第20話 白旗の使者
「――つまり、敵の城壁は偽物だったというわけだ」
ザスタヴァの会議室で、アンドレイはタブン・シュトルムの戦闘データを見ながら、真っ白な顎髭を撫でていた。
実際の戦闘中の砲撃数や敵機体の練度を確認し、それが実際に、帝国軍を退けられるものではないことを悟ったのだ。
「ええ。どうやら奴らに一杯食わされたようで」
ニコライも苦々しい顔をしながら資料をめくる。偽物の城壁に、帝国の侵攻の足が二週間以上も止められた事実は、帝国軍の自尊心に傷をつけていた。
皇国も見抜かれたことを悟り、現在は壁を下げたようである。潔いことであった。
「あとはオカダの追加聴取についてですが、敵方の機体について、このカムイという地形について、あとはこの先の基地数についてと、ある程度の情報は集まりました」
尋問を行った情報将校が、岡田から聴取した情報のうち、重要なものを列挙し、詳細をまとめた資料を展開しながら会議を進めていく。
「敵方の戦力規模や配置はどうだ?」
「そこは口を割りませんでした」
捕虜解放に向けて協力的ではあるものの、岡田は帝国に渡す情報を選んでいた。
「カッパーアサルト、カッパーソード、カッパーキャノンと三種類の機体があるようです。我々が鹵獲したのはカッパーアサルトに該当するようで」
「――カッパー、か」
聴取した情報が説明されていく中、アンドレイは思案気に機体名を呟いていた。それは軍議のざわめきに溶けて、他の参謀の耳に入ることはなかった。
「機体の解析も進んでいます。基本のスペックはリツァーリが上のようです。特にアサルトに関しては、乗り手の技量を考慮しない場合、リツァーリ側が圧倒的に有利です。ソードとキャノンの鹵獲ができていないため、明確な比較はできませんが、実際の戦闘データ、つまりは先日の渡河地点での囮部隊との戦闘を考慮すると、ソードとキャノンについては、確実に脅威となります」
今後の戦闘において、皇国との戦力差を測るのに機体の配備数は注視しなくてはならなかった。トロイカの配備数にも限界があるため、トロイカに乗らないリツァーリで、正面から相対して確実に有利と考えられるのは、現状カッパーアサルトのみという見立てであった。
ここにきて、撤退する皇国軍との直接的な戦闘データの少なさが戦術の構築に影響していた。
「現在の敵の主力拠点であるカムイ要塞については、現状の戦力での攻略は十分に可能と考えられます。ただし、敵がカムイ要塞から撤退した場合、追撃戦はかなり難航する可能性が高いです」
城壁に並んでいたカッパーキャノンが、敵方の練度と弾薬配備の数から戦力として数えられないことが判明した以上、トロイカを当てにせずとも、カムイ要塞を奪うことは可能と考えられた。
ただ、その後が問題であった。
「カムイ要塞より先、皇国の本島に近づくにつれ、森林の度合いが増えます。ただ、積雪は徐々に減っていくため、理論上、行軍速度はむしろ上がります。問題は視界の確保で、敵からの奇襲を警戒しなくてはいけません。斥候の重要度が増します。結果的に、慎重な進軍が求められます」
カムイ高原は木々が少なく、基本視界は直線距離で開けていた。しかし、カムイ要塞より先はその視界の確保が難しくなる。また、森林の木々の大きさによっては、リツァーリの戦闘時の動きに制限がかかる可能性もある。
「しかし、いずれにせよ、まずはカムイ要塞の攻略の足掛かりが必要です」
まずは目先の要塞攻略を進める必要がある。ラズヴェートチクはそう締めくくった。
「ふむ。ならば、まずは捕虜交換の手続きから始めるとしよう」
アンドレイは、カムイ要塞攻略の筋書きを語り始めた。
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カムイ要塞に緊張が走っていた。ソリに乗ったリツァーリが、白旗を掲げながらゆっくりと、カムイ要塞の正門に現れたからだ。
