
練度は劣るが、ゲルマンが編み出した雪上戦法を使用できる数少ない騎士である。
痩身の、おおよそ軍人らしからぬ風体ではあるが、屈強な男たちだけの軍隊など、とうに過去のものであった。
帝国の軍隊はすべて、リツァーリの操縦技術がものをいう。
ミハイルもまた、まぎれもなく優れたパイロットなのであった。
「ミハイルよ。故郷の家族のため、私はこの任務で必ず成果を上げようと思う」
岩石のような見た目に相応しい、巌のような声であった。
「はい、ゲルマン卿。必ずや、良き知らせを姫に」
騎士たちはみな、アレクサンドラを姫と慕っていた。
戦場に咲く麗しき戦姫は、彼らにとってその命を捧ぐにふさわしい偶像であった。
つまるところ帝国軍第一機兵師団とは、アレクサンドラを崇拝する貴族騎士たちの集いなのである。
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カムイ高原で睨み合いを続ける第一戦線から手前約四キロを起点に、ゲルマンとミハイルの斥候隊は、まずは東へと歩を進めていった。
現地民の話では、カムイ高原を縦断する大きな川があり、そこを渡ることができれば相手の隊列の横ないし裏を突くことができるという話であった。
彼ら現地民は、撤退する皇国軍にその食料の備蓄を徴収され、もはや心は帝国に傾いていた。
リツァーリのコクピットでは、光学・熱線・赤外線を統合したHUDが正面いっぱいに展開し、地形の起伏までもがワイヤーフレームで描き出されていた。中央の円形レーダーが周囲を静かに走査し、後方百メートルほどをミハイルが追走しており、友軍機を示す青色のマークが表示されている。友軍機以外の情報があれば赤色のマークで表示されるが、広大な雪原の上では、二機の漆黒の騎士がただ雪を分けて進んでいるだけであった。
両機にブースターは装備されてはいるが、燃料の問題もあるため、ある程度の地点まではこのまま機体を歩ませるしかない。一歩ごとに股関節の油圧がわずかに軋み、四十八トンの自重が深雪を踏み固めていく感触が、操縦桿を通して伝わってきた。
目標としている川辺まではまだ三十キロほどある。ブースターを使えば三十分もかからずに到達できるが、敵軍との戦闘の危険性を考えれば、使用するわけにはいかなかった。
操縦桿を握る手が汗で滲んでいることに、ゲルマンは気付いた。
それは予感であったのかもしれない。バリバーで培った戦いへの嗅覚が、ゲルマンに焦燥を与えているのだ。
だが彼は恐れない。家族のため、祖国のために。
漆黒の騎士の中で、自分が祖国の歌を口ずさんでいることに気づいたのは、レーダーが警告音を鳴らした時であった。
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皇国龍頭鎮台が敷いたカムイ防衛戦線は、長距離型砲弾を備えたカッパーキャノンを優に三百機、横列に配置し、迫り来る漆黒の波を迎え撃とうとしていた。
それは、帝国から見ればまさしく銅色の城壁であり、攻城の術を持たない彼らに圧し掛かる重圧そのものであった。
しかし、その実それはただのはりぼてに過ぎない。
皇国龍頭鎮台の約半数以上を本島へ撤退させるために敷いた時間稼ぎであり、本島から招集された部隊のほとんどが新兵や軍隊内でも評価の低い部隊の寄せ集めであった。
並べられたカッパーキャノンも、その実、帝国の第一波は抑えられても、その次を抑えるだけの火力を備えていなかった。
弾薬が足りないのである。
敵は前からくるのに、なぜか後ろに引く軍隊に主兵装や弾薬などの兵站が持っていかれたからである。
残されたカムイ防衛戦線を指揮する真壁良成大佐は、己の役目が時間稼ぎと知って、ただ、この行く末をどうするか、それを考えていた。
