第19話 沈黙する本島
真壁は司令室で、椅子に深く腰掛けながら報告書を見つめていた。
そこには、「九条嗣巳」に関する経歴がすべて書かれていた。
カムイ防衛戦線が始まって、あまり気にする余裕はなかったが、軍務経験が一年で伍長というのは確かに通常ではありえない。
だが、決してないというわけではない。軍というのも一枚岩ではなく、政治的な思惑が複雑に入りまじっている。それこそ、出自が大きく影響する場合もある。
機兵隊は歩兵隊と比較して、戦果を主軸として評価される傾向にある。だが、それもせいぜい尉官級まで。佐官以上になるには、家柄を含めた政治的な介入が必須と言えた。
真壁さえ、自身が少佐になるとき、真壁家が懇意にしていた、とある名家の口添えで昇進していた。
そういう意味で、「九条」というのは決して名家ではない。だが、当主であった九条勇巳という男は、なんの後ろ盾もなく、その手腕で一代で大佐まで上り詰め、少将の座にまで手が届きかけた稀な男だ。
そのため、軍の中には九条勇巳を英雄視するものも多い。だが、彼が没してもう五年が経ち、もはや勇巳は忘れ去られた英雄だ。
流石に九条勇巳の息子であるからと言って、軍内での待遇に影響することはなかった。
では、なぜ彼は伍長になったのか。
経歴を見れば、軍学校を卒業後、まずは中央の防衛隊に配属されていた。つまりは首都龍心の各省庁や軍事施設の警護である。
そこからわずか三か月で伍長まで昇進している。昇進の理由には、当たり障りのない実績が記載されている。
つまりは、誰かの口添えがあることは間違いない。では、それは誰の口添えなのか。
家族構成の欄に記載されている姉の存在が答えであった。
鷹司英成の正妻。それはつまり、鷹司の次期当主であり、現陸軍少将の義弟ということである。
鷹司は五大名家の中でもっとも中央に近い家と言われている。政治中枢へ多大な影響力を持っているということだ。
真壁は眉間を揉んだ。
嗣巳が鷹司と懇意であるというのであれば、真壁が後ろ盾として彼の出世を支えるのは難しくなる。無論、実際の野戦昇進の権限はしばらく真壁の下にあるが、結局鷹司の威光を超えることはできない。彼の戦績に鑑みれば、いずれ佐官級に到達すること自体は難しくないだろう。
そうなると、真壁の口添えで嗣巳を動かすことは現実的ではなくなった。
ただ、真壁は嗣巳の家族事情について詳しくないが、姉が鷹司に嫁いでいる以上、嗣巳は鷹司の利益を優先して考えるだろう。嗣巳自身、皇国軍で実績を挙げていく限り、政治と無縁ではいられない。
そこに付け入る隙がある。
真壁はあきらめていなかった。いずれ康恒を失脚させるために、むしろ嗣巳が鷹司に連なる者であることは幸いと言えた。
真壁が思考の波に沈んでいるとき、司令室の扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
真壁は資料を机の引き出しにしまい、入室を促した。
入ってきたのは、作戦参謀であった。
「真壁大佐。カッパーキャノンの収容が完了いたしました。収容できなかった二十五機は側面の各哨戒点に散らして配備させています」
それは、帝国の進軍を咎めるために配置していたカッパーキャノンの防衛戦線の後退が完了したことを告げる報告であった。
これ以上の展開は無意味と判断したのだった。
先の襲撃で城壁の一角は破られ、しかも帝国は、沈黙した機体を一機も持ち去らずに引き上げていた。
「ご苦労。時間稼ぎの必要性はなくなったのだ。手筈通り、機体編成の見直しのための補給を本島に依頼しろ」
今後の戦況を考えた場合、現在の機体編成でカッパーキャノンの数は過剰であった。もともと時間稼ぎのために拵えたいびつな編成であったため、総力戦に備え早急に正規の編成に戻さねばならない。
「それと、本島から次の指令はまだ来ていないか?」
「はい、大佐。撤退完了の報告後に届いた、次の指令までの現状維持の指示以外、新しいものはまだ」
真壁は憤りを感じていた。真壁の見立てでは、本隊の撤退完了後に本島で新たな軍編成が行われ、カムイの防衛戦に援軍が送られてくるはずだった。
だが、実際は現状維持の指令のあと、次の指令の音沙汰がない。
こちらの状況は逐一報告しているにもかかわらずだ。
――まさか、北原は本当に我々を見捨てたのか。
真壁は、冷たいものが背筋を通るのを感じた。いかに海燕隊が優れた部隊と言えど、小隊でできることなどたかが知れている。ましてや、戦争に勝利するなどありえない。
必ず、本島の支援がいる。
「わかった。下がれ」
作戦参謀を下がらせたのち、真壁は椅子の背もたれに背中を預け、頭上を見上げた。
カムイを防衛する見通しはいまだたってはいなかった。
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首都龍心は、皇居を中心部として、各省庁や軍事施設、そして居住区が波状に広がっていくつくりをしていた。
首都龍心を表した歌に、以下のようなものがある。これは大昔の歌人が、故郷を離れる日を綴った短歌である。
『秋晴れの 六花を臨む 青海に あてなき明日へ 心ただよう』