白旗を掲げている以上、攻撃はできないが、カムイ要塞周辺の警備隊が最大警戒の状態で動向を窺っていた。
やがて、リツァーリの中から一人の兵士が降りてくる。帝国の無駄に豪奢な軍服に身を包んだ、岩のような顔をした男であった。
男は帝国語で何かを言っていたが、帝国語を話せる兵士はその場にいない。あわてて歩兵が要塞内へ走っていき、帝国語を話せる者を連れてきた。
通訳の情報将校は皇国の歩兵に護衛されながら、帝国兵士と会話をし、一通の文を受け取った。
情報将校はその場に帝国兵士を残し、カムイ要塞へまた戻っていく。
その後、しばらくしてまた別の文を持ち、情報将校は帝国兵士にそれを渡す。
帝国兵士はその立派な立ち居振る舞いにふさわしい一礼を行い、リツァーリに乗り込み、踵を返して北へと帰っていった。
「一体、何があったんです?まさか和平交渉ってことはないでしょう?」
一部始終を見ていた歩兵が、情報将校へ尋ねた。
「捕虜交換の申し出だよ。大佐殿も応じるそうだ」
情報将校は軍帽を脱いで、薄い頭を撫でながらつぶやいた。
「しかし、まさか九条軍曹をお望みとはな」
それは、文ではなく帝国兵士の直接の望みであるという。一目見たいとのことで、捕虜交換に九条嗣巳の同席を求めると、文を受け取るときにそう告げられたのだった。
真壁は、それにも応じると回答していた。相手が嗣巳を意識している以上、同席させることでなにかしらの効果を望んでいるらしかった。
「まったく、あの男が一体何だというのだ……」
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司令室で真壁は一通の文を見ながら、幕僚である作戦参謀と状況の整理を行っていた。
文には、帝国語で記載された文章と、それを皇国語に翻訳した文章が記入されていた。
『捕虜交換に応じられたし。期日は三日後の午後。場所は城壁跡地にて』
真壁は文を机の上に投げ捨てた。投げ捨てられた文の下には、カムイの地形と現在の帝国軍、皇国軍の配置が記載された作戦図が置かれていた。
現在、帝国が本営としているであろうカムイ第二防衛基地から、カムイ要塞まで、距離にして約十五キロある。
その間に、岡田が捕虜となった元哨戒拠点と、カッパーキャノンを展開していた地点があり、そのカッパーキャノンを展開していた地点で、お互いの捕虜を交換しようというのだ。
「つまりは、敵は目前まで迫るというわけだ」
真壁は、相手の狙いを正しく理解したうえで、苦々しくそう呟いた。
帝国の狙いは明白であった。カッパーキャノンを展開していた地点は、カムイ要塞から約四キロ地点にある。捕虜交換を口実に、そこまで陣を進めようということである。
帝国は、捕虜の移送を理由に、まずは三日かけて、進撃路を築くはずだ。なかなかの距離ではあるが、帝国の人員と除雪技術を考えれば、決して不可能ではなかった。
「ええ。捕虜交換ののち、彼らはそこに陣を敷くでしょう。そうなれば、あとは総力戦になります。籠城という選択を取るか、徹底抗戦をするかですね」
カムイ要塞の防衛力に鑑みれば、籠城は十分に可能と考えられた。敵は正面から来るし、たとえ包囲されたとしても、砲門の数を考えれば、耐えることはできるだろう。弾丸も、三百機のカッパーキャノン分はないが、拠点防衛を行う分はある。
それに、要塞攻略に敵の戦闘ソリは特別効果を発揮しない。こちらは門を閉じ、砲門で砲撃してひたすら敵の攻撃に耐えるだけだ。
だが、決して無限に籠城できるわけではない。いずれ要塞の兵站は尽きる。おそらく、持って一か月。包囲されたのち、補給線を断たれれば、白旗を揚げざるを得ない現状があった。
「陣を敷かせることを避けなければならない。徹底的に抗戦するしかあるまい」
籠城という選択肢が取れない以上、陣を敷かせないために徹底的に攻撃をするしかなかった。そうなればひたすらに消耗戦を繰り返すことになる。