新兵たちはなるべく生かしてやりたい。この悲惨な戦争から故郷へと返してやりたい。
もはや、ある程度の時間で白旗を振るしかなかった。純粋な捕虜となる道を選び、最悪己の首一つ差し出してこの地獄からなんとしても彼らを生還させてやりたかった。
要塞で指揮を執る彼の前には、一通の文が置かれていた。
「撤退までの時間を稼がれたし。二週間。なお、白旗を禁ず。汝、皇国の雄なれば、最後まで祖国のために戦うべし。」
――陸軍龍頭鎮台総司令官北原康恒陸軍中将。
彼はその胸中に渦巻く様々な感情を持て余していた。もしも生きてこの地獄を切り抜け、戦争に終わりが見えれば、彼は必ずや本島へ英雄として凱旋できるだろう。
その時、必ずこの無能な中将を誅してやろうと心に誓っていた。
白旗を禁ずるだと。誰が従うものか。
自らの部下の命をいたずらに捨てさせるわけにはいかない。だが、彼とて軍人である。
殿を任された以上は果たさねばならない。撤退までの時間稼ぎを。
地獄を生還し、かの肥え太った先祖の栄光にしがみつく悪逆を裁くために、今はこうするよりほかないのだ。
しかし、問題は二週間という時間を稼ぐことの難しさにあった。
今は帝国も様子を見て、こちらの動きに怯えているが、そのうち意図に気づくだろう。奴らは決して無能ではない。
もしかしたら波状攻撃を仕掛けてくるかもしれない。そうなれば一巻の終わりだ。
それに、今の余力では、側面からの攻撃に対応できない。
こちらの戦力はカッパーキャノン三百機と少しの中距離型だけ。後詰は無い。
防衛戦線を突破されれば最後、ただ蹂躙されるだけである。
だが、彼とて決して無能ではなかった。
まず、三百機近く並べたカッパーキャノンで、必要以上にパイロットを交代させた。本来パイロットではない歩兵までも、パイロットに偽装して、戦力を誤認させるように仕組んだ。
帝国は機兵のみで歩兵はいない。そのため、こちらの戦力を十分に見誤ると考えていた。
また、側面を突かれぬよう、防衛線を突破された場合の最終防衛戦力までも哨戒任務へ出し、側面の防衛点に陣を引いて歩兵も常駐させた。それぞれ五機ずつカッパーキャノンを配備させ、側面の威圧を持たせたのである。だが、そのカッパーキャノンには少しの弾薬しか持たせていない。
あくまでも見せかけの威圧だけで抗っていた。
時間だけ稼げばいいのだ。
真壁はそう自分に言い聞かせていた。
「伝令。哨戒点より本部へ」
その時、耳にかけた伝令機から、通信が入った。耳障りなノイズとともに、機械的な女の声がする。
「なんだ」
「川向うに黒騎士二機を発見したとのこと。戦闘の指示を要求しています」
ついに来たか。恐れていたことが。
帝国の斥候だ。おそらくは威力偵察も兼ねているだろう。側面が弱いことが知られれば、この戦況は一気に覆る。
だが、帝国は兵站が少ないはずだ。それに、この深雪では速度が落ちてしまうはずだ。
それなのに、二機。たったの二機で斥候だと?
にわかには信じられなかった。だが、彼らはおそらく側面をつく地形があることを知っていたはずであった。
現地民はすでに皇国を恨んでいるだろう。彼とて断腸の思いで徴収したのだ。
――これは好機ではないか。
真壁の頭に、それがよぎった。
深雪での戦闘に不向きな黒騎士が、たった二機でこちらの攻撃をいなせるだろうか。
哨戒任務は四機の中距離型兵装であるカッパーアサルトを配備させている。こちらの攻撃は奴らに通用しないが、近接戦闘に持ち込めれば、こちらのものだ。
うまくいけば奴らを鹵獲できる。
真壁は、己の判断をどう下すべきか迷った。何かしらの罠の可能性だってある。
だが、彼もまた今の戦況を覆すための何かが欲しかった。
「本部から哨戒点へ。戦闘を開始せよ。必ずやつらを鹵獲せよ」
真壁はここで攻めることを選んだのだ。皇国の雄として、戦うことを望んだのであった。