この歌の解釈は多岐にわたるが、特に「六花」が何を指しているのか、という解釈は評論家の間で議論されていることだった。
曰く、これは秋晴れに降った珍しい雪のことを指している。
そんな異常気象は観測されていない。
曰く、これは故郷の龍心を六花に例えている。
だが、海の上からではとても花には見えない。
そのような議論が絶えないものではあったが、それでも国民の心に広く浸透した歌であった。
龍心の軍居住区が集中する桜町に、ひときわ大きな屋敷があった。それは実に千坪を超える敷地で、いくつもの平屋が点在していた。
北原家の屋敷である。
その母屋の一室で、龍頭鎮台総司令官、北原康恒は情事に耽っていた。
北領から本島へ帰還し、屋敷に引きこもるや否や、娼婦を呼んでは部屋にこもるだけの堕落した生活を送っていた。
康恒の腹心である柳原一之介中佐は、控えの間で無駄に豪奢な椅子に腰掛けながら、一人頭を抱えていた。
まだ柳原が軍曹の時、軍事的な才能を康恒に見出され、以降二十年にわたり腹心として康恒を支え続けてきた。
四十を超え、いまだ中佐の身でありながら、その階級以上の待遇を与えられている。そのことに感謝こそしているが、今回の一件についてはまったく度し難いものがある。
柳原も龍頭鎮台に籍を置いていたが、二年ほど前に北原家の事情で本島に帰還していた。その時は本島に戻りたがっている康恒に再三嫌味を言われ辟易したものだ。
柳原不在の折に、帝国の侵攻が突如として始まり、窮地に立たされた中、康恒のとった行動は本島への撤退作戦であった。
それは戦術的な判断ではなく、帝国侵攻を口実として、本島への帰還を優先したものに違いない。
現に、柳原が北領奪還の軍を率いる進言をしても、康恒はまったく取り合わずに、ただ女を抱くだけである。
康恒が本島に帰還し、屋敷へと戻ってきたとき、開口一番彼はこう告げた。
「一之介、なんとかしろ」
柳原は顔が引きつるのを抑えられなかった。
戦争が始まり、康恒が行ったことと言えば、守るべき民草の冬の蓄えを徴収し、基地を爆破し、生贄のごとく寄せ集めの部隊を置き去りにして、ただ本島に逃げ帰っただけであった。
それは敵前逃亡に他ならない。中央に上申すれば、いかに北原と言えど、軍法会議にかけられてもおかしくないことである。
だからこそ、柳原の仕事は、そうならないようにまずは撤退の理由をつけることから始まった。
まず、康恒自身の保身のための時間稼ぎとして行った、焦土撤退とも言うべき、食料の徴収と軍事設備の爆破が結果的に機能していた。
帝国に必要以上の情報を渡さず、兵站を苦しめることにつながったのである。
現に、縦に間延びしたと思われる帝国軍は、カムイの地で、寄せ集めのカムイ防衛軍を前に足止めを食らい、カムイ防衛軍は本隊撤退までの二週間を稼ぎ切っていた。
それを柳原は余すことなく利用することにした。すべてが噛み合っていたからだ。
つまり、康恒の思惑は、帝国軍を冬の北領に閉じ込め、兵站を枯らし、前線を間延びさせることによる戦力の分散を意図したものとした。そして、本島撤退後は部隊を再編し、北領奪還を行うとしたのだ。
だが、いつまで経っても康恒は動こうとしない。
これ以上は限界であった。カムイ防衛軍には現状維持と指令を出しているものの、報告を聞く限りではいつ崩壊してもおかしくはない。カムイ防衛軍が崩壊してしまえば、北領の奪還はさらに難しくなってしまう。最悪の場合、本島への進出を許してしまうことになる。
もし、カムイ防衛軍が奇跡的に粘ることができてしまったら、今度はそれ自体が北原家の立場を危うくしていく。
実際、今のカムイ防衛軍で戦果を挙げ続けているのはあの西守英親だ。政治的な立場は弱いにしても、西守の血を継いでいる以上、彼が活躍すれば活躍するほど、西守の影響は大きくなっていく。それに、報告書の中で見つけた「九条嗣巳」という名前。
柳原は特別面識はなかったが、九条の名前が気になり調べてみれば、あの九条勇巳の息子で、姉は鷹司英成の正妻だという。
これは非常によろしくなかった。鷹司の影響力はただでさえ大きく、忘れ去られた英雄の息子というのは、大衆が喜ぶ物語性を持っている。
つまりは、プロパガンダとしても機能する可能性があった。
だからこそ、北原家は動かなければならない。軍を再編し、康恒自身が指揮官となって、北領を奪還する。
そうしなくてはいけないというのに。
「まったく、我が主ながら何と情けない……」
北原の屋敷で発してよいものではなかったが、柳原は声を抑えられなかった。
誰かに聞かれていないかと、思わず周りを見渡したが、控えには柳原一人である。
柳原は急に自分がばかばかしくなり、乱暴に席を立った。
――いたし方あるまい。
こうなれば、北原家の前当主である、北原孝恒の手を借りようと思い立った。孝恒は康恒の実父である。今は軍人として引退したものの、いまだ立場としては孝恒のほうが上だ。
北原の威信に関わると進言すれば、孝恒も康恒の尻を叩かないわけにはいかないだろう。
主はまた小言と嫌味を言ってくるだろうが仕方ない。胃痛など我慢すればいいのだ。
柳原は決心に満ちた顔で、部屋を後にした。
カムイ防衛軍の命運は、柳原にかかっていると言っても過言ではなかった。