帝国の兵站事情は分からない。本来、彼らの兵站に余裕はないはずだった。だが、実際この皇国で、帝国はいまだに前線を維持し続けている。兵站問題も解消されているに違いない。
「海燕隊を軸に考えれば、奴らへの妨害は十分に可能でしょう。鳴神の射程範囲に入るわけですから、正面で陣を張ることは難しく、敵も何か対策を講じなければならないはずです」
あとはひたすら命をすり減らしあうだけであった。
ここにきて、真壁の理想は崩れ去ったといっていい。もはや、兵士の命を温存するすべはなかった。
「あとは本島の補給か救援部隊、それ次第というわけか」
「それか……白旗を揚げるという選択もあります」
真壁は天井を見上げた。
決してあり得ない選択ではなく、兵士たちの命を考えれば、それは妥当と言えた。
真壁の信条は、祖国のためにならない戦場で、無駄に命を散らすことをよしとしないものであった。鎮台が本島に撤退するまでの二週間は、とても祖国のためとは言えないと考えていた。
何故なら、カムイ防衛軍は北原をただ生かすためだけの生贄であったからだ。新兵どもは、ただ北原を守るためだけに、その命を散らさねばならなかった。軍隊である以上、それは必然ではあるが、不憫で仕方なかった。
しかし、今はどうだろうか。もはや北原の命を守る戦いは終わった。今は純粋に祖国のために、このカムイの地を守らねばならない。
カムイを越えれば、皇国の主要な防衛拠点はほぼない。基地はあるが、カムイ要塞ほどの防衛力を備えたものはなく、文字通り最後の砦であるのだ。
カムイ要塞が陥落すれば、それは北領が帝国に完全に占領されることを意味していた。
「要塞は最後の砦だ。このまま敵に無傷でくれてやるわけにはいかんだろう」
しかし、作戦参謀は譲らなかった。
「ですが、このままでは犬死にです。一度、捕虜になれば、いずれ解放されます。また戦えます」
それも事実であった。一度捕虜となり、解放後には当然皇国の兵士としてまた前線に立てるだろう。
――いや。立てるだろうか。
真壁は深く思案した。今、帝国の捕虜となっている岡田たちはどうしているだろうか。彼らは帝国に与しただろうか。それとも、いまだ皇国の雄として、一言も喋らずに戦っているだろうか。
彼らは、捕虜から解放された後、兵士としてまた戦いを望むだろうか。
皇国は捕虜となった場合に、軍や皇国技術に関する情報の流出を固く禁じている。流出した場合、話した情報をすべて報告させられ、厳罰こそないものの、皇国内での出世の道は断たれるといっていい。
その場合、前線で使い潰されるか、もしくは前線にすら立たせてもらえず、ただ倉庫で弾薬を数えるだけの人生になるかもしれない。
「我らの本懐を遂げる時が来たのだ」
真壁は静かにそう告げた。
抜きはらった軍刀の如く、何かを決めた男の眼差しが作戦参謀を射抜いていた。
作戦参謀は何も言わず、ただ敬礼だけを返した。
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大きな影が白雪をかき分けて進んでいた。まるで不出来な演奏者のように甲高い音を途切れずに立てながら、正面に取り付けられた刃付きの回転ドラムが固くしまった雪の壁を削り取り、その後ろで羽根が風を送り投雪筒から削り取った白雪を道の両脇へ吹き飛ばしていた。筒を揺らしながら外側へ白雪をまき散らすその様は、まるで鼻で水を吸い上げて浴びる象のようであった。帝国の、除雪を行う啓開車である。
その啓開車が二台、協定作業の緑旗を掲げ、攻撃の対象ではないことを示していた。二台は横並びに雪をかき分けながら進み、その後ろを一台ずつ発電車が給電ケーブルを繋ぎながら追従していた。
工事は昼夜問わず行われ、作業用のアーク光が常にまばゆく光り、カムイ高原に夜の訪れを許さなかった。
皇国に帝国の進撃を止めるすべはなく、要塞に徐々に大きくなって届いてくる帝国の軍靴をただ聞いているだけだった。
嗣巳は、捕虜交換の前日に、英親とともに真壁に司令室へ呼び出されていた。
「九条軍曹、明日の捕虜交換に貴様も同席したまえ」
真壁の発言に、嗣巳はわずかに眉尻を上げた。
「私がですか?」
「そうだ。先方のご要望だ。一目、貴様を見たいとのことでな」
真壁は腕を後ろ手に組みながら、壁の皇国軍旗を見ながらそう告げた。その横顔には、覚悟を決めた男特有の凛々しさがあった。英親はそれを敏感に感じ取っていた。
「九条軍曹は海燕隊の所属であるから、形式的に西守少佐も同席するように」
まるで明日こそが戦場であるかのように、真壁の声には圧が込められていた。
「しかし、なんだって嗣巳を指名しやがるんですかね」
英親は嗣巳の肩を叩きながら聞いた。
「相手がそれだけ九条軍曹を意識しているということだ。もしかしたら、貴様と相対した黒騎士の一人なのかもしれんな」
嗣巳も十中八九そうだと感じていた。大川渡河地点で戦った一人のリツァーリから、明確に意図的な何かを感じていたからだ。
これから命を奪い合う者の顔を見たい。それは、嗣巳には理解できない感情であった。
「しかし大佐殿。捕虜交換に応じるたぁ思い切りましたね」
英親は、その理由を悟りながらもあえて問いかけた。
「そうだ、西守少佐。私も皇国の雄なのだ」
その答えに、英親は笑みを浮かべた。それは、数多の死地を潜り抜けた者だけに宿るものかもしれない。
「いいでしょう、大佐殿。本島でぬくぬくしてる馬鹿どもに見せつけてやりましょうや」
真壁も少しだけ笑みを浮かべながら、嗣巳を見つめた。それは問いかけであろう。真壁から、嗣巳へ貴様はどうなのかと。
「大佐。私は命令の通りに敵を屠るだけであります」
その答えは英親にとっては不服であるようだが、真壁にとっては十分であるらしかった。
「なに、貴様もまず間違いなく皇国の雄だよ。我々は、英雄にはなれないのかもしれないがね」
それはこのカムイの地で雪に埋もれる覚悟を決めた男の自嘲であった。
実際、このカムイの地で華々しく散ったとて、戦局は帝国に有利に働くだけで、皇国にとってはただの損害である。
無駄死にと謗られ、後世に名を残せずとも、ただ、最期の時まで一人でも多くの敵を屠る。そのための覚悟を皇国軍旗に誓うのだ。
真壁は、静かに皇国軍旗へ敬礼した。英親もそれに続き、嗣巳も従った。
「皇国の雄よ、ただ、龍の鱗たれ」
それは皇国兵士一人一人が、龍の国である皇国を守る鱗であらんとする、祖国に命を捧げる誓いの言葉であった。
帝国軍靴の雷鳴の如き轟きは、もう目前まで迫っている。
彼らの進撃を阻まんとする龍鱗は、逆立つその時を待っていた。
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龍心の北原の屋敷で、北原康恒は一人、暗い部屋で頭を抱えていた。でっぷりと太った体が、毬のように丸まっていた。
帝国の侵攻を口実に、やっと本島に帰還できたのに、なにやら柳原が北領に軍を率いて向かえと口煩く言ってくるのだ。
ましてや、実父である孝恒に手回しをしているらしい。
康恒の心の内はただ一つ、北領に戻りたくない、それだけであった。
娯楽のない北の最果てで、北原の現当主が何故軍務に就かなければならないのか。
北領の女は痩せていて、まったく康恒の好みではなかった。貧乏人ばかりで賭場もない。
街を歩けば家畜の匂いがし、潮でべたべたする。雪は邪魔で、基地は退屈。
五年前、政治抗争に敗れた英親を、これ幸いと鎮台の司令官に置こうとして失敗し、以降、康恒にとって地獄の時間が続いた。
やっと、その地獄から解放されるのだ。
本島は天国だ。賭場に女、贅沢の限りを尽くすことができる。
もうあの地獄には戻りたくない。なんとしても、なんとしても。
――そうだ。戻る場所がなければいいのだ。
「そうだそうだ。やつらを本島に戻せばいいのだ」
翌日、カムイ防衛軍に康恒より撤退命令が出された。




